第18章 九ミリの証言
セリナが帰宅したとき、部屋の中は出かけたときと同じだった。
テーブルの上のカップ。読みかけの雑誌。窓際に置かれた小さな観葉植物。
そして、銀花。
二挺のブローニング・ハイパワーは、並んで横たわっていた。
彼女は上着を脱ぎ、椅子に掛けた。
スマートフォンを取り出す。
届いた画像を、もう一度開いた。
木箱。王冠。二頭の獅子。そして黄金の拳銃。
画像を拡大する。
銃身。スライド。グリップ。金色の表面に刻まれた装飾。
写真は鮮明ではなかった。細部を確かめるには不十分だ。それでも、ブローニング・ハイパワーであることは分かった。
少なくとも、そう見えた。
「あなた、ずいぶん有名になったわね」
銀花に話しかけた。
もちろん、返事はない。
セリナは画像を保存し、スマートフォンを伏せた。
その夜、彼女は眠れなかった。
夢を見たわけではない。
ただ、目を閉じると、金色の銃が浮かんだ。
銀花を初めて手にした日のことを思い出した。あのとき、彼女は美しいものを見つけたと思った。誰かを倒すための道具ではなく、ただそこにあるだけで心を奪われるもの。
それが、いつから謎になったのだろう。
いつから、自分の手元にある二挺の銃が、遠い過去の誰かの物語につながっていると思うようになったのだろう。
セリナは目を開けた。
暗闇の中で、銀花は見えなかった。
それでも、そこにあることは分かっていた。
*
翌朝、警察署の鑑識室では、二つの事件の資料が並べられていた。
銃砲店店主の殺害現場。
そして、刑事の車が発見された駐車場。
どちらの現場にも、九ミリ・パラベラム弾に関係する証拠が残されていた。
薬莢。
そして、回収された弾丸。
鑑識担当者は、薬莢の顕微鏡画像をモニターに映した。
「薬莢の底面には撃針痕がある。ほかにも、銃尾面や抽筒子、排莢子が接触した痕跡が残っている」
隣に立つ刑事が尋ねた。
「二つの現場で、同じ銃が使われた可能性は?」
「共通する特徴はあります。しかし、現時点では断定できません」
担当者は別の画像を表示した。
「それから、こちらが回収された弾丸です」
変形した鉛色の塊が、画面に映った。
「弾丸の表面には、銃身内部のライフリングによって刻まれた痕跡が残っています。これが線条痕です」
「これで銃の種類が分かる?」
「ある程度、絞り込める場合はあります。旋条の本数や方向、幅などを調べます。ただし、それだけで特定の銃のモデルまで断定できるとは限りません」
担当者は弾丸の画像を拡大した。
「変形が大きいので、比較できる部分は限られます。それでも、調べる価値はあります」
「ブローニング・ハイパワーの可能性は?」
「九ミリ弾を使用する銃の一つではあります。しかし、薬莢や弾丸の痕跡だけで、そのモデルだと決めることはできません」
刑事は腕を組んだ。
「では、二つの現場の弾丸を比較すれば?」
「弾丸同士に比較可能な特徴が残っていれば、同じ銃身から発射された可能性を検討できます。薬莢の痕跡も合わせて評価します。ただし、個々の痕跡が不明瞭な場合もあります。結果は慎重に判断する必要があります」
「つまり、まだ分からないことだらけか」
「科学捜査というのは、分からないことを分かったことにしない仕事です」
担当者は淡々と言った。
刑事は、思わず苦笑した。
その言葉は、今の捜査に必要なものだった。
薬莢は、銃の手掛かりを残す。
弾丸もまた、銃身の手掛かりを残す。
しかし、どちらも犯人の名前を刻みつけているわけではない。
*
午後、鑑識担当者は新しい資料を持って捜査会議に現れた。
「追加の比較結果が出ました」
刑事たちが顔を上げた。
「二つの現場で回収された薬莢には、似た特徴が見られます。ただし、現時点では同一の銃によるものと断定できません」
「弾丸は?」
「両方の弾丸に線条痕が残っていますが、変形の程度が異なります。比較できる部分について、さらに検討が必要です」
「別々の銃である可能性も?」
「あります。同じ銃である可能性も、現段階では排除できません」
会議室が静かになった。
一人の刑事が資料をめくった。
「銃の種類については?」
「九ミリ弾を使用する自動拳銃という範囲を超えて、確実に絞り込める段階ではありません」
「黄金のブローニング・ハイパワーという線は?」
鑑識担当者は首を横に振った。
「仕上げの色は、薬莢にも弾丸にも記録されません」
誰も笑わなかった。
「仮に、犯行に使われた銃が見つかったとしても、銃が金色であることだけでは、今回の事件に使われた証拠にはなりません。弾丸や薬莢との比較、銃の来歴、保管状況、ほかの証拠を合わせて判断する必要があります」
刑事は資料を閉じた。
捜査は一歩も進んでいないように見えた。
だが、違った。
少なくとも、捜査員たちは一つの結論を急いで採用することを避けられた。
二つの事件を結ぶ銃は、まだ特定されていない。
黄金銃が使われたという確証もない。
そして、セリナが撃ったという証拠も、今のところ存在しない。
それでも、彼女が疑われている事実は変わらなかった。
*
その日の夕方、セリナのスマートフォンに電話がかかってきた。
番号は表示されていなかった。
彼女は数秒間、画面を見つめた。
そして通話ボタンを押した。
「誰?」
「銃の鑑定が始まりましたね」
聞き覚えのない男の声だった。
「警察関係者?」
「そう思いたければ」
「思いたくないわね」
電話の向こうで、男が小さく笑った。
「あなたは、薬莢が何を証明するか知っていますか」
「銃についての手掛かりを与えることがある」
「では、弾丸は?」
「銃身の痕跡を残す」
「その通りです」
男は、まるで試験の答え合わせをする教師のような口調だった。
セリナは不快になった。
「何が言いたいの?」
「証拠が残るということと、真実のすべてが分かるということは違う。あなたも、警察も、それを理解しているはずです」
「あなたは、私に何をさせたいの?」
「黄金の銃を探してほしい」
「どうして?」
「あなたが無実なら、それを証明する手掛かりになるかもしれない」
「私が犯人なら?」
男は、しばらく黙っていた。
「そのときは、あなた自身が知ることになるでしょう」
「答えになっていないわ」
「答えを欲しがる人間は、答えが用意されていると思い込む。ですが、世の中には、問いそのものが間違っている場合もあります」
セリナは電話を切ろうとした。
「待って」
男が言った。
「一つだけ教えてあげましょう。黄金の銃を探している人間は、あなた以外にもいる。そして、彼ら全員が同じものを探しているとは限らない」
「どういう意味?」
「あなたは黄金の銃を見たい。誰かは、それを手に入れたい。誰かは、それを隠したい。誰かは、それが存在したという事実を消したいのかもしれない」
「あなたは、どれなの?」
男は答えなかった。
通話が切れた。
セリナは画面を見つめた。
かけ直そうとしたが、番号は残っていなかった。
「……みんな、よく喋るわね」
彼女は銀花を見た。
「肝心なことは何も言わないくせに」
*
夜、警察署に新しい報告が届いた。
銃砲店店主の遺留品から、古い紙片が見つかっていた。
小さく折り畳まれた紙だった。表面には、手書きの数字と短い文章が残されていた。
「二挺は、同じ場所に戻る」
その下には、数字が二つ。
どちらも、銃の製造番号を思わせる形式だった。
だが、片方は途中で消され、もう片方は読み取れないほど擦れていた。
刑事は紙片を見つめた。
「製造番号かどうかも、まだ分からないんですね」
「ええ。仮に製造番号だとしても、現物と照合できなければ、確かなことは言えません」
刑事は紙片を証拠袋に戻した。
彼は、亡くなった店主が最後に何を見つけたのかを知りたかった。
それが黄金の銃だったのか。
それとも、黄金の銃が存在するという証拠だったのか。
あるいは、もっと別の何かだったのか。
*
セリナはテーブルの上に、銀花を並べた。
二挺の銃を、少しずつ近づける。
彫刻の線がつながる。
枯れた薔薇と、咲いた薔薇。
翼のない天使と、翼のある天使。
二つで一つ。
彼女は、その言葉を思い出した。
黄金の銃も、二挺で一つだという。
だが、銀花は今ここにある。
一挺も欠けていない。
それなのに、誰かが黄金の銃を探している。
誰かが人を殺している。
そして、自分は疑われている。
セリナは片方の銃を見つめた。
「ねえ」
彼女は静かに言った。
「あなたたちは、何を覚えているの?」
返事はなかった。
もちろん、返事などあるはずがない。
そのとき、スマートフォンの画面が点灯した。
新しいメッセージ。
画像はなかった。
文章だけだった。
「一挺目は、もう見つかっています」
セリナは息を止めた。
続けて、もう一通。
「あなたが探しているのは、二挺目ではありません」
彼女は画面を見つめた。
一挺目。
二挺目。
誰が数えたのだろう。
何を基準に数えたのだろう。
銀花は二挺ある。
金花も二挺あると伝えられている。
では、いったい何が一挺目で、何が二挺目なのか。
セリナは顔を上げた。
二挺の銃は、黙ってそこにあった。
そのうちの一挺が、ほんのわずかに傾いて見えた。
彼女は手を伸ばしかけた。
そして、止めた。
銃は動いていなかった。
そう思った。
そう思うことにした。
窓の外で、雨が降り始めた。




