↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
16/34

第16章 最後の約束

刑事から連絡があったのは、翌日の午後だった。


『明日、会えるか』


短いメッセージだった。


場所も時間も書かれていない。


セリナは返信した。


『何の話?』


しばらくして、返事が届いた。


『お前の持っているものについて』


セリナは画面を見つめた。


それから、机の上の銀花に目を向けた。


『わかった』


返信はそれだけにした。


*


待ち合わせ場所は、都内の古い喫茶店だった。


駅から少し離れた路地にあり、店内には昼間でも薄暗い影が残っていた。壁には色あせた映画のポスターが掛かり、カウンターの奥では古い時計が音を立てていた。


刑事は窓際の席に座っていた。


コーヒーには、まだ手をつけていない。


「遅かったな」


「約束の時間には間に合ったわ」


「そういう意味じゃない」


セリナは向かいに座った。


「顔色が悪いわね」


「お前に心配されるとは思わなかった」


「私だって、人並みに心配くらいするわ」


「誰を?」


「さあ」


刑事は、ようやくコーヒーを飲んだ。


「相変わらずだな」


「あなたもね」


二人はしばらく、どうでもいい話をした。


天気のこと。値上がりしたコーヒーのこと。店主が殺されてから、この辺りを歩く人が少し減ったこと。


どれも、今日ここへ来た理由とは関係がなかった。


だが、刑事は本題を切り出さなかった。


セリナも急かさなかった。


やがて、刑事が言った。


「お前、銃を持っているな」


セリナは表情を変えなかった。


「何のこと?」


「その返事は聞き飽きた」


「なら、質問しなければいいのに」


「そうもいかなくなった」


刑事はテーブルの上に、一枚の写真を置いた。


古い写真だった。


二挺の黄金銃が、黒い布の上に並べられている。


セリナは写真を見た。


「どこで手に入れたの?」


「事件の関係資料だ」


「誰の事件?」


「まだ、事件と呼べるかどうかもわからん」


「ずいぶん曖昧ね」


「わかっていることが少ないんだ」


刑事は写真を指で押さえた。


「これとよく似た銃が、過去の複数の記録に出てくる。記録の年代も、場所も、所有者とされる人間も一致しない」


「それで?」


「その銃に関係した人間が、何人か死んでいる」


セリナは顔を上げた。


「何人?」


「正確な数は、まだ言えない」


「あなたが知らないだけ?」


「そうだ」


刑事は、あっさり認めた。


「俺は何でも知っているわけじゃない」


その言葉は、セリナには意外だった。


彼はいつも、必要な情報だけを持って現れた。知らないことを知らないと言う姿を、彼女はほとんど見たことがなかった。


「あなた、怖いの?」


セリナが尋ねた。


刑事はすぐには答えなかった。


「怖くない人間がいると思うか」


「あなたは、怖くても仕事をする人だと思っていた」


「怖いから、仕事をするんだ」


彼は写真を裏返した。


「何も怖くなければ、確かめる必要もない」


セリナは、黄金銃の写真をもう一度見た。


「私の銀花も、その記録にあるの?」


「……よく似た銃がある」


「同じものではない?」


「わからん」


「では、何を聞きたいの?」


刑事は彼女を見た。


「お前は、何を知っている?」


セリナは少し考えた。


「二挺の黄金銃があるらしいこと。王を狩る者という言葉。所有者がいないという記録。それから、金花を探している人間が、私以外にもいること」


「それだけか」


「それだけよ」


「本当に?」


セリナは微笑んだ。


「あなたは私を信用していないのね」


「信用と確認は別だ」


「便利な言葉ね」


「お互い様だと言っただろう」


刑事は写真をしまった。


「セリナ。俺はお前が何を持っていようと、何を好きだろうと、それだけで捕まえたいとは思わん」


「ずいぶん親切ね」


「だが、人が死んでいる。俺は刑事だ。そこだけは変えられない」


セリナは黙っていた。


「もし、お前が何かを知っているなら話してくれ。お前自身が関係していないなら、それを証明するためにもだ」


「私が関係していたら?」


刑事は彼女を見た。


「そのときは、そのときだ」


「私を逮捕するの?」


「必要なら」


セリナは、ゆっくりとうなずいた。


「そう」


怒ってはいなかった。


むしろ、少し安心したように見えた。


この男は、最後のところで嘘をつかなかった。


彼女が何を愛していようと、それを理由に見逃すことはできない。


そのことを、彼は最初から知っていたのだ。


「一つ、お願いがあるの」


「何だ」


「もし私が捕まったら、銀花を粗末に扱わないで」


刑事は目を閉じた。


「……お前な」


「大切なものなの」


「わかっている」


「本当に?」


「だから困っているんだ」


刑事は立ち上がった。


「今日はここまでだ。しばらく俺から連絡がなくても、探し回るな」


「どうして?」


「仕事だ」


「それは答えになっていないわ」


「今は、それしか言えない」


彼は伝票を取り、会計を済ませた。


店を出る直前、振り返った。


「セリナ」


「何?」


「銀花を、誰にも渡すな」


彼女は眉をひそめた。


「さっきと言っていることが違うわ」


「そうだな」


刑事は苦笑した。


「俺も、どうかしている」


それが、彼女の知る最後の彼の笑顔になった。


*


その夜、セリナは刑事からの電話を待っていた。


約束したわけではない。


それでも、連絡が来るような気がしていた。


机の上には銀花が二挺並んでいる。


セリナは布を手に取ったが、磨き始めなかった。


午後十一時四十二分。


スマートフォンが震えた。


刑事からではなかった。


添付された画像は、どこかの駐車場を写していた。


濡れたアスファルト。


白い照明。


その端に、見覚えのある車が停まっている。


刑事の車だった。


画像の下には、短い文章があった。


『約束の時間に、彼は来ない』


セリナはすぐに電話をかけた。


呼び出し音が鳴った。


一回。


二回。


三回。


応答はなかった。


彼女はもう一度かけた。


やはり、応答はなかった。


セリナはコートを取った。


机の上の銀花を見た。


一瞬、手を伸ばしかけた。


それから、何も持たずに部屋を出た。


*


駐車場には、パトカーが二台停まっていた。


規制線の向こうで、鑑識が動いていた。


刑事の車は、入口から離れた区画にあった。


運転席側の窓は割れていなかった。ドアにも目立った損傷はない。車内の灯りだけが点いていた。


セリナは規制線の手前で立ち止まった。


制服警官が近づいてきた。


「ここから先は立ち入り禁止です」


「中にいる刑事に用があるの」


「お名前は?」


セリナは答えなかった。


警官は彼女を見た。


その目が、ほんの少し変わった。


「……あなたが、セリナさんですか」


彼女は何も言わなかった。


警官は無線に手を伸ばした。


そのとき、奥から別の警察官が出てきた。


「こちらへ」


セリナは、その男の後についていった。


駐車場の隅に、黒いコートが落ちていた。


刑事のものではなかった。


そのすぐそばに、透明な証拠袋が置かれている。


中には、薬莢が一つ入っていた。


セリナは足を止めた。


警察官が言った。


「確認したいことがあります」


彼女は薬莢を見つめた。


「何を?」


「あなたと、亡くなった刑事との関係についてです」


セリナは顔を上げた。


「亡くなった?」


警察官は答えなかった。


その沈黙が、答えだった。


セリナは動かなかった。


雨が降り始めていた。


彼女は、刑事の最後の言葉を思い出した。


――銀花を、誰にも渡すな。


どうして、そんなことを言ったのだろう。


何から彼女を守ろうとしていたのだろう。


そして、彼は何を知っていたのだろう。


セリナは規制線の向こうを見た。


刑事の姿は、どこにもなかった。


彼女の知っている世界から、また一人、人間が消えた。


今度は、彼女を守っていた人間だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。