第11章 ただ一度、手に取るだけ
第11章 ただ一度、手に取るだけ
セリナは、三日間、何もしなかった。
正確には、何もしないように努めた。
見知らぬ番号から届いたメッセージには返信しなかった。金花の写真も開かなかった。骨董商の店にも行かなかった。
仕事をし、食事をし、眠った。
銀花の手入れも、いつもどおりに続けた。
何も変わっていない。
そう結論づけるには、十分な三日間だった。
四日目の朝、彼女は金花の写真を開いた。
「……仕方ないわね」
誰に対する言い訳なのか、自分でもわからなかった。
写真は前と同じだった。
黄金色のスライド。精緻な彫刻。使い込まれたグリップ。金属の表面に走る、細い擦り傷。
セリナは画像を拡大した。
前回は気づかなかったが、グリップの下部に小さな刻印がある。
数字だろうか。文字だろうか。
画質が悪く、判読できない。
「実物なら、すぐわかるのに」
口にしてから、彼女は画面を閉じた。
その言葉が、妙に気に入らなかった。
*
骨董商の店は、午前中から薄暗かった。
店主はカウンターの奥で本を読んでいた。セリナが入ってきても、すぐには顔を上げない。
「今日は何でしょう」
「銃の話よ」
「でしょうね」
「金花について、もう少し調べたいの」
店主は本を閉じた。
「先日、ずいぶん熱心に調べていらっしゃいましたね」
「まだ何もわかっていないわ」
「わからないことがあると、気になるものです」
「私は、わからないことが嫌いなの」
店主は彼女を見た。
「本当に?」
セリナは眉を寄せた。
「何が言いたいの?」
「謎が解ければ、手に入らないものがあるかもしれません」
「銃の話をしているのよ」
「ええ。私も、そのつもりです」
店主は立ち上がり、奥の棚から薄いファイルを取り出した。
「以前、あなたに見せた写真とは別のものです。ある収集家が、ずいぶん昔に残した複写資料です。原本の所在はわかりません」
セリナはファイルを受け取った。
最初のページには、古い銃器の写真が並んでいた。
装飾を施されたリボルバー。金メッキの自動拳銃。銀細工のライフル。
そして、最後のページ。
そこに、二挺の黄金銃が写っていた。
一挺は、これまでの写真と同じだった。
もう一挺は、スライドの彫刻がわずかに異なっていた。
王冠の下に、翼のない天使。
その胸元に、細い薔薇の蔓が絡みついている。
セリナは息を止めた。
「これ……」
店主は何も言わなかった。
彼女は写真を近づけた。
黄金銃の彫刻は、銀花のものと似ている。
似ているどころではない。
細部は違う。意匠も完全には一致しない。しかし、構図の考え方が同じだった。何かを対にして描く。片方だけでは完結しない図柄を、二挺に分けて刻む。
セリナは、ファイルのページを戻した。
二挺の銀花を撮影した古い写真。
あの写真では、王冠の先端はどちらも欠けていなかった。
次に、黄金銃の写真を見る。
こちらの王冠も、片方だけ先端が欠けている。
「この写真、いつ撮影されたもの?」
「記録にはありません」
「製作者は?」
「不明です」
「所有者は?」
「それも不明」
セリナはファイルを閉じた。
「あなた、わざと私を苛立たせているでしょう」
「まさか」
「知っていることがあるなら、最初から言いなさい」
店主は静かに答えた。
「私が知っているのは、記録が残っているということだけです。そして、その記録は互いに矛盾しています」
「どういうこと?」
「ある資料では、二挺とも一九三〇年代に存在したことになっている。別の資料では、一挺はその数十年後に初めて記録されている。さらに別の資料では、二挺とも同じ年に廃棄されたことになっている」
「廃棄?」
「ええ」
「現物を確認した記録は?」
「ありません」
セリナは、しばらく黙っていた。
「……馬鹿げているわ」
「そう思いますか」
「銃が二挺あるなら、どこかにある。誰かが作ったなら、誰かが作った。人間がやったことを、謎めいた言葉で飾り立てても仕方がないでしょう」
「そのとおりです」
店主はあっさりとうなずいた。
「ですから、現物を見つけるのが一番でしょうね」
セリナは顔を上げた。
その言葉は、ごく普通の助言だった。
それなのに、彼女の中で何かが動いた。
「……そうね」
*
店を出たあと、セリナは通りの端で立ち止まった。
ファイルの中にあった写真を、スマートフォンで撮影しておいた。
二挺の黄金銃。
そのうちの一挺は、現在も誰かが保管している可能性がある。少なくとも、最近撮影された写真が送られてきた。
送り主は、二挺目を探している人間が自分以外にもいると言った。
ならば、探せばいい。
所在がわかれば、所有者に接触する。
売却する意思があるなら、価格を交渉する。
売却する意思がないなら、実物を見せてもらえないか頼む。
もちろん、無理なら諦める。
それだけのことだ。
セリナは歩きながら、頭の中で段取りを組み立てた。
銃器の来歴を調べること自体は珍しくない。収集家同士が情報を交換することもある。古い品物の所在を追うのは、手間はかかるが不可能ではない。
そして、実物を一度見るだけなら、何も問題はない。
彼女はそこで、ふと足を止めた。
一度見るだけ。
その言葉を、頭の中でもう一度繰り返した。
なぜ、二度目を考えているのだろう。
セリナは小さく笑った。
「欲張りね、私も」
*
その晩、彼女は古い銃器収集家の知人に連絡した。
金花の写真を送り、製作者や所有者に関する情報がないか尋ねた。
返事は翌朝に届いた。
知人は写真を見たことがあるという。
ただし、実物を見たことはない。
数年前、ヨーロッパのある収集家が、似た銃の存在をほのめかしていた。公の場には出さず、売却の意思も示していなかったという。
その収集家の名前は、わからない。
ただ、彼が残した短い文章があるらしい。
知人はその一節を送ってきた。
「この銃を手にした者は、もう一挺を探し始める」
セリナは文章を二度読んだ。
それから、鼻で笑った。
「ずいぶん大げさな話ね」
だが、文章を削除することはしなかった。
*
深夜。
セリナは銀花を清掃していた。
布を動かし、金属の表面を確かめ、彫刻の溝に残ったわずかな汚れを取り除く。
いつもと同じ作業。
いつもと同じ手触り。
銀花は、彼女の手の中にあった。
「あなたたちは、何も心配しなくていいのよ」
彼女は言った。
「別に、あなたたちを捨てるわけじゃないんだから」
言いながら、彼女は手を止めた。
自分が、誰に何を説明しているのか。
考えたくなかった。
セリナは清掃を終え、二挺を並べた。
そして、スマートフォンを手に取った。
知人から送られた文章を開く。
「この銃を手にした者は、もう一挺を探し始める」
セリナは画面を見つめた。
それから、返信欄に短く打ち込んだ。
「その収集家と連絡を取る方法は?」
送信したあと、彼女はスマートフォンを伏せた。
今度は、言い訳をしなかった。
金花が欲しい。
少なくとも、実物を見たい。
その気持ちは、もう否定できなかった。
机の上では、銀花の二挺が並んでいた。
銀色の表面に、部屋の灯りが映っている。
セリナはそちらを見た。
「……浮気じゃないわよ」
誰も聞いていなかった。
そして彼女自身も、その言葉を信じてはいなかった。




