第十章 所有者のいない銃
セリナは、朝食を食べる前にスマートフォンを開いた。
昨夜のメッセージを、もう一度読む。
「あなたの二挺は、まだ銀色ですか?」
質問の形をしている。
だが、質問ではない。
送り主は、彼女が銀花を二挺持っていることを知っている。しかも、ただの銀色の拳銃ではなく、彼女が自分の銃をどう呼んでいるかまで知っている可能性がある。
問題は、どこから情報を得たのかということだった。
セリナはメッセージの詳細を確認した。電話番号は表示されているが、検索しても何も出てこない。画像の送信元を追えるような情報もなかった。
彼女は返信欄を開いた。
「誰?」
入力して、消した。
「どこでこの銃を手に入れたの?」
これも消した。
相手が何者であれ、こちらの情報を与える必要はない。
しばらく考えた末、彼女は短く打ち込んだ。
「黄金銃を見せて」
送信。
数秒後、既読がついた。
返事はなかった。
「感じの悪い人ね」
セリナはスマートフォンをテーブルに置いた。
それから、朝食を作った。
トーストを焼き、コーヒーを淹れ、バターを塗る。いつもと同じ朝だった。
違っていたのは、食べ終わるまでに三度、スマートフォンを確認したことだった。
返信はなかった。
*
午後、セリナは古い骨董商の店を訪れた。
白髪の店主は、彼女を見るなり言った。
「また銃の話ですか」
「あなた、私が銃以外の話をしに来ると思っていたの?」
「思っていませんでした」
「なら、話が早いわ」
彼女はスマートフォンを差し出した。
画面には、黄金銃の写真が表示されている。
店主は眼鏡をかけ、しばらく画像を眺めた。
「これは、前に見せていただいた写真とは違いますね」
「ええ。新しいものよ」
「誰から?」
「知らない番号から」
店主は顔を上げた。
「それを、信用しているのですか?」
「していないわ」
「では、なぜここへ?」
セリナは少しだけ考えた。
「あなたなら、何かわかるかもしれないと思って」
「私が何でも知っているように見えますか」
「いいえ。何も知らないふりが上手そうに見えるの」
店主は、初めて少し笑った。
「それは困りましたね」
彼は画像を拡大した。
銃のスライドに刻まれた王冠。二頭のライオン。棘のある薔薇。古い写真と同じ意匠だが、現代の写真では彫刻の細部まで確認できる。
店主は画面を指でなぞった。
「この彫刻は、かなり手が込んでいます。装飾として美しいだけではない。線の配置に、何か意図がある」
「意図?」
「左右の銃で、図柄が対になっていたのでしょう」
「片方は、まだ見つかっていない」
「そう聞いています」
セリナは彼を見た。
「誰から?」
店主はスマートフォンを返した。
「古い話です」
「便利な言葉ね。古い話、失われた記録、わからない所有者。謎を説明する代わりに、何でもそこへ放り込める」
「謎を解きたいのですか?」
「銃を見たいの」
答えは即座に出た。
店主は何も言わなかった。
セリナは続けた。
「実物を見たい。表面の仕上げを確かめたいし、彫刻の深さも知りたい。できれば、製造時期を推定したい。銃器としての状態も気になるわ」
「それだけですか?」
「それ以外に、何があるの?」
彼女はいつもの調子で言った。
店主は、彼女の顔を見つめていた。
その視線に、セリナは少し苛立った。
「何よ」
「いえ。ただ、あなたは銀花をとても大切にしている」
「当然でしょう」
「それなのに、まだ手にしたこともない銃のために、こうして足を運んでいる」
「珍しい銃だからよ」
「美しいから、ではなく?」
セリナの表情が止まった。
店主は静かにスマートフォンを置いた。
「失礼。余計なことを言いました」
「そうね」
彼女は写真を取り戻した。
「ずいぶん余計なことを言う人だわ」
*
その夜、セリナは金花について調べた。
検索語を変え、言語を変え、古い銃器の収集家が集まる掲示板も確認した。
黄金仕上げのブローニング・ハイパワー。
王冠と二頭のライオン。
一九三〇年代のヨーロッパ。
第二次世界大戦前後の外交贈答品。
断片的な記録はいくつか見つかった。しかし、どれも決定的なものではなかった。
金色のハイパワーが実在したこと自体は、特別不思議な話ではない。金メッキや彫刻を施した銃は、装飾品や贈答品として製作されることがある。
だが、セリナが探しているのは、ただ金色に仕上げられた銃ではなかった。
二挺の組み合わせ。
王冠の欠け。
銀花との共通点。
そして、所有者の記録が不自然なほど途切れていること。
彼女は古い資料の画像を開いた。
ある収集家が掲載した、出所不明の銃器目録だった。
紙は黄ばんでいる。文字は薄れ、何か所かが黒く塗り潰されていた。
その中に、短い記載があった。
――特別製拳銃、二挺。
――仕上げ、黄金。
――一挺、所在不明。
――一挺、返却。
最後の一語に、セリナは目を留めた。
返却。
誰に。
何を理由に。
彼女は画像を拡大した。
記録の端に、手書きの記号があった。
王冠と、向かい合う二頭のライオン。
その下に、小さな文字。
「所有者なし」
セリナは椅子の背にもたれた。
「……何なのよ、これ」
誰かが銃を所有していたはずだ。
誰かが製作を依頼したはずだ。
誰かが運び、保管し、売り、あるいは譲ったはずだ。
銃は人間の手で作られる。
人間の手から手へ渡る。
そこには必ず、何らかの記録が残る。
それなのに、この二挺については、記録があるたびに所有者の名前だけが消えていた。
偶然かもしれない。
戦争で失われた記録など、いくらでもある。
セリナはそう結論づけた。
結論づけたはずだった。
スマートフォンが震えた。
例の番号からだった。
今度は文章ではなく、画像が一枚届いていた。
黒い布の上に置かれた黄金銃。
前と同じ銃だ。
しかし、今回は銃の隣に、もうひとつの品物が写っていた。
小さな木製の箱。
蓋には、王冠と二頭のライオンが彫られている。
セリナは画面を凝視した。
それは、彼女が骨董商の古い写真で見た箱と同じ意匠だった。
箱の蓋は半分だけ開いている。
内部は暗く、何も見えない。
写真の下には、一文だけ添えられていた。
「二挺目を探しているのは、あなた一人ではありません」
セリナはすぐに返信した。
「誰が探しているの?」
既読。
数秒後、返事が届いた。
「あなたが、まだ知らない人たちです」
セリナは唇を噛んだ。
「名前を言いなさい」
返信はない。
「黄金銃はどこにあるの?」
今度も、返事はなかった。
彼女はスマートフォンを握りしめた。
画面に映った自分の顔は、ひどく不機嫌だった。
恐怖のためではない。
腹が立っていた。
銃の写真を送りつけておいて、肝心なことは何ひとつ答えない。所有者も場所も明かさず、思わせぶりな言葉だけを並べる。
こんなものは、情報ではない。
広告だ。
セリナはそう思った。
そして、もう一度、写真を開いた。
黄金銃のスライドに映る光。
彫刻の細い線。
グリップの木目。
彼女は画面を拡大し、細部を確認した。
それから、思わずつぶやいた。
「……いい仕事ね」
口にした瞬間、彼女は手を止めた。
誰かに聞かせるつもりはなかった。
ただ、本当にそう思ったのだ。
あの銃は美しい。
それだけは、否定できなかった。
*
深夜。
セリナは銀花を机の上に並べていた。
いつもなら、清掃を終えた銃をケースに戻し、鍵をかける。
だが今夜は、そうする気になれなかった。
二挺を並べたまま、彼女は椅子に座っていた。
銀花は美しい。
長い時間をかけて手入れをし、細部まで知り尽くした、自分の銃だ。
彼女はその美しさを疑ったことがない。
黄金銃の写真を見たからといって、銀花の価値が下がるわけでもない。
それなのに。
まだ実物を見てもいない銃が、頭から離れなかった。
セリナは右の銀花を手に取った。
「ねえ」
当然、返事はない。
「私はあなたたちを手放したりしないわ」
言い終えてから、彼女は眉をひそめた。
なぜ、そんなことを言ったのだろう。
誰かに誤解されたわけでもない。
誰かに手放せと命じられたわけでもない。
ただ、自分がそう言う必要があるように感じた。
セリナは銃を置いた。
窓の外では、雨が降り始めていた。
机の上のスマートフォンが、暗い画面のまま光を反射している。
その黒い画面の中で、銀花の二挺が並んでいた。
セリナはしばらく、その反射を見ていた。
そして、スマートフォンを裏返した。
「馬鹿馬鹿しい」
彼女は立ち上がり、部屋の灯りを消した。
暗闇の中で、銀花は何も語らなかった。
だが翌朝、彼女が目を覚まして最初に考えたことは、朝食でも仕事でもなかった。
金花は、どこにあるのだろう。
セリナは目を閉じた。
そして、もう一度だけ、その問いを頭の中で繰り返した。




