第7話 同期が同期しない!
ピッ
通用口の端末に”出勤 十六時四十八分”と出る。打刻した女の子はその場を動かずに胸のポケットから出した小さなメモ帳に何か書いている。その後ろで真田 皐月は足踏みをしている。
――早くどいて。こっちは国道の坂を立ち漕ぎで上がって来たのよ
「あの、いいですか?」
女の子はメモ帳を胸に抱いて横へ一歩引き、きっちり斜め三十度に頭を下げる。
「……すみません。打刻の時刻を書いてました。書いておくとあとで合っているかわかるので」
――何と合わせるのよ
皐月も打刻する。”出勤 十六時四十九分”。女の子はそれもちらりと見るが書きはしない。
「もしかして新しい人?」
「……三回目です」
「私、十一回目!」
勝ったが何にかはわからない。
「真田皐月。高二。月水金土」
「……甘利 七海、です。高二です。火木土です」
重なるのは土曜、今日である。
「同期じゃん」
甘利はもう一度同じ角度で頭を下げる。声が小さくて換気扇の音に半分くらい負けている。
*
更衣室で皐月はしゃべりながら着替える。学校は霞ヶ丘、部活はやってない、ここの制服のリボンは面接の時から狙っていた。甘利の返事は「……かわいいです」だけである。
シャツのボタンは上から二つ目まで。一番上は喉が苦しいので後回しにしてそのまま忘れる。狙っていたリボンはロッカーの扉の小さな鏡に顎を映しながら手探りで結ぶ。
隣の甘利はとっくに着替え終わって鏡の前で一番上のボタンとリボンの結び目と前髪を確かめ、もう一度ボタンに戻る。点検、二周目。
*
十七時。事務所のホワイトボードには”研修 真田・甘利 十七時四十五分まで事務所 そのあと喫茶のみ”と書いてある。
高坂 克が二人を上から下まで一度だけ見る。一番上まで留めたボタン、まっすぐなリボン、眉の上の前髪、短い爪、黒い靴と、甘利には直す所がない。高坂の目は甘利の上を通り過ぎて皐月の喉元で止まる。
「皐月。ボタンは一番上まで。それとリボンが右に曲がってる」
――ロッカーの鏡が小さいのよ。顎までしか映らないんだから
ボタンをはめると喉がきゅっと締まる。リボンを直したところで高坂の目が皐月の右の手首に降りる。緑色のカエルが文字盤の真ん中で笑っている。
「時計も」
「え、時間わからなくなるじゃないですか」
「時間は壁の時計で見る。食べ物を扱う手に物を付けない」
――カエルは食べ物に触りません
更衣室へ早足で行って腕時計をロッカーに放りこみ、戻ると甘利がメモ帳を開いている。のぞくと”ボタンは一番上まで。リボンは曲げない。時計は外す。”とある。
「私が言われた事を?」
「……はい。私も気をつけるので」
――ありがたいけどなんか嫌
甘利の手首には、はじめから何も付いていない。
高坂は業務用のタブレットを机に置く。
「今日は喫茶をやる。土曜の夜は十九時台に食後のデザートが重なる。喫茶の作業台に手が一本増えるだけでデシャップの回り方が変わる。それと喫茶には写真がある。作ったら写真と並べれば自分で答え合わせが出来る」
甘利のペンが一字も落とさない速さで紙の上を走る。
「四十五分までここで動画と手順書。済んだらパントリーに来い」
それだけ言って高坂は出ていく。
*
研修動画の題は”研修中の決まり”で、皐月は二回目、甘利は一回目である。
「これ前にも見た。甘利さんはちゃんと見て」
――なんで私が先輩ぶってるのよ。一回違うだけなのに
『研修中に一人で客席にいる時、お客様に呼ばれたら「係の者を呼んでまいりますので少々お待ちくださいませ」とお伝えして係の者を呼びます。ご注文はお伺いしません』
「取れるのにね、注文くらい」
甘利は答えずに書いていて、皐月が手元をのぞくと句点まで同じである。
皐月もポケットから休憩室のメモ用紙を四つに折った紙を出す。
”一人で呼ばれたら→人を呼ぶ。注文×”
書いてポケットに戻し、それきり出さない。
喫茶の手順書に移ると画面にチョコレートパフェの写真が出る。足のついた背の高いグラスで外からチョコソースとコーンフレークと白いホイップの輪が地層の様に見える。その上にバニラとチョコのアイスが二つ、奥に真っ白なホイップの山。手前のアイスにチョコソースが細く三本、ウエハースとさくらんぼ。
「おいしそう」
「……七百五十九円です」
「値段は聞いてない」
手順書は十一の手順に分かれていて甘利は①から書き写す。
”①グラスを置く ②底にチョコソース ③コーンフレーク ④ホイップを内側に一周 ⑤ブラウニー三つ(角切り) ⑥アイス二つ(バニラ・チョコ)すくったらすぐに盛る ⑦上のホイップをアイスの奥に ⑧チョコソースを細く三本……”
皐月は画面をどんどん送る。
「要するに、下からソース、フレーク、クリーム、ブラウニーでしょ。アイス乗っけて、クリームとソースで、ウエハースとさくらんぼ」
「……⑦と⑧の順番があります」
「大体わかった」
十七時四十四分、甘利が⑪の最後の句点を打つ。
*
十七時五十分、パントリーの喫茶作業台。アイスストッカーの前に、前髪を黒いピン二本できっちり留めた高三の女子が立っている。
「研修の子? 駒井よ、よろしく。ちょうど一個入ったから作る。見てて」
作業台の画面に卓番と”チョコレートパフェ 一”の表示が出て横で数字が一つずつ増えている。駒井はその横の灰色の表示を指で弾く様に指す。
「灰色は食後のやつ。まだ作んない。お客様がタブレットで頼むか、フロントがハンディで『出す』を押したら白くなるから。白くなったら数えるよ」
甘利が口の中で繰り返して書く。
駒井は速い。底にチョコソース、コーンフレークをざっと入れ、ホイップでグラスの内側をくるりと一周、ブラウニーを三つ。水が細く流れ続ける筒からディッシャーを抜いて、バニラ、すすいでチョコ。
「アイスはすくったら置いとかない。すぐ盛る」
そこで駒井はチョコソースを手前から奥へ細く三本引く。三本ともアイスの手前の半分ですっと切れる。それからアイスの奥にホイップの山を一つ。ウエハースとさくらんぼを挿して受け皿に載せ、長いスプーンを添えて、布巾でグラスの縁をひと拭き。壁の写真と並べると白い山も三本の線も写真のままである。
「ほい。こういうのは写真どおりになればいいんだよ」
駒井はパフェをデシャップ台へ置きにいく。
皐月は頭の中で、アイス、アイス、ソース、クリーム、と駒井の手を二度なぞってそれで覚えた。
甘利はメモ帳を見ている。⑦がホイップで⑧がソースだが駒井の手はソースが先だった。ペンの先が⑦と⑧のあいだで止まる。
「わかった?」
「わかりました!」
戻って来た駒井に皐月が答え、甘利はメモ帳を閉じる。
*
十八時半、客席B。皐月は大学生の曽根の横に立っている。背が高くていつも眠そうな目のまま、空いた卓を三つ皐月の半分の時間で片付ける人である。
曽根が担当ルームのバッシングに出ると、それを追う様に料理を載せたニゴーが続く。
ピ、と鳴いてニゴーがパントリーから客席へ出る角で止まるので皐月も止まって白い縦縞を横目でにらむ。
――今日は喫茶の日。パフェは人が作るのよ、二号
卓を拭きながら曽根が入口のほうへ「レジお願いしまーす」と声を投げると、デシャップ台から高坂の低い声が飛んでくる。
「曽根。言い方」
「はーい」
帰り支度をするお客様の背中で「レジお願いしまーす」と言えば、払わずに出ないか見張っている様にも聞こえる。接客八大用語にのってない霞ヶ丘店のルール。
曽根は眠そうな目のまま拭く手を止めない。皐月が入口を見ると仁科はもうレジの内側にいる。
――言い方? 接客八大用語にのってないから?
皐月はまだ理由を教わってない。
同じ頃、甘利はパントリーで紙ナプキンの束を揃えてケースに入れ、角をもう一度揃えている。
「甘利ちゃん、そこまでしなくていいよ」
「……すみません」
「謝んなくていいけど」
ハンバーグの皿を持って通りすがった駒井に言われても、甘利は揃え続ける。パントリーの出入り口から見える二十六卓は子ども二人の家族連れでハンバーグの皿がちょうど空になるところだが、甘利は客席には出ない。
*
十九時十分。作業台の画面に灰色の表示が一つ出る。”二十六卓 チョコレートパフェ 二 食後”。
出入り口の向こうで二十六卓の女の子がタブレットに指を伸ばす。
ポン
表示が白に変わって数字が動き出す。白になったら数える。甘利はパントリーの出入り口に立って、声を出そうとして出さずに右手をまっすぐ上げる。
客席Bで皐月がそれを見つける。
「曽根さん、二十六卓のパフェ入りました!」
「じゃ、先に下げてから。皿の上にパフェ置けないでしょ」
皐月は二十六卓で腰を落として「失礼致します。お下げしてもよろしいでしょうか」と伺い、母親がうなずくのを見てから鉄板を二枚、ライスプレート、スープのカップ、ナイフとフォークをトレーに載せる。持ち上げると手首がぐっと沈む。この上に背の高いグラスを持って来たら女の子の膝のすぐ上で皿をどける事になる。倒れていくパフェが目に浮かんで背中がひやりとした。
下げ口に皿を置いて皐月が声を弾ませる。
「二つ! 一個ずつね!」
二人の前にグラスが二つ並んだところで駒井が後ろから画面をのぞく。
「そっちが真田さん、こっちが甘利ちゃん。落ち着いてやれば――」
「駒井。十六卓、ステーキ持ってって」
デシャップ台から高坂の声が飛ぶ。駒井は熱い鉄板を載せたトレーを持って窓側の十六卓へ出ていき、作業台には研修中が二人残る。デシャップ台までは三歩で高坂はそこで皿を並べている。
*
皐月は速い。
ソース、フレークをざっ、ホイップをくるり、ブラウニーを三つ。
――アイス、アイス、ソース、クリーム
バニラ、すすいでチョコ。ソースを手前から奥へ三本、アイスの奥の端まで引き切り、その上にホイップの山。ウエハース、さくらんぼ、受け皿、スプーン、布巾。
――出来た。駒井さんと同じ速さ
駒井の手をそのまま覚えたのだから壁の写真は見るまでもない。
隣の甘利のグラスにはバニラとチョコのアイスがきれいな丸で二つ並んでいる。甘利は右手でホイップの袋を、左手でチョコソースのボトルを取ってそこで止まる。
メモ帳には⑦ホイップ、⑧ソース。さっきの駒井はソースが先だった。甘利の目がメモ帳と右手と左手を順に行き来する。三歩先に高坂の背中が見えていて、甘利の口が少しだけ開いて閉じる。
画面の表示が白から黄色に変わる。
皐月は自分のグラスを受け皿ごと光にかざしている。
「店長! チェックお願いします!」
*
高坂が三歩来る。画面の表示はもう赤い。
右の皐月のグラスはウエハースもさくらんぼも載って縁も拭いてあるが、左の甘利のはアイスが二つ載っているだけである。バニラの丸から白い筋が一本くびれのほうへ流れ落ちて、チョコは表面をてらてら光らせながら少しずつ低くなっている。
高坂は壁の写真と二つのグラスを見比べる。
「だめだ。二つとも。皐月、写真の横に並べてみろ」
並べると写真のホイップの山は真っ白なのに、皐月の山は裾に茶色い線が三本かかって泥はねをかぶった様に汚れている。ソースを奥まで引いてからクリームを載せたせいである。
――駒井さん、線を途中で切ってたんだ。そこは見てなかった
駒井の手をなぞったとは言わない。
「甘利。アイスが崩れてる」
甘利の肩が小さく上がる。高坂は二人に同じ調子で短く一つずつ言う。
「お客様はこの写真を見て頼んでる。写真と違う物は頼まれてないものだ。盛ったアイスは待たない。崩れたアイスは戻らない。それから、この二つは同じ卓に並ぶ。子どもが二人だ。隣のと必ず比べる」
それから甘利のほうを向く。
「甘利。どうして止まった?」
甘利はホイップとソースを両手に持ったまま答える。声の調子は通用口で打刻の時刻を書いていると言った時と変わらない。
「……教わったとおりにしました。手順書とさっきの見本が違ったので」
小さいがはっきり聞こえる声である。それ以上は言わない。言い終わった一瞬だけ甘利の目が高坂の手のほうへ落ちて首がすくむ。叱られるのを待つ縮こまり方で、それもまばたき一つのあいだに引っこむ。皐月は写真と自分のグラスを見比べていて、聞こえたのは落ち着いた声だけである。
高坂は言い返さない。
――手順書と見本が違うとったんは店の落ち度や
高坂はパントリーの出入り口の向こうに目をやる。
二十六卓には水のグラスが四つ残っているだけである。女の子が椅子の上に膝で立ってこちらを見ていて、母親が肩を押さえて座らせてもすぐまた膝で立つ。
白に変わってから五分で卓へ。この三週間、作業台に立つクルーに高坂が言い続けてきた数字を表示はもう越えていて、作り直せばその倍になる。自分がグラスを二つ並べて作れば二つともすぐに出来上がる。
――俺が作ったらすぐや
高坂は手を出さない。
「作り直し。一回だけだ、お客様が待ってる」
――待たせとるんは俺や
*
皐月は今度は壁の写真を見ながら作る。
「パフェ、まだぁ?」
「もうすぐよ。お姉さん達が作ってくれてるから」
「さっきも、もうすぐって言ったぁ」
出入り口の向こうから届く女の子の声はさっきより高くて語尾が少し震えている。
――ごめん、いま作ってる
アイスを二つ盛ると今度はソースでは無く⑦のホイップを先に取って、アイスの奥に真っ白な山を一つ。⑧のソースは写真の線の長さを見ながらアイスの半分で手首を返して切る。茶色い線は白い山まで届かない。
隣の甘利もさっきより手が速い。⑥でアイスを二つ盛ると右手がそのままホイップを取って今度は止まらない。⑦、⑧、ウエハース、さくらんぼ。
二つのグラスがほとんど同時に受け皿に載る。
「店長、お願いします」
白い山が二つ、三本の線が二組、同じ高さに揃っている。
「よし、次」
――それだけ。知ってたけど
「甘利、表示を消して」
甘利が画面の赤い表示に触れて消したところへ、空のトレーを持った駒井が戻って来る。作業台の端のステンレスのバットに、崩れたパフェと裾が茶色いパフェが一つずつ並んでいる。
「あれ、なんかあった?」
「なんでもないです!」
皐月が先に言う。駒井は「ふーん」と二つのパフェをトレーに載せて二十六卓へ出ていく。
甘利はメモ帳の⑥と⑦のあいだに小さな字で書き足す。
”⑥のあとは止まらない”
”二つは同じにする”
――言った。店長に顔色一つ変えずに
皐月は駒井の手をなぞった事を言えなかった。甘利は一字一句メモを取って、そのうえ店長に言い返したのである。
――完璧じゃないこの子
皐月は奥歯を噛む。噛むと顔が怖くなる。
*
二十六卓の女の子は椅子の上で膝を抱えて下唇を突き出していて、目のふちが赤い。頭をなでる母親の手を首を振ってはらう。鼻をすする音が一つ、出入り口まで届く。
「お待たせ致しました。チョコレートパフェでございます」
駒井が男の子と女の子の前にパフェを一つずつ置くと、女の子の突き出していた下唇がぽかんと開いたまま止まる。男の子が自分のパフェと妹のパフェをウエハースの角度まで見比べる。
「おんなじ!」
女の子は長いスプーンを握って赤い目のまま足をばたつかせている。
皐月はふっと息を吐いて振り返る。視線の先は店長。
デシャップ台の高坂がキッチンから上がった皿を片手に持ったまま客席へ視線を向けている。見てるのはスプーンを握ってばたばたしている女の子の顔である。女の子が一口目を頬ばった時、高坂の肩が指一本ぶんくらい下がる。それから皿を置いて次の卓の番号を押す。
――何見てたの。パフェならさっき写真と並べて見たじゃない
もう一度見た高坂の横顔は、いつもの顔に戻っていた。
隣の甘利は二十六卓を見ずにメモ帳の入った胸のポケットにそっと手を当てている。
――ニゴーの次はあなたよ。甘利七海
皐月は客席へ出る角で止まり、腹の中で一つ数えてから客席Bへ出ていく。
*
二十一時四十五分。
「研修の二人、上がって~。皐月ちゃん、今日パフェ屋さんだったんだって~?」
「なんで知ってるんですか?」
「店長が写真と並べてたから~」
仁科の間のびした声に送られて休憩室の前まで来ると、壁に十月十六日から三十一日までの紙のシフト表が貼ってあって、三十一日の欄に高坂の手書きで名前が二つ足してある。
”真田 甘利”
「三十一日。ハロウィンじゃん」
甘利はメモ帳に書く。”十月三十一日(土) 十七時 真田さんと”。
「それも書くの?」
「……忘れるといけないので」
通用口の端末に並ぶ。”退勤 二十一時五十六分”。”退勤 二十一時五十七分”。甘利はまた書いている。
*
駐輪場の灯りが、じじ、と鳴っている。
皐月は自転車のスタンドを蹴り上げて振り返る。
「甘利さん。次は負けないから」
甘利は自転車の鍵を持ったまま止まる。
「……何の試合ですか?」
答えは返ってこない。皐月はもう立ち漕ぎで国道のほうへ出ていて、街灯の先に消えて行く。
甘利はメモ帳を開いて灯りの下で書く。
”真田さん 試合(?)”
ペンをしまって誰もいない出口に向かってきっちり斜め三十度に頭を下げる。
本日の売上 計画 682,000円/実績 532,651円(計画比78.1%)
本日の客数 計画 443人/実績 344人(計画比77.7%)
本日の客単価 計画 1,540円/実績 1,548円
今月の累計 売上 前年比97.7%/客数 前年比94.6%




