第6話 猫の手に負けました(後編)
「見てもらえますか!」
「ほう」
空のトレイを持った皐月が、角田の卓の横からパントリーの出入り口の角まで歩いて止まり、腹の中で”いち”と数える。
「体が前へ行っとる。減点十」
戻ってもう一度。
「数える前に動いとる。減点十」
三度目。
「……今のはよし」
「よし!」
「顔が怖い。減点五。力むやつ程止まれん」
十八時。デシャップ台に立った高坂からは、角で止まってはお客様に採点されている研修生が見える。高坂は何も言わずに皿を並べる。
入口のチャイムが続けて鳴る。金曜のディナーピークの始まりである。
「行け。ここから見とってやる」
行きかけた皐月を、角田が卓のタブレットを指して呼び止める。
「これで人を呼ぶのはどこだ」
画面の隅の”店員を呼ぶ”を指の腹でぽんと押すのだと皐月が教えると、太い指がゆっくり降りて来た。
ピロン♪
パントリーのモニターに”三十五卓”が灯る。
「はい、ただいまお伺い致します」
目の前で答えた皐月に、角田がまた笑う。
「鳴ったな」
「お食事が終わったらこれを押してください。お皿を下げに私が来ます。止まるところ見ててください」
*
十八時半のピークに、皐月は料理を運んで奥の二人席の前を何度も通る。そのたびに角田の人差し指が一本立つか、首が横に振られる。首が振られるたびに奥歯を噛むので、顔が怖くなる。
「三十五卓、和風ハンバーグ」
高坂がニゴーに皿を載せて番号を押す。猫の顔をした配膳ロボットはピ、と鳴いて一番近い奥の二人席へ出ていった。
「お待たせ致しました。二段目のお料理をお取りください」
角田の手がゆっくり皿を自分の前まで運ぶ。
「ごゆっくりどうぞ」
卓に着いてから三十秒で、ニゴーはくるりと背を向けた。その白い背中に角田がつぶやく。
「満点だな」
ちょうどライスの皿を持って通りかかった皐月の耳は、その二文字だけを拾った。最後の一皿は人が運んで”お揃いでしょうか”を言う。高坂が決めたメイプルのやり方である。
――あの猫に満点。私は減点十なのに
背中に火がついたまま、卓の手前で止まる。
――いち
「お料理はお揃いでしょうか」
「揃った」
「ごゆっくりどうぞ」
言ってから、ニゴーと同じ台詞だと気づく。角田の人差し指が一本立った。
*
十八時五十分、モニターに”三十五卓”が灯る。高坂に顎で奥を指されて行くと、角田は空の皿の前で腕を組んで待っていた。
「押せたぞ」
「はい。聞こえました」
角田の口の端が少し持ち上がる。皿を下げて戻ると、角田は立ち上がっていた。
「コーヒーを淹れる。あんた前を歩け。わしが後ろから見る」
入口の仁科がこちらを見て、行けと手を振る。
ドリンクバーで角田が淹れたコーヒーは、カップの縁のすぐ下までなみなみである。
「あの、お客様それ持って歩くの危な……」
「前を歩け」
皐月が歩いて角で止まる。
振り返ると角田も止まっていた。手の中のコーヒーの面は鏡の様に平らで、湯気だけが揺れている。
――この人ほんとに止まってる。あの猫とおんなじ。ううん、あの猫より
次の角では足の裏で床をつかみ、肩を落とし、息を止めない。奥の二人席の手前で最後の一つ。
――……いち
「……今のは止まっとった」
「何点ですか!」
角田は席に座ってコーヒーをすする。一滴もこぼれていない。
「仮免だな」
皐月の胸の名札には”研修中”とある。
角田はもう一口すすった。
*
十九時。角田は教わったとおり”お会計”を指の腹で一度で押した。合計の金額が画面に大きく出る。
「払う字だけ大きい」
吹き出しかけた皐月は、角田と並んでレジへ歩く。角ごとに二人で止まる。レジで待っていた仁科に角田が言う。
「あんたはいつも呼び鈴一回で来た。採点しとったからな」
仁科の笑顔が一瞬だけ固まる。何点だったのかは聞かない。
自動ドアの前で、皐月は深く頭を下げる。
「ありがとうございまし――」
止まる。
――いち
「……ありがとうございます。またお越しくださいませ」
「来週、本免の検定に来る」
「はい! それまでにあの猫を抜いておきます」
角田は少し黙って、パントリーのほうを一度だけ見た。
「猫は抜かんでいい」
それだけ言って国道の暗がりへ出ていく。閉まったドアに映った自分の顔を皐月はにらむ。
――抜かんでいい。どうせ抜けないって事。上等じゃない
*
パントリーに飛びこんで来た皐月が、デシャップ台の高坂に言う。
「仮免貰いました。角で止まれました。いちって数えるんです、止まったら腹の中で!」
高坂は上がった皿を確かめてデシャップ台に置く。
「次」
「……それだけですか」
――何よそれ。ニゴーに勝つまでは認めないってわけね
皿を持ってパントリーの出入り口の角で止まると、料理を載せたニゴーとちょうど鉢合わせた。二つの縦縞が鼻先を突き合わせる。
「恐れ入ります。お通しください」
皐月はニゴーの笑った目を見下ろして、一歩横へ引く。
「……お先にどうぞ。二号」
ピ、と鳴いてニゴーは出ていく。入口から仁科の声が飛んでくる。
「お、ニゴーって呼んだ~」
「番号で言っただけです!」
高坂は皐月の背中を見送らずに次の皿を並べる。
――角で止まるんは猫の方がうまいわ。そらそうや、そういう機械やからな。せやけどあのおっちゃんに一時間付き合うたんはあいつや。
高坂は口をへの字にして次の卓の番号を押す。
キンコン♪
レディコールが鳴り、皐月が早歩きの速いのでパントリーに戻って来るのが見える。
――でも褒めたら調子に乗るやろ、あのアホは
本日の売上 計画 435,000円/実績 422,220円(計画比97.1%)
本日の客数 計画 290人/実績 279人(計画比96.2%)
本日の客単価 計画 1,500円/実績 1,513円
今月の累計 売上 前年比98.9%/客数 前年比95.7%




