第3話 髪対応(後編)
窓際の十四卓。
若い夫婦の前で頭を下げる祥子。新たに入店して来た年老いた常連がその光景に一瞬戸惑うが、無言で一つ空席を挟んだ十二卓に座る。
――気分が悪いからもういらないって事? だったらどうするの。わからない、どうしたらいいのかわからないよ。もう聞くしか無い。
「申し訳ございません。どうすれば良いんでしょうか?」
「そんなの自分で考えてよ」
憔悴しきった目で、すがる様に男を見上げる祥子に男は冷笑しながら言い放つ。
祥子は疲れきった様に再び俯く。涙が一滴、頬を伝う。保育園に預けている最愛の一人息子の笑顔がまぶたにうつる。
『それでもダメなら直ぐに店長に報告』
『店長が居なかったら?』
『代金はいらないから追い返しちゃえ』
『は?』
『接客は有料のサービスであって奉仕じゃない。お客様はお客様であって神様でもない。その人はウチに合わなかっただけで、他のレストランに行ってもらえばいい。な~に星の数程レストランはあるんだから自分にあうところに行ってもらえば良いだけさ』
高坂の悪戯っぽい笑顔が、少しだけ祥子の気持ちを楽にする。
「……申し訳ございません、お代金は結構です」
赤い目で必死に涙をこらえて祥子は声を振り絞る。男は興味無さそうにチラリと祥子を一瞥する。
「は? なんだそれ、金は払うよ。それじゃまるで俺がクレーマーみたいじゃないか」
祥子の想像もしてなかった男の返答に、万策尽きたかの様に祥子は立ちすくむ。
ダン!
「ねぇ、あんた、”女に嫌われる男の第三位”何か知ってる?」
手に持ったナイフを食べかけの日替わりランチのハンバーグに突き刺して、妻が夫に問いかける。今まで無関心の様に見えた妻の夫を見る目は、冷め切っている様に見えた。
「な、なんだよ急に……」
「第三位は、抵抗できない相手に威張り散らす男」
「俺は別にそんなつもりで……」
「そう周りに見えてる事が問題なの」
そう言うと、妻は祥子に振り返り「ごめんなさい、もういいわよ」と伝える。無言で一礼して祥子は下がる。
パントリーに戻った祥子は、他のお客様の料理がデシャップカウンターに並び、キッチンの三枝 知美が自分で作った料理を自分で運んでいる姿を見た。今ここには三枝と自分しかいない。クレームに時間を取られた事で他のお客様を疎かにする事は許されない。ボロボロになった自分が感傷に浸る暇も無い。
「祥子さん、料理提供は私がするから十二卓のオーダーに行って!」
「は、はい!」
十二卓に向かう途中で十四卓の前を通ると、先程の夫婦がケンカをしている最中であった。いや、ケンカというより夫が妻に一方的にやり込められている様であった。
常連席に向かうと、いつもの様に日替わりランチを注文する年老いた常連。一礼して下がろうとした祥子に常連は「大変だったね」と声をかける。
祥子は目頭が熱くなるのを自覚したが、次のお客様が呼んでいる。泣くのは後だ。今はとにかく自分の仕事をしないと、三枝や他のお客様に迷惑がかかる。そう自分に言い聞かせて店内を走り回った。
チ~ン♪
会計を呼ぶベルが鳴る。バッシングをしていた祥子は振り返って”ギョッ”とする。先程の夫婦がレジ台の前に立っていた。恐る恐るレジ台の前に立ち会計をする。会計が終わってお辞儀をする祥子。しかし夫婦がレジ台の前から動かない。気まずい沈黙が流れる。
「ほら!」
「わ、わかってるよ」
妻に何やら促される夫。
「さ、さっきは悪かったな」
「は?」
思わぬ謝罪に驚く祥子。その横で、妻が夫をにらみつけた。
「てめぇ、なんだその口のきき方は? さっき練習しただろうが。それとも何か? 今日は”おあずけ”でいいんだな?」
”言い返したくても言い返せない”そんな表情で妻を見た夫は、意を決した様に目をつむり「さっきは、さーせんしたー!」と叫び、深々と頭を下げる。
それを見た妻は言葉遣いにまだ不満そうであったが、「さっきはごめんなさいね、これで許してやってくれる?」と祥子に笑顔を向けた。
「ゆ、許すも何も、悪いのはこちらで……」
「いいの、いいの。女を泣かす男はクズだから、これぐらいやっとかないと」
『クレームを受けたらまずはミスを力いっぱい反省する事。そして……』
『そして?』
『さっさと忘れる事』
『……それでいいんですか?』
『いつまでも、くよくよしててもしょうがないだろ? だったらイヤな事はさっさと忘れた方が精神衛生的にもいいに決まってる』
高坂とのやり取りを思い出し再び涙腺が崩壊しそうになる祥子は、必死に歯を食いしばって無言で頭を下げる。
「いつまで頭さげてんだよ、ほら行くぞ」
妻が頭を下げたままの男の襟首をつかみ玄関に向かった時、丁度玄関から入って来たぶつぶつと独り言を言う怪しい男とすれ違った。
時刻は十時四十分。
「くそ~、あのコンビニ、今日の仕打ちは絶対に忘れへんからな! 大体お客様は神様やのに…… ん?」
夫婦とすれ違った怪しい関西弁でネチネチと呟く高坂は、レジに立つ祥子を見つけた。
「おはよう、一人デビューお疲れさま。大丈夫だった?」
「……店長ーー!」
能天気に挨拶する高坂を見て、今度こそ祥子は我慢できずにその場で泣き出してしまった。




