↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ファミレス!  作者: 雨後晴れ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
17/19

第16.5話 秋山の塩対応

 十一月五日、木曜の十六時十二分、事務所。


 店長の高坂は事務の机の引き出しを開けて、手のひらに乗る小さなメモ帳を取り出す。


 ”残り、九万九千百八十一円”


 それを三秒見る。閉じる。引き出しに戻す。戻した引き出しをもう一度開けてもう一度見る。


――今夜言う。秋山からや。リーダーが食えばみんな食う。


 昼にエリアマネジャーが来た。この事務所のソファで黙って待たれるのに負けて、高坂は口走った。クルー(店で働く人)に店で食べてもらって、今月十万円作ります。エリアマネジャーはそれをタブレットに打ちこんだ。


 今夜、高坂のミッションはただ一つ。


 シフトリーダーの秋山に、まかないを一回食べてくれと頼む。


 それだけである。それだけの事に高坂はネクタイの結び目をきつく締め直す。首が苦しくなるまで締める。言えなければ十万は一円も動かない。十万が動かなければ、霞ヶ丘(かすみがおか)店の数字は赤いままで、赤いままなら深夜の営業は本社の見直しの表に載り、載ったらこの店の店長は夏も冬もボーナスが付かないかもしれない。付かなければ――


――付かなければ、どうなるんや


 どうなるかは知らない。


 もう一つある。時給の事は申請を出すまで秋山に言うなとエリアマネジャーに言われている。申請は今日中。


――それは後や。まず飯や


 高坂は事務所を出る。キッチンの入口のスイングドアを入ると、すぐに手洗いのシンクと鏡がある。手を洗いながら鏡に向かって言う形を探す。


 秋山、店の飯を食え。


 駄目である。昼に頭を下げて秋山の時給を取ってきた。十二月から百円アップ。その日の夜に同じ相手に店で金を使えと言う。頭を下げたのが取引に見える。高坂はケチで人に借りを作るのが何より嫌いで、貸しを取り立てる様な真似はもっと嫌いである。


――百円くれてやったさかい飯食え、て。どこの借金取りや


 秋山、たまには店で食わないか。


 誘っている。店長がアルバイトを。自分の店に金を払わせて、誘っている。鏡の中の男の目は血走っていて余裕がない。


 高坂はキッチンキャップに前髪を押しこみ、グリル(肉を焼く持ち場)へ入る。


   *


 十六時三十分、ファミリーメイト。


 レジの横の温かいケースの中でからあげが光っている。一個、百八円。


 秋山の目にはそれが五分に見える。


 時給で割ると、からあげ一個は秋山の五分である。百円上がれば四分半になる。月に百十時間なので一万一千円あまり。からあげにして――


 そこで止める。止めた時にはもう百個と数え終わっている。


 今日は木曜さんの日である。時給の百円アップはおとといの夜に店長からシフトリーダーを頼まれた時に付いて来た話で、本社の承認が要る。通らなかったら、と聞いたら、店長はその時言うと言った。その時が来るなら今日である。


 期待しない。期待しないでおけば、外れても困らない。


 秋山はからあげを買わずに店を出る。


 店に入り更衣室で着替えて事務所のドアを開ける。壁のホワイトボードの下に連絡ノートが開いている。出勤した人は前の欄を読んで、名前を書いてから持ち場へ入る決まりである。


 十一月三日の欄、店長の字。


 ”五日から、夕方のシフトリーダーを秋山に頼む。十七時からの配置は秋山がボードに書く”


 その下に夕方の学生の名前が並んでいる。いちばん大きくて丸い字が夕方の学生をまとめている大学四年の小山田(おやまだ)。秋山はその下にいつもより小さく自分の名前を書く。


 胸ポケットから四つ折りのシフト表を出す。書きこみで黒い。それを見ながら黒いペンでボードにはじめての配置を書く。客席Aは窓側と六人席の二つに割って、それぞれに受け持ちを置く。


 書き終えて、秋山は一歩下がって自分の字を見る。


 ドアが開く。


 店長である。目が若干充血している。何も言わずに秋山の後ろに立つ。ボードを見ているのか、秋山の背中を見ているのかわからない。


「秋山」


 秋山は振り向かない。背中で待つ。


「……字、もう少し大きく書け」


 それだけ言うと店長は出て行った。


――やっぱり落ちたんだ


 悪い話の前は人は細かくなる。字の大きさを言いに来る人が、いい話を持っているはずが無い。


   *


 事務所を出た廊下で、高坂は壁に額を一回だけ当てる。


――頼んだら負けや。いや、まかない頼むんや。ボーナスが


   *


 十八時台、デシャップ(料理の受け渡し)台。


 キッチンとパントリー(客席の裏の作業場)の境の台である。グリルの店長は焼きながら台越しにフロントの人と話せる。


 秋山は下げた皿をトレーごと下げ口の作業台に置いて、グラスと皿を分けていく。手の速さは人の一・五倍。研修の甘利(あまり)は今夜は秋山の横について片付けを習っている。声の小さい高校二年生で、教わった事を胸ポケットのメモ帳に一字一句写す。


「秋山」


 グリルのほうから店長の声がする。ターナー(肉を返すへら)が止まっている。


 秋山は手を止めずに背中で待つ。


 ジュー、と鉄板の上の肉だけが喋っている。


「まか、……Aルームの割りはあれでいい」


 ターナーが動き出す。


 秋山の手が一瞬だけ止まる。


 あの店長がほめた。細かい事をネチネチ言う人で、ほめた所を店の誰も見た事が無い。


――通ったのか


 皿を分ける手が一・七倍ぐらいになる。計算が戻って来る。一万一千円。


   *


 十九時台、デシャップ。


「秋山。……腹」


 秋山は振り向く。店長は焼きながらこっちを見ていない。


「腹から声を出せと甘利に言っとけ」


 甘利は秋山のすぐ後ろにいる。


「……はい」


 声は小さい。胸ポケットのメモ帳に”はらからこえ”と書く。本人に言えばいいのに秋山をまたいで言う。


 秋山は甘利に、腹から、とだけ言って客席へ出る。


――やっぱり上がらなそう


 いい話なら三度も言いかけない。三度言いかけて三度逃げるのは言いたくない話である。


   *


 グリルの前で、高坂はターナーで肉を返す。返さなくていい肉まで返す。


 隣のルーカスが、サラダの手を止めて肉をのぞきこむ。


「テンチョー。おにく、おこってます」


 高坂は血走った目でステーキを睨み、聞いてない。


――休憩の時や。ドア閉めて逃げ場無くしたる。こちとらボーナスかかっとるんや


   *


 二十時二十分、休憩室。


 高坂はドアを開けて、閉める。閉めた音が自分でも大きい。


 六人掛けのテーブルに秋山が一人で座っている。胸ポケットの四つ折りのシフト表がテーブルの端に広げてあって、その横のラップの上におにぎりが二つ。


 大きい。コンビニの倍はある。海苔は無い。白い米が固く握ってあって塩が光っている。具も無い。


 高坂は秋山の向かいに座る。椅子を引く音も大きい。


 秋山は食べながら、目だけで店長を見る。


――言う。今度こそ言う。ドアは閉めた。逃げ場は無い。十万の残りは九万九千百八十一円で……、秋山、年貢の納め時や。


「おにぎり……美味いか」


 秋山はおにぎりを食べている。飲みこんで、手付かずのほうの一つを店長の前に置く。


「え、いります?」


 塩だけのおにぎりが、テーブルの上で店長の前に差し出された。


 昼に頭を下げて取ってきた百円の相手が、晩飯の一個を差し出している。月に百十時間働いて仕送りが無い二十歳が、具を入れる分を削って握った物を、店長に食えと言っている。


 ぽきん


 何かが折れた音がした。


「ありがとう。でも後でまかない食うから! 大盛りで、死ぬほど食うからぁ!」


 充血した目が潤んで、徐々に声が裏返っていった。高坂は立って椅子を戻して、ドアを開けてとぼとぼと出ていく。


 廊下で高坂は壁に頭を打ちつける。


――十万が塩むすびに負けた


 自分が死ぬほど食えば残りが減る。残った算数はそれだけである。


   *


 同じ休憩室。


 ドアが閉まって、秋山は差し出したままのおにぎりを自分のほうに戻す。


 店長が泣きそうだった。


 声が裏返っていた。死ぬほど食うと言った。やけ食いをする気である。


――よっぽど駄目だったんだ


 通らなかった。通らなかっただけなら言うだけで済む。言えない程の駄目さ。百円どころかリーダーの役ごと木曜さんに駄目だと言われたのかもしれない。それを店長は秋山の顔を見て言えずに、おにぎりの味を聞いて帰った。


 いちばん底である。


 秋山は食べかけの半分を食べる。冷めた米は固く、塩は表面にしか無いので最初だけしょっぱく、あとは米の甘さだけが続く。噛むほど甘い。噛んでいる間は何も考えなくていい。


 店長に差し出した一つは、包み直してリュックに入れて朝の分にする。


 テーブルに広げてあったシフト表を、四つに折って胸ポケットに戻す。


   *


 二十二時、事務所。


 高坂は机の業務用のタブレットを開く。時給の申請は今日中。


 まかないの事で頭がいっぱいで六時間忘れていた。


 ”申請済”


 タブレットの画面を確認して電源を落とす。


   *


 二十二時十分、客席。


 パントリーの出入り口の前で、店長が秋山を呼ぶ。


「秋山、事務所」


 来た。「その時言う」の、その時である。


 秋山は歩きながら一言を決める。店長は休憩室で泣きそうだった。この人に言わせない。先に言って楽にしてやる。


 ドアを開ける。店長は机の前に立っている。店長が口を開く前に秋山が言う。


「時給の事ならいいです。通らなくても時給分は働きます」


 店長の目が二回まばたきをする。


「通ったぞ。今、申請を出した。十二月から百円アップだ」


 壁の時計の音がする。


「え? 通ったんですか?」


 ギリギリ眉は動かさない。冷めた奴の顔を最後まで守る。


 口は、勝手に動く。


「時給分は働きます。百円分、多めに」


 店長は何も言わずに背中を向けて、拭かなくてもきれいな机のタブレットを拭き始める。客席に戻れ、という事らしい。


 秋山は頭を下げて事務所を出る。


――一万一千円


 ドアを閉める。


 閉めた所で、冷めた目に口の右端だけが自然にあがる。


――まじかよ


 右の手が勝手に拳をつくる。握ったまま早足で客席を抜けてパントリーの出入り口を入る。


 デシャップ台の向こうにさっき出勤してきた内藤(ないとう)がいる。


「おはようございます!」


――やったぜ。今日はボンボンカレーにからあげだ。絶対に付けてやる!


   *


 二十三時十五分、ファミリーメイト。


 レジの横の温かいケースの前。


「からあげ、一個……、いや二個で」


 二百十六円。今夜は時間に直さない。


 からあげは、ファミリーメイトの売上である。

本日の売上 計画 340,000円/実績 310,380円(計画比91.3%)

本日の客数 計画 231人/実績 210人(計画比90.9%)

本日の客単価 計画 1,472円/実績 1,478円

今月の累計 売上 前年比105.7%/客数 前年比102.6%

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。