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ファミレス!  作者: 雨後晴れ


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16/18

第16話 まかないで賄えますか

「木曜さん」


 十一月五日、木曜の十一時三十六分、パントリー(客席の裏の作業場)。昼の客席を受け持つパートの跡部《あとべ》 由美《ゆみ》が出入り口から顔だけ入れて、それだけ言って客席へ戻っていく。


 デシャップ(料理の受け渡し)台の前で、店長の高坂は背すじを伸ばしてネクタイの結び目に手をやる。


 木曜さんとは高坂の上司のエリアマネジャーの事である。毎週木曜の昼に来るので前の店長の頃からそう呼ばれている。白い車が駐車場に入ると、入口とレジのパートの長坂《ながさか》 恵子《けいこ》がまず跡部に言い、跡部が窓側の客席の祥子に言い、祥子がキッチンに言う。噂を回すのが好きな長坂の合図は店のどんな連絡より速い。


 昼のピークの始まりで、客席はまだ半分程しか埋まっていない。高坂は台の上の皿の縁を拭きながら、パントリーの出入り口の先を見ている。


 跡部がまた顔を入れる。


「違った。工務店のバンだって」


 キッチンのほうで誰かが息を吐く。高坂はネクタイから手を下ろす。


 二分後、今度は祥子が顔を入れる。


「も、木曜さんです。白い、小さい車の」


 高坂はもう一度結び目に手をやる。


「……違いました。チャイルドシートのご家族でした」


 祥子は申し訳なさそうに引っこむ。


 三度目は跡部である。


「今度は本物。駐車場の一番端に止めて、エンジン切る前にもう降りてる」


 高坂は結び目に手をやりかけてやめる。二回直したので、もう首が苦しい。


 十月五日、高坂は霞ヶ丘(かすみがおか)の店長としてこの店に来た。前の店長が急に辞めた後で、来てからちょうどひと月になる。そのひと月、木曜の昼にこの合図が回らなかった週は一度も無い。


   *


 十一時四十分、客席の中央。


 長坂の案内でエリアマネジャーの山本《やまもと》 啓介《けいすけ》が二十四卓に座る。パントリーの出入り口のすぐ前の卓で、デシャップ台の前から出入り口ごしに横顔が見える。


 小柄で、背すじが椅子の背もたれから離れている。黒い髪を七三に分けて、灰色のスーツに紺の無地のネクタイ。持ち物は自分のタブレットが一台だけで、紙もペンも持っていない。


 山本はメイプルの七つの店の数字を預かる店長達の上司である。机を持たず、白い社用車で店を回っている。


 山本は卓のタブレットで注文を入れる。キッチンのプリンターが鳴って伝票が一枚出る。


 ランチハンバーグ、鉄板。ライスと本日のスープが付いている。


 グリルの前の三枝に、高坂は台ごしに声をかける。


「二十四卓のハンバーグ。エリアマネジャーです」

「どの卓も同じに焼いてる」


 三枝は振り返らずにトングを動かす。誰の皿でも手順どおりに同じに焼く人である。


――知っとります。言うてみただけや


 高坂は口を尖らせながら出入り口の先に目を戻す。


 山本は自分のタブレットを伏せたまま客席を見ている。


 見ている先を高坂は追う。


 二十六卓。お客様が帰った後の皿とグラスがまだ卓に残っている。


「跡部さん、二十六卓」


 跡部がトレーを持って出ていく。


 山本の目が動く。今度は通路の先の床に落ちた紙ナプキンである。


「祥子さん、通路」


 祥子が早足で拾いに行く。


 山本は何も言わない。言われる前に高坂が店を直していく。


 山本の顔が入口のほうを向いて暫く戻らない。


 入口とレジはデシャップ台の前からは見えない。見えなくても高坂はそこに何があるかを知っている。満席の時に順番の番号札を出す発券機と、待合のベンチ。平日の昼にベンチに座って待つお客様はいない。


 山本は空いたベンチを見ている。


 十一時五十二分。


 キンコン♪


 キッチンのセンターが、卓の最後の一皿が上がった事を知らせる。


 鉄板は配膳ロボットに載せず人が運ぶ。客席Bを受け持つ跡部が、下げた皿を持ってパントリーに戻って来る。


「はい、Bです」


 跡部は下げ口で皿を仕分けながら、背中でキッチンの声を待つ。


「二十四卓、ランチハンバーグ、上り伝票です」

「俺が行く」


 高坂は出入り口の上、Bの料理を知らせるランプを消して、鉄板とライスとスープをトレーに載せる。


「失礼致します。お待たせ致しました、ランチハンバーグでございます。鉄板がお熱くなっておりますので、お気をつけくださいませ」


 鉄板を置く。デミグラスが跳ねていい音がする。


「お料理は、お揃いでしょうか」

「揃っています。ありがとうございます、高坂店長」


 山本はそう言って、もう高坂の肩の向こうを見ている。


 鉄板はまだ鳴っている。


 高坂は上り伝票を卓の端の筒に差してパントリーへ戻る。


 山本は最初の一切れだけ皿を見る。あとはナイフとフォークを動かしながら、目は客席に置いたままでいる。ハンバーグを見ずに切って、見ずに口へ運ぶ。何百回も食べた物の食べ方である。


 十二時を過ぎると客席が一気に埋まる。


 鉄板の音がデシャップ台に並ぶ。三枝の焼いたハンバーグがデミグラスをかぶってジュージューと鳴る。台に上がった皿は一分と置かれずに、跡部と祥子の手と配膳ロボットの棚に載って客席へ出ていく。


 十二時二十分。台の上が一瞬だけ空になる。


 高坂はダスター(台拭き)で空いた台を一度だけ拭く。拭かなくてもきれいな台である。


 跡部が二十四卓の横を通ると、山本は小さく頭を下げる。


「お疲れさまです」


 跡部も頭を下げてそれきりである。


 跡部が下げた皿を持って、ニコニコしながらパントリーへ戻って来る。


「十四時まで休憩室で待ってますって。テーブルの端っこでずっとなんか打ってる」


 跡部は楽しそうである。


 十四時からは十月の店の数字の面談がある。


 十三時五十分、三枝がキッチンキャップを取りながら台の向こうに立つ。


「店長、まかないは」

「後で食べます」

「後で焼くのは私じゃないからね」


 三枝はそれだけ言って上がっていく。


 まかないは店で働く者が店の料理を三割程安く食べられる福利厚生の一環である。高坂の休憩は十四時から四十五分で、いつもは事務所でまかないを食べながら本社のメールを見る。


 今日はその事務所で、山本との面談である。


   *


 十四時、事務所。


 高坂はドアを叩いてから自分の事務所である事に気づく。


「どうぞ」


 中から山本の声がする。


 山本はソファの端に座って低い机に自分のタブレットを置いていて、向かいの側には高坂の好きな缶コーヒーが一本置いてある。


 山本は何も言わない。高坂も聞かない。ドアを閉めると客席の音がほとんど消える。


 座る物が無いので高坂は事務の机の椅子を転がして来る。座ると椅子のほうがソファより高い。上司を見下ろす形になって、高坂はレバーを引く。


 プシュー


 椅子は一番下まで沈む。今度は高坂の膝が低い机より高い。


――なんやこの椅子


 高坂は膝を揃えて、眠そうな瞼をむりやり上にひきあげる。本人はまじめな顔のつもりである。


「十月の数字です」


 山本は高坂のふざけた様な顔には触れず、タブレットを高坂のほうへ向ける。七つの店の名前が縦に並び、横に数字が並んでいる。赤い数字の多い行が一番下にある。


「十月の売上は七店舗で二番目です。計画には一番届いていません」


 去年売った店ほど今年の計画は高い。


 山本の声は低くも高くもない。叱る声でもほめる声でもない。


――この人が、俺の夏と冬のボーナスを付けるんや


 高坂の頭に最初に浮かぶのは店の事ではなくその事である。


「十一月はハロウィンの夜の分でまだ去年を上回っています。このままだとその貯金は十三日ごろに無くなります。そこから先は去年を下回ります」


 店は十五時で一日を締めるので、十月三十一日の夜は十一月一日の売上に入っている。


「この数字が続けば霞ヶ丘の深夜は、本社の見直しの表に載ります」


 二十四時間の店の深夜が赤字だと、本社は毎年その店の深夜を続けるかを見直す。霞ヶ丘は深夜の売上が、夜勤の二人の給料に届いていない。


――人が足りんから深夜は閉めたい、とは言えん決まりや


 画面の上で山本の指が霞ヶ丘の行から新府(しんぷ)の行へ動く。


 新府店は国道を北へ行った先のエリアで一番売る店で、店長の保科(ほしな)は高坂より三つ年下である。


――保科は日曜も定時で帰りよるのに


 グウ


 事務所で高坂の腹が鳴る。


 山本は何も言わない。画面から目も上げない。鳴った音がいつまでも部屋に残っている。


 十月三十一日、ハロウィンの夜。人が足りずに料理が遅れ、食べ終わったお客様の席がなかなか空かなかった。待合のベンチからあふれた家族が入口の外まで並んで、魔女の帽子をかぶった子どもがガラスの外から店の中をのぞいていた。その家族が列の途中でいなくなっていた。そういう家族が何組もいた。


 その夜の売上は大きく出たが、ハロウィンの後はお客様は目に見えて減っている。


「高坂店長は、今月をどうしますか」


 山本が初めて画面から目を上げる。


「入口に人を立てて、待たせても帰しません」


 高坂が信じている手法である。


「それ、全店でできますか」


 山本の声は変わらない。事務所の壁の時計が秒を刻んでいる。


「新府は、入口に人を立てずに回しています」


 高坂は答えられない。


「今日の昼、待合で待たれたお客様はいませんでした。ハロウィンの夜、待合から帰られたお客様は何組ですか」

「……数えていません」


「新府は、数えています」


 山本は一度だけ指で画面を叩く。


「数えていない数は、直せません」


 高坂は膝の上で手を組む。椅子が低いので組んだ手が顎に近い。


「今月の売上は、どう作りますか」


 山本はそう言って黙る。


 カチ、カチ、カチ


 壁の時計の秒針の音がさっきより大きい。


 山本は待っている。急かしもしないし、助け舟も出さない。声を荒げる上司なら高坂は何人も知っている。黙って待つ上司はこの人しか知らない。


 入口に人を立てる手で今月いくら売上が戻るのか。高坂には数字が付けられない。数字の付かない手法はこの人には通用しない。


 高坂は山本の顔を見ない。壁のホワイトボードを見ている。今日の配置にクルーの名前が高坂の黒い字で並んでいる。


 手元で開けていない缶コーヒーを指が勝手に回している。


「……クルーに、店で食べてもらいます」


 言った瞬間に高坂はもう後悔している。


 顔はいつもの眠そうな顔のままで、缶を回していた指だけが止まっている。


「十月、霞ヶ丘のまかないの数はエリアで一番少ないです。一番多いのは新府です」


 山本は画面を見たまま言う。


「うちは短い時間の学生が多くて、休憩が無いので……」


「新府も学生の店です」


 高坂の言い訳はそこで終わる。


「いくら作りますか」


 また山本は黙る。


 カチ、カチ、カチ


「……十万」

「クルーは三十人です。お一人、三千三百円程。まかないなら五食程です」


 山本の指がタブレットを叩く。トン、トン、と軽い音がして、霞ヶ丘の行に何かが打ちこまれる。事務所の中でその音が一番大きい。


 高坂はそれを見ている。打ちこまれた物はもう消えない。


「ほかに、何かありますか」


 山本が顔を上げる。


 ある。高坂は頼み事を面談の初めに言うつもりでいた。


――今か。今言うんか、俺


 二日前の夜、高坂は大学二年の秋山に夕方のシフトリーダーを頼んで、十二月から時給を上げると約束してある。上げるには、目の前の山本の承認が要る。


 今月の売上が去年を割りそうだと言われたその五分後に人件費に踏み込む暴挙。


 高坂は椅子から立って頭を下げる。


「秋山の時給を上げてください。夕方のシフトリーダーを頼みました。お願いします」


 下げた頭の上で山本の声がする。


「規程の範囲です。通します」


 一秒もかからない。


「申請は今日中に出してください。今後はクルーに話すのは、申請を出してからにしてください」


 高坂は頭を上げる間合いを失って、更に頭を下げる。


 山本はタブレットを閉じて立ち上がる。


   *


 十四時四十五分、お客様の駐車場。


 通用口を出て、高坂は山本の半歩後ろを歩く。白い社用のコンパクトカーはお客様の駐車場の一番端に止まっている。山本は入口に近い場所をお客様の為に空けておく人である。


 車の前で山本が振り返る。


「新府の保科店長に、待合のやり方を見せてもらってはどうですか」

「……考えておきます」


 山本はうなずいて、運転席のドアに手をかける。


「それと、二十四卓のタブレットです。表は拭いてありました。裏は拭いてありません」


――裏て


「……はい」


 山本は運転席に乗る。


 高坂は車の横で頭を下げる。下げたまま車が出るのを待つ。


 エンジンの音がしない。


 頭を下げたまま目だけ上げると、運転席の山本がスマホを耳に当てている。


 山本は誰もいないフロントガラスに向かって頭を下げている。一度、二度、三度。小柄な背すじのまっすぐな人がハンドルの上で何度も折れる。


 車の外で高坂も頭を下げている。


 二人とも、相手のいない所に頭を下げている。


 最後に一度だけ山本は頭を下げずに顔を上げる。フロントガラスごしに霞ヶ丘の店の看板を見て短く何か言う。高坂の所までは聞こえない。


 電話を切って山本はエンジンをかける。


 白い車が駐車場を出る。次の店のほうへ曲がって見えなくなる。


 高坂は頭を上げる。手の中に、開けていない缶コーヒーがある。


「……言うてもうた」


「十万て。なんで額まで言うねん」


 缶を握り直す。


「うちで食うてくれて、どの面さげてバイトに頼むんや」

「保科に待合見せてもろてこいて。誰が行くか」


 国道を、知らない白い車が何台も通っていく。


   *


 十五時、事務所。


 一日の売上を締める画面に、今日の売上と客数が出る。高坂は客数のほうを暫く見ている。


   *


 十五時二十五分、パントリー。


 高坂はハンディ(注文の端末)で自分のまかないを入れる。その時間の責任者が入れる決まりで、今の時間の責任者は高坂である。「従業員」の画面からいつもの和風ハンバーグを皿で、ライスを付けて。


   *


休憩室


 クルーのテーブルの上にファミリーメイトの袋が一つ置いてある。店の近くのコンビニの袋で、口からおにぎりが二つとカップの味噌汁がのぞいている。


 高坂は袋の向かいに座る。おにぎり二つと味噌汁はファミリーメイトの売上である。


 頼む文を頭の中で組んでみる。


 みんな、店で食べてくれ。


 小さく頭を振る。


 まかないを、使ってくれ。


 小さく頭を振る。三つ目は組む前に大きく頭を振る。


「テンチョー、おまたせいたしました」


 ルーカスが皿を持って入って来る。和風ハンバーグの皿とライス。


「きょうは、おおもり。おなか、すきましたか」


 ルーカスは天井に届きそうな声で笑ってキッチンへ戻っていく。


 大盛りは五十五円高い。まかないの三割引きと消費税を引くと、店の売上になるのは三十五円である。


 和風ハンバーグを一口食べる。


 うちのハンバーグは美味い。肉汁がこぼれるのではなくギュウギュウに肉にしみ込んで、食べると肉の風味が口いっぱいにひろがる。


 食べ終えて、高坂は十万から自分のまかないの分を引く。


 残り、九万九千百八十一円。

本日の売上 計画 342,000円/実績 312,688円(計画比91.4%)

本日の客数 計画 233人/実績 212人(計画比91.0%)

本日の客単価 計画 1,468円/実績 1,475円

今月の累計 売上 前年比107.5%/客数 前年比104.4%

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