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未分類  作者: 藍原センシ
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「夢魔」③


          *   *   *


 例の夢の意味を理解した時、私は既に初潮を迎えていた。

 だから、夢を見て目覚めた朝に出血に気付いた時、それまでに怯えたような、ややもすると眠っている間、本当に自分が何者かに襲われているのではないか、という不安はもう起こらない。だが、ややもすると、と最初に思ったきっかけは、小学校の卒業間際、朝起きて下腹部に疼痛を覚えた時だった。

 私はその時ようやく、夢の中で自分が痛みを感じている部位を自覚した。それから時間を掛けて、麻耶や同級生の男子たちが面白おかしく口に出すその行為が痛みを伴う事、その先に快感がある事を理解していった。

 月が巡る度、私も例外なく他の女子たちと同じように、気分が優れなかったり普段は何でもないような事で苛立ったりした。だが、心の何処かで、それを周囲の女子たち程には嫌がっておらず、気付けば夢の中の出来事に関連づけて陶然となっている自分が居た。

 初潮を経験した時、現在のようにはっきりとした言葉で表白し得る事ではなかったにせよ、何らかの”予感”めいたものは感じていたのかもしれない。私は目が覚めると同時に、下腹部の疼痛と下着の中がべたつくような感覚に覚えて確認し、出血を認めた時、それを両親に──母親にも──悟られてはならないような気がして「どうしよう」と思った。

 その時の私は「一刻も早く何(・)と(・)か(・)し(・)な(・)け(・)れ(・)ば(・)」という思いに駆られ、下着を脱いでパジャマの下に隠し、既に起きてダイニングに居た両親に「おはよう」を言うよりも先に洗面所に駆け込み、ごしごしと擦り洗いをした。血の染みはどうしても落ちきらず、朝の時間がなくなりそうだったのでやむなく断念し、目立たない程度になったところでそのまま洗濯機に放り込んだのだが、その日は一日中、その事が親に知られていないかという懸念で頭が一杯だった。

 中学生になってから、私が夢の事やホルモンバランスに関する事とは異なる、ごく普通の風邪で学校を休んだ時、母の方から

「詩穂も女の子だし、そろそろ生理が始まった時の事も考えておかないとね」

 と言われ、その後発育に応じて下着を購入して貰った時と同じような、深刻さを伴わない感じでナプキンなどを貰った。それで、次のタイミングで母にその事を告げるのに心理的なハードルは低減されており、その後病院を受診してピルを処方されたりする事にも気まずさは萌さなかった。

 自分の身体に関する事柄で、男女に差異がある事は至極当然の事であるにも拘わらず、性に関連するという一点だけを採って、あたかもその身体の一部をないものであるかのように振舞わねばならないような気になっているのだとしたら、これ程馬鹿馬鹿しい事はない。と、頭の中では理解しているし、学校もそのような意図で教育プログラムを組んでいるのだろうとは思う。だが、そのような事とは無関係に、同級生たちは少しでもそういった話題に、喩えるのであれば神社にある置き物に不謹慎な落書きをしてスリルを楽しむかのような乗りで言及し、有害な共同幻想の如き不文律を生み出している。

 私もまた、否応なくそれに中(あ)てられている。

 だからこそ、犯される夢を小学校中学年の頃から見続け、怯え続けてきたという事を誰にも打ち明ける事が出来ずにいる。


          *   *   *


 水泳の時間の終わりに失神した時に胸裏に萌芽した、学校であの夢を見るようになるのではないか、という懸念は、杞憂では終わってはくれなかった。

 学校の授業とは不思議なもので、別段理解出来ないような内容ではなかったとしても、どれだけ前日の夜によく眠っていたとしても──無論、あの夢を見ずに眠れる夜もある──、先生の話を聴いてノートを取っていると睡魔が襲って来る。夏場、特にプールの後はそれが著しい。

 私はこれまで、眠いと思ったら比較的容易(たやす)く睡魔に対して白旗を上げてしまっていたが、懸念が萌した後は意図して眠らないように意識し、頰を叩いたり抓ったり爪を立てたり、耳を引っ張ったりして抗い続けた。しかし、気が付けば「限界」と思う間もなく意識が飛んでしまっており、がくりと体勢を崩しそうになって覚醒する、という事が増えていた。

 教師たちの間では、授業中に眠っている生徒は即ち授業を聴く気のない不真面目な生徒という事になっているらしいが、眠気を感じるのは自分ではどうしようもない事なので、不真面目かどうかはまた別問題だと私は思う。

 ともかく、ある日の数学の授業中にそれで意識が飛んだ時、私は例の夢を見た。直前まで夢の事は意識していたのに、それは明晰夢ではなく、自力で覚ます事も出来なかった。

 私は実際に、喘ぐような、悶えるような声を発していたらしい。幸い周囲のクラスメイトたちはそのようには受け取らなかったが、代わりに私が呼吸困難を引き起こして苦しんでいるという風(ふう)に解釈された。

 目覚める直前のクライマックスに達していたら、ごまかしようがなかったかもしれない。しかし、それよりも早く、後ろの席に居た女子生徒が異変に気付き、背中を揺さぶって起こしてくれた。

 私は目を覚ますと同時に、電車に乗っていて目的の駅を寝過ごした事に気付いた時のような焦燥を覚えた。脈拍が速まっていたが、それが夢それ自体の影響か、眠っている間に何か聞かれてはいけない事を口走ったのではないか、という焦りの為かは判然としなかった。

 麻耶は、一度私が目の前で過呼吸を起こし、失神しているだけに、私が何らかの発作を起こしたと思ったのだろう、先生が何かを言う前に席を立ち、こちらへと駆け寄って来た。

「詩穂、大丈夫?」

 背中を擦りながらそう尋ねてき、私が返事をするよりも早く

「先生、私が保健室に連れて行きます」

 と言った。

 私は慌てて彼女を止め、先生にも聞こえるように「大丈夫」と告げた。

「悪い夢……かな? 見ていたんだと思う」

「だけど詩穂、この間だって」

 唇を噛みながらそう言う麻耶に、本当に心配掛けてばかりだな、と思うと共に、少しずつ現実感が取り戻された。動悸も、徐々に収まってくる。しかしそこで、私はそれまで意識の向いていなかった事に気付いた。

 ジャージのハーフパンツから、膝の裏にかけて、汗が伝い落ちるような感覚が生じていた。だが、背筋を伸ばそうとして腰の位置をずらした時、椅子の座面が不快な湿り気を帯び、ジュッと微かに音を立てた。

 ハーフパンツの中で、下着がぐっしょりと濡れていた。

 ──血ではない。机の天板の陰になり、周囲からは余程覗き込もうとしない限り見えなかっただろうが、その事を確かめると、却(かえ)って出血だった時以上の羞恥心で体温が上がるのが分かった。

 紺色のジャージの股の部分が色を濃くしており、席を立ったら気付かれる、と思った私は、素早く麻耶に「ありがとう」と言った。

「本当に気にしないで」

 気付かれてはいけない、と思いながらも、私はその言葉に、こちらには事情があるので察してくれ、というニュアンスを言外に込めたつもりだった。麻耶は知ってか知らでか、

「……無理そうだったら早めに言ってよ?」

 そう言い、それ以上は食い下がるような事をせず席に戻って行った。

 先生からも「大丈夫か」と聞かれたが、私はそちらにも問題ないと言い、「すみませんでした」と謝った。

 心の中ではその間ずっと、次の休み時間になったら誰にもバレないようにトイレに行って長ズボンに穿き替えなければ、と考えていた。


          *   *   *


 この日の出来事の為、私は自分が、例の夢を学校でも見るようになってしまったのだという事に確信を持ち、いつまでも周囲をごまかし続ける事にいずれ限界が来るだろう、と思った。

 もう一つ、夢が鮮明になり、頻度を増し、場所を選ばなくなってきている事で、考えずにはいられない事があった。

 授業中、極めて短時間居眠りをした程度の間に、夢は現れた。では、それが更に次の段階に進んだ時、どうなるのか。そう考えた時に脳裏に浮かんだのは、白昼夢という言葉だった。

 そうなった場合、危険度は今までとは比較にならない。皆の前で恥をかく、という事も私にとっては大問題だが、それ以上に、ごく普通の活動中に何の前触れもなく意識を失うという事自体が危険なのだ。

 例えばそれが、階段を上り下りしている最中だったら。或いは、通学路で横断歩道のない一車線の道路を渡ろうとしている時だったら。

 最悪の場合、命にも関わりかねない。そして、その事に四六時中怯えながら生活せねばならなくなるのだとしたら、私はきっと耐えられない。

 それでもまだ、大人には話したくなかった。私は悩んだ末に、麻耶にその事を打ち明けよう、と決意した。

 麻耶は不真面目で、私が夢の内容を理解して口に出せず悩むようになった原因の一端を担ってはいるものの、私が本気で悩んでいる事についておざなりな態度を取ったり面白がって揶(からか)ったりはしない。それに、私が二度もあの夢に関する事で普通の状態でなくなり、心配を掛けたという事もある。

 教室であの夢を見た翌週、水泳が早く終わって着替え、教室に戻る前に、私は彼女を呼んで人気(ひとけ)のない西校舎の廊下の奥に連れて行った。

 彼女は、その時の私の雰囲気に普通ではないものを感じたのだろう、いつになく真剣な表情で私に着いて来た。

「この間から二回、気を失った時の事なんだけどね──」

 私はそう言い、語り始めた。正確には、二度目は過呼吸を起こして意識を失った訳ではなく、居眠りをしてしまってから見た夢によって呼吸が荒くなったのだが、その事については話しながら説明した。

 犯される夢を見る、と話すと、麻耶は息を呑んだ。

 それでも沈黙を保っていた彼女だったが、それが小学三年生の頃から始まったのだという事に話が及ぶと、堪えきれなくなったかのように

「ちょ、ちょっと待って」

 そう容喙した。

「小三でそんな夢って……まあ、確かにその頃から、男子の中にはふざけてエッチな事言ったりする奴は居たけども」

「私も、その頃はそこまではっきりしていた訳じゃないの。だからお母さんにも普通に相談したり出来たし、お母さんもまさか私がそんな夢を見ているなんて思ってもみなかっただろうけど」

 私は、肩から提げている水泳バッグのストラップを握りながら言った。

「多分もう、お母さんもすっかり忘れてると思う。言われれば、昔私が一時期そんな事を言ってた事もあったな、くらいに思い出す程度で」

「昔そういう事件に遭ったとかは?」

「ない。あったら、お母さんも私が最初に怖い思いをしたって事を話した時、気付いたと思う」

「それなら、何かそういうものを見る機会は?」

 麻耶は言ってから、すぐに自分で頭(かぶり)を振った。

「って、何言ってんだろう、私? 小三にそんな機会、増々ないじゃない」

「だよね……」

 私は溜め息を吐(つ)く。やや気まずい沈黙が、私たちの間に漂った。

 滞りかけた空気を打破するように、先に再び口を開いたのは麻耶の方だった。

「だけど、分かった。私も、あんまり詩穂にはそういう悪戯(いたずら)、しないようにする。それと、もしこれからもっと酷くなりそうだったら」

 そこで一旦言葉を切った後、

「私が傍に居ておかしいと思ったらすぐに何とかするけど、やっぱり親にくらいは言った方がいいんじゃないかな? 無責任かもしれないけどさ、詩穂も自分で言ったでしょ、危ない事になるかもって」

「……やっぱり、そっか」

 私も、本当はそうすべきなのだと分かってはいた。というより、この期に及んで何を躊躇っているのか、という思いがあった。両親から淫らな娘だと思われたくないというのは本当だが、彼らが本気で悩み、怖がっている私に対してそのような目で見てくるはずがない事くらいは普通に考えれば分かる。

 単なる羞恥心だけではないような気がした。

 というよりも、面と向かって麻耶から言われた事で、そもそも私が躊躇っているのは「他者に相談する事」ではなく「両親に相談する事」なのかもしれない、と気が付いた。

 そうだとしたら、理由は何なのだろう──。

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