「夢魔」②
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闇の中で凄まじい恐怖を味わう夢は、小学三年生から四年、五年と上がるに連れて徐々にはっきりとしたものになっていき、味わう感覚も次第に「苦痛」へと変化していった。
そういった知識を、何処で仕入れているのかは分からない。男子を中心とした同級生が騒ぎ立てるので自然に理解してしまうのか、中学生になってから利用するようになったインターネット上でたまたま目にする機会があるのか、或いは学校教育の一環として取り扱われる為か。
私は、自分の見続けている夢が、何者かに犯されるという内容である事をいつしか理解していた。
これが、現実で私が何らかの事件に巻き込まれ、実際に被害者として経験した事のある出来事によるトラウマのようなものだったとしたら、これ程分かりやすい話はない。しかし、私はそのような事は誓って経験していないし、例えば事件のショックで無意識に記憶を封じ込めており、両親がその事について沈黙を保ち続けている、という事でもないだろうと思う。もしそうだとしたら、最初に私がこの夢について口にした時、母は勘づいた事があったはずだ。
私は昔から、直感に鋭いところがある、と言われてきた。自らも、その事に関しては自覚があった。誰かが私の言葉で動揺したり、それを隠そうとしたりした場合、すぐに気付く。だから、母が私の訴えた夢について話を聴き、「怖かったね」と慰めの言葉を掛けてくれた時、それが取り繕ったようなものではない事は理解していたはずだと思う。
第一、母は私が最初に夢について訴えた時、それが犯されるものだなどとは考えてもみなかっただろう。その頃私の見ていた夢は今程はっきりしたものではなく、もっと抽象的だったし、そもそも小三の、思春期を迎えるには早すぎる子供が、そのような夢を見るはずがない。普通に考えたら、内容について推測を巡らそうにも、その仮説は判断の埒外にあっただろう。
では、それでいうと私の場合はどうなるのか?
最近になって夢の意味するものを知った事で、私は余計に戸惑うようになった。
小学生だった私が、見られるはずのない夢。かといって、自分が経験した訳でもない出来事。
苦痛の感覚が実感を伴うようになり、実際に朝になって目が覚め、腹の辺りに痛みが残っている事があった時、私はそれまでの事を思い出して恐ろしくなった。まさか自分が、本当に毎晩何者かに襲われているのではないか、などという馬鹿げた疑いを抱いた事もある。
そのような事を考えてしまう程──つまり正常な判断が出来なくなる程──、私は追い詰められていた。事が事だけに、誰かに話す事はハードルが高すぎる。恥ずかしい、というよりも、そのような夢を見続ける事で、自分が異常な淫佚さを持っているなどと思われる事が怖かった。
夢の頻度は、当初は一ヶ月から半月に一度だったが、最近では数日に一度のスパンになっていた。眠っている状態であれば何処でもという訳ではなく、例えば授業中に居眠りをしてしまったり、休みの日に昼寝をしていたりといった時にはそういう夢は見ず、専ら夜にそれは現れた。
しかし、この時の事で、それすらも危うくなった。
私は今回、意識を失って保健室に運ばれ、静養させられている最中に、その夢を見た。これによって、今までの”法則”であった、家で夜寝ている間に見る、という事に例外が出来た。
私は、当然そう在るべきなのかもしれないが、自分で思っている以上に夢を見る事を恐れているようだった。麻耶から薄い水着の胸に触れられた時、連想したのはやはりそれ以上の行為で、それが夢への恐怖心に通じて過呼吸が引き起こされたと考えると慄然とした。
だから、今回学校で静養中に夢を見たのは、直前に意識を失うきっかけになった出来事自体がそれだったから、という可能性も十分に有り得る。
だがそうではなく、もしもこれが、徐々に鮮明になり、間隔の狭まっていく夢が新たな段階に達したという事であったら、以降も学校に居る間、何かの拍子に夢を見る事があるかもしれない。
夢自体も怖いが、そうなった時、私がもっと恐れねばならない事がある。
「ねえ、麻耶」
休んでいけと仄めかす先生の言葉を丁重に断り、麻耶と共に保健室を出ると、小走りで教室へと戻りながら彼女に確認した。
「私、寝てる間に何か言っていなかった? そうじゃなかったとしても、魘されて声を出してた、とかは……?」
「どうだろう?」
麻耶は、本当に分からないようだった。
「倒れてから保健室に運んで寝かしつけて、目を覚ますまで本当に十分経ったか経たないか、くらいの短い時間だったからさ。詩穂を寝かせた後、私はずっと先生から事情を聞かれてたし、もしかしたら何か言ってたのかもしれないけど、気付かなかったな。まあ、気付かなかったって事は、言ってたとしてもそこまで大きい声でもなかったんでしょ」
「そっか……」
ほっと息を吐くと、彼女は不意にニヤニヤと悪戯を思いついたかのような表情になり、私の二の腕をつついてきた。
「あれえ、詩穂、もしかして寝言聞かれたらマズいような夢見てたとか?」
「ち、違うよ!」
私は言い、顔が火照るのを感じた。
麻耶が思っているような程軽薄なものではないとはいえ、「寝言聞かれたらマズいような夢」を見ていたのは本当だ。それこそが、私が学校で例の夢を見るようになった時に懸念される事なのだ。
私はこれまで、自分の見る夢それ自体の内容を恐れていた。しかし、いつの間にかそれに、何らかの弾みでその夢を見ている事を誰かに知られたら、という事への恐れが介在するようになり、徐々にそちらの方が優位に立つようになった。
それが、私自身の春──婉曲な言葉を避ければ性意識──の目覚めという事なのかもしれないが、これは決して健全なものではないからだ。
私は、最近夢が鮮明になるに連れて、むしろ自分が苦痛への恐怖以上に、夢の終わりにそれが去る時の虚脱感に快楽を覚え始めている事に、背徳感のような気持ちを抱えていた。
そう──実際にそれは、張り詰めていたものを堪えなくて良くなった瞬間のような快感を伴っていた。
これは生々しい生物の本能によるものというよりも、麻耶たちから影響される中でそれまでは大っぴらに口にする事が憚られるような事柄に甚く惹きつけられる年齢に達し、それ故に背徳感それ自体を愉しめるようになった為、というのが大きな要因のようだった。
それが否応なしに私を、酷く浅ましい人間に変質させてしまったかのような気にさせるのだ。




