「兵隊」②
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ジョージ・ワシントン大学で経営学修士号を修得したマットだったが、陸軍士官学校から任命を受けた時、故郷であるカロライナに留まるという選択肢もない事はなかった。
最近になってより強く思うようになったのだが、マットは自らの人生を落ち着いたものにしたいと考えている。政府高官たちの下で長い間仕事を続け、叶う事であれば精神的な余裕を持ち、自分の為の仕事をしたいという思いは常に胸中から消え去る事はなかった。
日本の経済状況については、大まかな事についてはニュースで知識を得ていた。マサミの語ったように、昭和の終わりと同時に日本の経済に暗い影を落とす事となったバブル経済の崩壊の事も、二〇〇八年のリーマンショック、二〇一一年の東日本大震災がそれに追い討ちを掛けるような形になった事も一応知ってはいた。
昔、北海道を訪れた時から、マットは長い間、日本は経済的に優れた国であると信じていた。現実の知識を得た後も、不況は続いているとはいえ、米国の外の状況を目の当たりにするに連れて、日本は祖母の故郷であるという理由以上で自分にとっての安息の地に思うようになった。
現在マットの留まっているシリアでは、外国の銀行は機能していない。戦闘状態が続き、治安も悪化している為、この土地でビジネスを行おうという発想自体が有り得ないのだ。
『日本での起業について、手続きが知りたいです』
マットは、日本在住のマサミにそう尋ねてみた。この事について、ダニエルズからは苦笑交じりに「おいおい」と突っ込まれた。
「相手は高校生だぞ? そんな事、知ってるはずがないだろう」
「アドバイスくらいなら貰えるかもしれないだろ? それに、マサミはとても親切な少年だ」
「SNSでのやり取りには、くれぐれも注意した方がいい。そもそも本当に、彼が高校生なのか──というか、男か女かすらも分からないんだぞ。水を差すようで悪いけどさ」
マットは、ダニエルズの言う事は真実だ、とは思う。だが、本当の親切心を疑いながら相手に接するのは、信用して騙される事よりも、気が引けるという点でマットには苦しい。
ダニエルズは、「それに」と念を押してきた。
「そのマサミが本当に高校生の少年だとして、向こうでもお前の事を本当にシリア駐在中の米軍兵士だと思っているのかも怪しいんだぞ。お前に下心がないとしても、変に警戒されるような事を言っていないかだけはくれぐれも意識してやり取りするようにしろよ」
「……ああ、分かってるよ」
彼は親切心から、自分にそう忠告してくれたのだろう。しかし、やはりマットはマサミの事を疑いたくはなかったし、マサミが実はこちらを警戒しているかもしれないなどと考えるのは辛かった。
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『僕はまだ起業について詳しく知っている訳ではないのですが、少し調べてみたところ、外国人の方が日本国内で起業する際には経営管理ビザというものが必要になるらしいです。このビザの取得方法については、相談を行える専門の法人があるという事が分かりました。
詳しくお教えする事が出来ず申し訳ありませんが、それらに相談してみるというのは如何でしょうか?』
ダニエルズの言う通り、外国人の海外ビジネスについて高校生が知っている事はあまりないかもしれない、と薄々思っていたマットだったが、マサミは思いの外丁寧に返信をくれた。
マットは感激し、ダニエルズからは「ググれば出てくるよ」とやや冷めたような口ぶりで言われながらもマサミに新しいメッセージを送った。
『ありがとう、マサミ。あなたは望みを提示してくれましたが、私はそれらの団体に連絡出来るか分かりません。自分の国際パスポートとビザであれば、私は既に持っています。もし良かったら、それらの団体へ連絡するプロセスを教えて頂けると嬉しいです』
三十分も経たないうちに、マサミからの返信は送られて来た。
『そうですね……調べた知識にはなりますが、「S**行政書士法人」や「行政書士法人T**行政事務所」で検索したところ、ホームページに電話番号やメールアドレスが記載されていました。それらのアドレスに連絡を入れてみるといいかもしれません』
実際に彼から送られて来たメッセージの最後には、それらのホームページにアクセスする為のURLが添付されていた。開いてみたところ、本当に行政書士法人の連絡先が載っていたのでマットは嬉しくなった。
マットはすぐに『ありがとう』と返信し、それらの法人について参照しようとしたのだが、そこでキャンプパトロールの予定時刻になった。準備をしなければならない為、
『パトロールが終わったら、また連絡します。マサミから教えて貰った情報についても暫らく勉強が必要になると思うので、分かった事があればお伝えしますね』
と送信した。
それから少し考え、『私たちが無事にパトロールから戻る事をお祈りしていて下さいね』と付け加えておいた。
* * *
「顔も知らない相手から送られて来たリンクを、そう軽々しく開くのはマズいよ」
ダニエルズにこの事を話すと、彼は「良かったじゃないか」と言った上で、そう付け加える事を忘れなかった。
「まあ、何事もなかったから良かったけどさ」
「後でちゃんと、『S**行政書士法人』と『T**行政事務所』については自分でも検索してみるよ。っていうかダン、お前って何だか、段々”女房”って感じがしてきたな」
考えてみればダニエルズの懸念は至極真っ当なものなのだが、高揚している気分に水を差されると辟易する事は如何ともし難い。
「茶化すなよ。俺は、お前の事を心配してだな……」
彼は言ってから、「いや」と首を振った。
「実際に騙されたとか、そういう事がなかったとしてもだ。マシュー、お前のやっている事も、客観的に見たら相当怪しいぜ? お前がそんなつもりじゃなくても、変に相手に怪しまれて連絡が取れなくなるって事も十分に有り得る。お前、そうなった時は傷つくだろ?」
──それはそうだ。
マットは心の何処かで、その事は常に考えていた。
マサミに怪しまれ、メッセージが来なくなったらと思うと、マットはどうしようもなく不安になる。しかし、現在自分と彼は顔も、本名も知らない間柄だ。自分たちのコミュニケーションは非常に危うい信頼の上に成立しており、現時点は擬似的なものに過ぎないと言われれば否定する事は出来ない。
自分が日本へ移住する時が来たら、いずれ何処かで彼に会う機会は巡って来るかもしれない。しかし、だからこそ、繋がりは少しずつ、バーチャルなものから現実的なものにしていかねばならない。




