「花園の霊」①
花畑は、東京都心を見下ろす高台の公園にあった。
私はその花畑から、しばしばベンチに腰を下ろして眼下の街を眺めた。ベンチの傍らには大きな染井吉野の木があり、午後になって日差しが強くなると、木の葉叢がその光を丁度心地良いくらいの量に調節してくれる。
花畑は、誰が管理しているのか季節ごとに装いを変えた。
温暖で空気のいいこの高台では、春のチューリップ、ヒヤシンスを始め、一年中その季節を彩るような花々が咲く。垣根もなく、ただ手作りらしい低い柵だけが巡らされた花壇の周りでは、退職して悠々自適の生活を送っている老人が散歩をしたり、犬と遊んだり、小さな子供を連れた親が花々を観賞したりする。時には、平日の昼間に時間のある大学生らしい若者も訪れる。
公園のあちこちには噴水もあり、夏場は親に連れられた子供はその周りで水と戯れて遊ぶ。炎天下、冷たい水の飛沫を浴びた子供たちはきゃっきゃっと元気のいい悲鳴のような声を上げて跳ね回るが、ここから聞く限りではそれらの声も、姦しい都心に穿たれた一個の空白の中、公園の環境音という静けさを形成する一要素に過ぎないのだった。
私は昔からずっと東京に居て、移り変わる街並みを見続けてきた。
その気になれば、いつまでも一つの所に留まっている事も出来た。しかし私は、今まで専ら都市を彷徨い、自らの中に変遷する街の様相を記録する事に努めた。特にこの辺りはある時期を境に、何らかの魔法的な力が作用したかのように人口が増え始め、日々目まぐるしい程の変化を始めた。
個人にとって、都心に勤め口が増え、郊外よりも給料が良くなった事は、この場所に惹かれる理由としては十分すぎた。初めて渋谷のスクランブル交差点を歩き、人混みに揉まれた時、私は俄かに表白し難い閉塞感を感じた事を覚えている。
私がその時感じたのは、最早いつからか覚えていない程都に居り、それでもかつて経験した事のないような気持ちの強張りだった。なるほど都市は発展した、だが発展すればする程、私は性質上、既存の都市を構成するあらゆる単位について喪失感を覚えざるを得ないらしい。
ビルが建ったと思っていると、それがいつの間にかなくなっていた。眺めのいい場所から見下ろすといつも視界の何処かで、工事用クレーンが天空に向かって伸びていた。しまいには、公団住宅があった場所が気付けば大きな道路の真ん中になっているという事もあった。
この花畑のある公園を見つけ、その高台に立って街を見下ろした時、私は本当に久方ぶりに自らの落ち着く場所を得たような気がした。同じ都とはいえ、変遷のスパンの短い東京は、全てを観測するには広大すぎる。
高台の花畑は、戻るべき時に戻れる場所、精霊の宿る樹木のような性格でありさえすれば構わなかった。しかし、時が経つに連れ、私は何処を彷徨っても、最終的にそこに行き着く事が多くなっていた。
雨の日も、雪の日も、私はそこを訪れた。
じきにそこに宿ってしまうのではないかと思われ始めた頃、私は桜の木を隔てた反対側のベンチに座る老人に気付いた。
六、七十程の歳と思われる男だった。春物らしい灰色のセーターを着、肘掛けに杖を凭せ掛けながら、膝の上で文庫本を開いていた。それだけ見れば、ごく普通の、公園を訪れる他の老人と取り立てて変わった点はない人物だ。
気になったのは、その老人の佇まいがごく自然だった事だ。
あたかも噴水や芝生、木やベンチのように、訪れる人が入れ替わっても、昼夜が交替しても変わらぬ風景の一部としてそこに居るようだった。おかしな話だが、何故私は今まで、ここに座る彼に気が付かなかったのだろう、と疑問に思う程だった。それ程に、私は彼の居ない景色を想像する事が出来なくなっていた。
殊更に存在感がある訳でもない。それを言うならば、むしろ背景のようだという方が相応しい。
もう一つ私の目を引いた点は、老人の眼差しだった。
彼は広げた文庫本に目を落とし、時折指先で軽くページを捲る。しかし私にはその目が、どうにも活字を追っているようには見えなかったのだ。何処か遠く、人には見えないものを見ているかのようだった。
それは、本の内容が素通りし、頭に入っていないような、上の空というような様子ではなかった。難しくて理解が出来ない、というのでもない。老人には元々そこに書かれているような事は全て知っており、それが間違っていないかどうかを改めて確かめている、といったようなのだ。
気になりはした。だが、私は話し掛けようとは思わなかった。
ただ、翌日高台を訪れても、その更に翌日訪れても、やはり彼の居ない景色など有り得ないと言わんばかりに老人は居り、私はふとすれば彼をじっと見ている自分が居る事に気付いた。
桜流しの雨が降っても、老人は当たり前のように傘を差してそこに座り、本を読んでいた。その姿はどうも自分に似ている、と私は思った。
老人が話し掛けてきたのは、桜も殆ど散って新緑の葉が付き始めた五月上旬の事だった。
いつものように私が眺めるともなく眺めていると、彼が矢庭に顔を上げ、私の方を向いて微笑みながら「今日もいらっしゃいましたな」と言ったのだ。私はぴくりと眉を上げた。
「……気付いていたんですか?」
見えない訳ではない。ただ、私は人の意識に留まりにくいのだ。それこそ、本当に背景のように。
だからこそ私は、この老人に引っ掛かりを覚えたのでもあるが──。
「あはは、いえね」
老人は私の返答を意外に思ったのか、やや照れ隠しのように笑った。
「こうして静かな場所に独りで座っているとね、こう色々な事が感じやすくなるんですよ。人の視線なんて、最たるものです。こんな老いぼれを眺めたって何の得がある訳でもございませんしね、滅多に人も寄り付かないものですから」
「ああ、いえ……お気に障ったのなら、ごめんなさい」
「何の何の。気にする事じゃあございません」
彼は頭を掻いてから、「あなたも珍しいお人ですな」と言った。
「こんな所に、そう毎日立て続けにやって来る若い人なんて、そう居ませんよ。雨が降っている日も来ていたでしょう」
言ってから、私も人の事は言えませんがね、とまた笑った。
私はやや考え、「若い」と反復した。「僕、若く見えますか?」
「そりゃ若いですよ、老いぼれの目から見たらね。でも、はて……言われてみれば、学生さんという風でもなし。失礼な事を聞くようですみませんが、一体あなたは幾つなのです?」
「……幾つくらいに見えますかね?」
「そう言われると微妙ですな。社会人なら、入社してまだ数年というようにも、家庭を持って久しいようにも見える。ああ、これらは別に、幼いとか老けて見えるとかいう悪口ではありませんよ」
「お気になさらないで下さい。僕も気にしませんから」
それで、年齢の話は何処かへ流れてしまった。
私は葉桜の木の幹に背を預け、老人と並んで暫し沈黙したまま眼下を見る。都会の何処に居ても聞こえる砂嵐のようなノイズが遠くで鳴り、それを外界の音として数えまいとするかのように自動車のエンジン音だけが浮かび上がって耳に届いた。それは風の如く、すぐさま何処かへ遠ざかって行った。
老人は栞も使わずに本を閉じ、私と同じく前をぼんやりと見ていた。但し彼は街を見下ろすのではなく本当に真正面の虚空を──強いて言うのであれば地平を隠すように並んだ摩天楼の上部から伸びる、紅白の鉄骨で構成された工事用クレーンを見つめているようだった。
私は横目で、ちらりとその表紙を見る。詳しくは分からないが、何やら建築関連の書籍のようだと思った。
本を読んでいたのなら邪魔をしてしまったか、と思い、立ち去ろうとした時、私の何気ない視線に気付いたのだろう、老人が再び口を開いた。
「いいんですよ、これはついでのようなもので。私も、ここからは街を眺める方が本当の目的なんですなあ」
「何故、毎日?」
「さあ……それは、自分でもよく分からんのです。けれど、私はどうも他人より色々なものが見えすぎてしまうようなのです。だから色々、ぼんやりしているようで気が付けば考えてしまう」
老人は、風を味わうかのように深い呼吸をした。
「例えばここに居ると、やっぱり東京の事とかをね。昔とは大分変わった……なんて言おうにも、変わりすぎていて、いつの事を言っているのか正直自分でもよく分かりません。
ただ──そうですな、これが東京だというアイデンティティ、クラスだけは変わらないような気がするのです。東京というものを思い浮かべようとすると、いつも漠然とした雛形だけは変わらない」
「それは、どのような?」
「それが上手く言えないから、言葉の不自由さを感じるんですよ。どうも、色やら形やらとは次元が違うと言いますかな。土地の雰囲気というか、土地柄というか。それがどうやら、この街の心像であるらしい」
「……それを言うなら、『東京の』というより『都の』と言った方が近いのかもしれませんが」
容喙すると、老人はこくりと肯いた。
「或いは、その通りなのでしょう。都というのは、ある種の大きな抽象的対象とでも言うべき概念なのですよ。具体的な単位、トークンが人と、人の手によって作られた建物やら、文明の産物なのだと思います。今見ているような、家やらビルやらの集合を都市と呼ぶのではない」
「あなたは、抽象と具体をどのように線引きしますか?」
「そうですな、昔の人の受け売りですが、畢竟は因果的効力、この有無に尽きると思います。他者に働き掛けるか否か。それを言ってしまえば、都市は確かに人間を引き寄せます。過密だと言われる程、毎日沢山の人が都市にやって来る。時代は変わりました、都市に行けば夢が叶うなんて事をただ信じる人は少なく、むしろものは高いし時間の流れは速い、毎日自分を日常に馴染ませて生活していくので手一杯で、却って地方に居た時よりも心身を擦り減らしてしまう、誰もがそういったイメージを、何処かであらかじめ知る事になります。それでも、彼らは都市に住む事を選ぼうとするのです。
けれどそれは、本当に都市というそのものがしている事でしょうか? 土地柄が人を惹きつけている訳ではないでしょう。この国では東京以前にも、都は点々と移り変わってきた。都市に対して具体的対象が人ならば、私が土地柄と呼ぶような都の質的同一性は人間にこそ宿る。そういえば人間の本来の意味は、人と人同士の間を指す言葉ですからね」
老人はふと、私の顔を見上げた。
「事によるとあなたは……都そのものの移ろいを、今まで目の当たりにしてきたのではありませんか?」
「………」
私は、咄嗟に言葉を発する事が出来ず沈黙したままでいた。
老人は殊更に私のはっきりとした返答を期待していた訳でもないようで、穏やかな表情を湛えたまま先を続けた。
「人も動物ですから、都市という環境が一種のアフォーダンスを与えるのです。これは、人が生活する上で都市から受ける価値、機会とリソースの利用可能性を意味する事ですよ。その営為を以て、人は文明を発展させ、ものは生産可能化され、都市はある『形』を形成していくのです。
……何だか、鶏と卵のようですな。人が先か、都市が先か。けれどね、実際に都市は人を単位とし、拡大しています。この見晴らしのいい丘からは、摩天楼が増殖していく様がはっきりと目に見える」
彼の口調は、達観しているかのように静かなままだった。
「あなたも、そうは思いませんか?」
* * *
高架下を歩きながら、私は物思いに耽る。
あの老人は、私の正体について気付いたのだろうか、と考えた。もしそうだとすれば、彼の方で私を認知した時から「もしかしたら」くらいには思っていたのかもしれない。
しかし、あの最後の言葉──あれは、余程確信を持っていなければ発する事が出来なかったはずだ。
老人が「他人より色々なものが見えすぎる」というのは、どうやら本当の事のようだ。それでも、私を見つけただけに留まらず、私が知る限りの常識、既成の固定観念に囚われず私の存在──私自身を、ではない──を受け容れているのだとすれば、超自然的なものを感じざるを得ないのは確かだった。
彼のような人間も、居る事には居るものだ。
不思議な老人だ、という第一印象は抱きながら、私は判断をそれ以上先に引っ張る事はしなかった。
今は、まだ──。
本日より三日間で短編小説「花園の霊」を連載します。最近私はちくま文庫の『宮沢賢治全集』(全十巻)を読んでおり、「風野又三郎」及び「風の又三郎」を読んだ際、それが頭の中でアニメ『お伽草子』の最終回と結びつき、地霊と都市の哲学について考えるうちにそれから「マルドゥック」シリーズを連想した事が執筆の動機です。長編小説もそうですが、思いがけないもの同士を組み合わせて自分なりのユニークネスを生み出すのは私の定番の創作法です。
これらを知っている方々にはオチが分かってしまいそうですが、都市哲学の面についてはかなり私自身の解釈が含まれています。いつになく難解な内容ですが、どうか最後までお付き合い頂ければと思います。宮沢賢治の事については、後日エッセイの回を設ける予定です。




