「生き物語」③
* * *
「あー、やっぱりこうなってしまったのか」
「やっちゃいましたね」
「駄目ですねー」
鋸様の特別製手術刀を除けると、執刀医も助手たちも困り果てた表情で患者を見下ろした。円い腹腔は手違いで引っ繰り返されてしまった宅配ピザのような有様になっており、最早再利用不可能な程に破壊されてしまった臓物がブルーシートの上に散乱していた。
滅菌ガウンの上に撥ね跳んだ血液を拭き取りながら、執刀医は機械のモニターに映し出された白黒のスキャニング写真を見る。
「おい、待て。何だこれは?」
そこに、内臓が透いて見える半透明の稚魚のようなものが映っていた。胎児の如く背部を海老に丸め、胸鰭のような部位で頻りにグー、パーを繰り返している。その背中が丸められすぎて骨に突き破られた、というように裂け、カサゴにも似た刺々しい鰭がぱあっと開く。
羽化したばかりの昆虫のようにも、蕾が花開く様子にも見えた。
* * *
再び入った建物の中では、理科室のように台が規則正しく並べられ、その上に納体袋のような見た目のファスナー付きのツナギを着た者たちが寝かされていた。宇宙服めいた白い重武装の係たちが、鋏で四肢や頭部のある辺りの布地を切り、覗かせたそれらを電動鋸を使って切断していく。
全て処理を終え、幅広い胴体だけになった豚の背中──くるくると螺旋を描く短い尻尾でそうと分かった──に、係の一人がせっせと鉋を掛けて生ハムのような薄片を削り出していた。
「ここがデモリションコースです。エアロゾル程細かくではありませんが、選択者の方々をばらばらに裁断して誰が誰だったのかを隠します」
灰色キャップが言った。
「生まれ変わる際には、今生の妄念全てを除いて『土』になります。特に骨格はカルシウムを主成分とし、また人体に含まれるマグネシウムの五、六割をリン酸塩、炭酸塩として沈着させているので土壌改良剤の役割も果たします」
私の目の前を、天井を忙しなく行き来するクレーンが通過して行く。吊るされた皿の上には、角を両方引き抜かれ、皮膚と唇を全て剝がれて歯茎を剝き出した大きな牛の頭が載っていた。
「それと、このコースにはもう一つ特典があります。希望提出の際に意思表示カードを同時に出して頂きますと、解体された中で優位の部位を再利用し、モディファイコースのドナーになる事が出来るのです。場合によっては人格の共有が可能になり、この為に肉食性本能の抑制が効いたという事後報告も上がっています」
聴きながら、私はそうだ、と思い出す事があった。
何故忘れていたのだろうか。やって来たあの収集車を受け入れる前に、あの教室の窓際の、給食後の午後には強烈すぎる微睡みを誘う日差しの中。私は、もう「×」を付けた人を頭の中で懲らしめるのはやめようと決めていた。
体に電動ドライバーでネジを埋め込んだり、開かれた掌を鋏で切り刻んだりする想像に浸るのはおしまいにしよう、と。代わりに、僕はもう児童ディスポーザーに行くんだなあ、もうお別れだけど皆はこの先大丈夫かなあ、などという事を考えて、訳もなくしんみりとした気分に浸っていた。
居るはずのない未来の自分から、でっち上げの手紙を受け取って頭の中で読み上げていた。
『お元気ですか? 僕は今、世界のあちこちの森で木を植えています。小学校を卒業してから、あの頃僕の友達だったカワウソたちは不思議と見えなくなりました。けれど、今でも天気のいい春の日にお仕事に行こうとした時、横断歩道や曲がり角に彼らの姿が、ふっと見えるような気がする事があるのです』──。
そして収集車が来る前に、すっかり四肢の腐敗しきってしまった狸の胴が塀の下に落ちている事に気付いた。その穿たれた穴という穴から、私が一輪しか挿さなかったシバザクラが増え、綺麗な花束ででもあったかのように曇天の下で色鮮やかに咲き乱れていた。
私はまだ時間がある事を確認すると、校庭に入る辺りの土を掘って花束になった狸を埋め、この上に桜が一杯降りますようにと祈った。
* * *
< !DOCTYPE html>
< html>
<head>
<meta charset="UTF-8">
<title>Progress report of Donor No. 1725</title>
</head>
<body>
<h1>Decision</h1>
<p> In conclusion, finally he was scrapped. ...</p>
……
* * *
「ご希望のコースはございましたか?」
一通り案内が済むと、灰色キャップが尋ねてきた。いよいよ身体検査が行われる部屋の前で、壁沿いに並べられた籠には先に案内されていた猿と鼠とキリンの着ぐるみがきちんと折り畳まれて収まっていた。
私は微かに目を伏せたまま「いいえ」と返した。「お任せします。何に生まれ変わってもやっていけそうな気がします」
「……本当に、いいのですか?」
「はい。僕はここに来る前に、友達とちゃんとさよならをしてきました」
「そうですか。では」
係が言った時、丁度入口のカーテンが揺れ、中から額帯鏡を着けたてるてる坊主のような診断医が姿を見せた。顔は覆面に隠され、真ん中に縫い目があったがやはり何の動物かは分からない。ただ、背が異様に低い事が印象に残った。
灰色キャップが何事か伝えると、医者は一つ大きく肯き、彼と共に私の方へ歩を進めて来た。
彼らは私の左右に回り、カワウソの袖に触れると、突然それを上方向に思い切り引っ張った。ビリッ、という音がし、一瞬、下腿から顔までが同時に強烈な刺激を感じた。痛みかと思ったが、それはすぐに痒みに変わった。
視界が、鉄棒で逆上がりをした時のように大きく一周した。それが再び安定を取り戻すと、私は目の前に屹立する物体に目を疑う。
そこに、全身の皮を全て失い、筋肉の上にびっしりと細かい血液の粒を滲ませた人体模型のような人型が立っていた。医者と案内係は私を立たせたまま、その肉塊としか言いようのないものをどさりと放り出す。
「さあ行きましょうか、カワウソさん」
医者は、こちらを安心させるような穏やかな声で言った。私が恐る恐る自分を見下ろすと、やはりカワウソだった。
「良かったですね……本当に良かったですね」
「生きていて……ちゃんと命があって、良かったですね」
──ああ、そうか。ニホンカワウソは、絶滅した訳じゃなかったんだ。
そう思った時、私は涙が出そうになった。私が収集車に乗る前、捨ててきてしまったものは一体何だったのだろう。そのような事を思いながら、私は鼻先と髭を小刻みに震わせ続けていた。
二人の児童ディスポーザー職員は私の肩を支え、カーテンの向こう、薄暗い検査室の中へ黙々と導いて行った。
(生き物語 終)
最後までお読み下さりありがとうございます。徹頭徹尾謎でしたが、何だか物凄い話だった事だけは伝わった──はずです。
と、だけ言って終わらせたら苦情が来そうなので、作者としてあまり語りすぎない程度に解説を書いておきたいと思います。
最近メインで連載を行っている『夢遥か』をお読み下さっている方々はお分かりかと思いますが、あちらの小説には「死」が色濃く影を落としています。死のイメージを前面に押し出した物語は、志賀直哉の『城の崎にて』や芥川龍之介の『歯車』、太宰治『葉』など昔から色々ありますが、とはいえ『夢遥か』はただ暗いのではなく、人物たちがどのように生きて何故死なねばならず、また何を遺したのかという事にフォーカスを当てています。本作「生き物語」も全編に於いて死の気配が横溢していますが、こちらは『夢遥か』へのアンチテーゼ、というよりも、『夢遥か』と「『夢遥か』へのアンチテーゼ」から導き出したジンテーゼのような話です。
日本語で「……のように」を「……程」と置き換える事がありますが、「死ぬように(死んでいるように)生きる」と「死ぬ程生きる」は全く違った意味合いに受け取れます。前者が希望もなく惰性でずるずると生きているような感じ、後者は極限状態の中で尚生き延びようと藻掻いている感じ、と言えばお分かり頂けるでしょうか。ところが、不思議な事に英語で「live so dead」と書くとどちらの意味にも訳せます。
また、『葉隠』には「武士道というは、死ぬ事と見付けたり」という有名な一節があります。この文句について、戦時中は恣意的に曲解され、恐れず積極的に命を投げ出せというような過激思想の印象が多くの人に刻み込まれてしまいましたが、続きをよくよく読んだ私は「いつ死ぬとしても悔いがないように生きる為、死を意識の中に常に置いておく」という意味なのではないか、と考えています。
本作で意図したのは、全編に死のイメージを溢れさせる事で、逆説的に「生」の深刻さ(重大さ)の方を強く描き出すというものでした。以前私がメインの活動場所としていたXの創作界隈には、闘病中であったり日常に暗さを抱えていたりする人も多く居ましたが、その中でとあるポエマーの方が「実際に死と隣り合わせの体験をした事がない人は軽々しく創作のテーマに死を扱わないで欲しい」などとポストしているのを見、それは違うだろう、と思い、いつかこういった話を書いてみたいという思いは前から存在していました。『夢遥か』も本作も、死を賛美するような意図は全くなく、ただ死も含めて対象を描く際、「死を迎えた事」という一点にのみフォーカスして悲劇として扱うのは、そこに一つの生涯を生きた命があった事自体に目を向けていないのではないかと考えた事が動機です。
とはいえ、作者としては『夢遥か』が取り分け美談だとも考えていませんし、本作が『夢遥か』よりも圧倒的に完成されていて真理に近いとも思いません(そもそも文学を啓発目的でやり始めたらおしまいだと思っています)。ので、本作もやはりナンセンス小説である事には変わりないのですが、ただ面白がって気持ち悪いものを書いているのではないな、という事だけを察して下されば、作者としては非常に嬉しく思います。




