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未分類  作者: 藍原センシ
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「二十歳の事と震災の事」

 第8回仙台短編文学賞を主催する実行委員会は、大賞が安堂玲さん(54)=仙台市=の「相沢のおとうさん」に決まったと発表した。

(中略)

 応募総数は318編。実行委の土方正志代表は「作品の質が年々上がる手応えを感じている。東日本大震災を直接的に扱う作品は減ったが、背景に震災を取り上げたものは今でも多いのではないか」と総括した。

(河北新報 2025.3.8より)


 毎年この時期、東日本大震災に関連するニュースが報道される。特集では往々にして、地元の被災者やその周辺の人々の語る体験談などが取り上げられるが、過去何年もの間繰り返し観てきたそれらの特集で、「支えてくれた方々(地域、全国)への感謝」と「後世への伝承の重要性」は必ずと言っていい程含まれた。

 先日、仙台短編文学賞の選考結果が発表された。私はたまたま普段は読まない新聞記事でその事を目にし、地元の出版社・荒蝦夷(あらえみし)代表の土方氏の総括に「なるほど」と思うところがあった。

 私は一仙台市民として、敢えてエッセイに各種メディアで取り上げられるような事は書かないし、文章を書くようになってからも、この日が近づいて殊更(ことさら)にそれらのテーマで書こうと考えた事はなかった。ので、今回もそういったものは取り上げないつもりだが、先々月末に二十歳(はたち)になったのをきっかけに震災について当時と現在の事をつらつら書いてみようと思う。

 私は震災当時、小学校入学を直前に控えていた。幼少期の記憶は(ほとん)どなく、保育所での出来事も全くといっていい程覚えていない私だが、震災は私の記憶が現存する最古のものとして今でも在り続けている。

 私の通っていた保育所では、卒園式が近づくと園児たちが「卒園おめでとう」のクッキーとミートパイを作るのが伝統だった。午前中に手作りしたそれらを給食室で焼き、三時のおやつの時間にそれが食べられるという直前の事、昼寝をしていた私たちの丁度目を覚ましたホールを揺れが襲った。布団を片づけるべく開かれていた押入れからものが落ち、教室も荒れ果てていた。私たちは揺れが収まった後、裸足で園庭に避難し、後から教員たちが靴を持って来た。

 何時間、という時間感覚はなかったように思う。揺れが発生したのが午後二時四十六分で、祖母の迎えが来た私が家に帰った時には既に日が暮れかかっていたように思う為、二時間前後は園庭で待機していただろうか。雪が降り始めたのは夜で、その時の空が灰色に曇っていた事と、横長の建物の園庭から見て右側、縁側のある三歳未満の子供たちが居る教室の窓がいつまで経ってもびりびりと震え続けていた事を覚えている。

 園児たちそれぞれの保護者に連絡が行き、迎えが来た子供から帰宅した。私も祖母に連れられて帰ったが、帰宅すると玄関先の踏み石が隆起し(私の家は四十七年前の宮城県沖地震の際全壊して建て直したらしい)、靴箱の上にあった木台や植木鉢が転落していた。後に踏み石とコンクリートの間のひびを埋めたセメントの痕は未だに残っており、木台は落ちたまま今では沓脱(くつぬぎ)になっている。妹はその日風邪を引いてリビングで寝ており、そのすぐ傍にヤマハのグランドピアノがあった為、祖母は真っ先に妹を布団ごと廊下に避難させ、家族もその夜は廊下で眠った。転倒するものがない分そこが自宅で最も安全な場所だった。

 その後の事は不鮮明だが、言われれば「そうだったな」と自分の事として思える記憶になっている。電気、ガス、水道は使えなかった事、その為に焼きおにぎりやカップヌードルを石油ストーブで調理した事、妹と乾パンを分け合った事、自宅近くのパンセ駐車場に母親が長時間並び、物資を受け取った事など。祖母や母が最も印象深いのはその後の保育所の事で、私も妹も卒園式の日まで登園しなかった。このような表現は相応しくないかもしれないが、園側としてもそれどころではなく、卒園式が行われなかったらどうしようという不安があり、無事では全くないながらも式が執り行われた際には安堵のあまり涙を流したそうだ。

 小学校入学後は、古い校舎の天井が落ちるなどの被害があり一年次はプレハブ校舎で過ごした。二年次から建て直した新校舎に移り、第一世代だった私は中学校への進学後、築七十年の校舎を相当古臭く思った。

 私の家は、他の多くの家庭と同じく荒れ果てたしライフラインも寸断されたが、倒壊するような事もなく家族も無事で、復旧は比較的早かった。連日のように続く余震や鳴り響く緊急地震速報で不安な気持ちにも苛まれたが、毎年報道特集で取り上げられるような瓦礫のまだ残る地域や仮設住宅、津波で家や家族を流された人たちのような「被災者」として語るべき言葉はそこまで持ち合わせていない。

 伊坂幸太郎氏の「震災のこと」(メディアファクトリー「幽」Vol.15掲載、集英社文庫『仙台ぐらし』収録)というエッセイに、次のような文章がある。


 以前、阪神淡路大震災の被災者が、「被災地以外の人間にこの気持ちが分かってたまるか、と感じるところはある」と言っていた。そうなのかもしれないな、と今は思う。震災だけに限らない。理不尽な出来事に巻き込まれた人には、その当事者とならなければ分からないことがたくさんあるに違いない。「想像力」はとても大事なことだけれど、それは安易に使ってはいけない言葉のように、感じてきた。僕には、大きな被害に遭った人たちの大変さは、ずっと分からないままだと思う。


 伊坂氏本人は仙台市在住で、震災の際も仙台に居たが、私と同じく大きな被害には遭わなかったそうで、その後被災地の作家として震災に関する文章を求められる事には心苦しいものがあったそうだ。その為基本的にはそういったオファーは断り続けており、かつて『仙台ぐらし』収録のエッセイを雑誌に掲載して貰っていた荒蝦夷の土方氏や地元からの原稿依頼のみ例外的に引き受けていた事は、あとがきにも巻末の土方氏との対談でも繰り返し述べられている。故に伊坂氏としては、それらを単行本収録時に含めた事で『仙台ぐらし』が「震災の本」として受け取られる事もあまり望んではいなかったという。

 私も、石原慎太郎が当時津波の被害について「天罰」発言をした事を知った時には義憤などではなく自分の事として怒りを覚えたが、自分が「被災地の人」という目で見られるのはどうかという事を考えると、それは(いささ)か違うような気がするというのが正直なところではある。

 日頃から震災の出来事を意識する、という事は私も減ったし、街を歩いていてメディアで三月に見るような「震災の爪痕」を目にするような事もない。防災意識の低下という意味ではないが、復興が進み、被災地の人々が時間が経つに連れて前を向いて行こうと考えられるようになる事は、間違いなく良い事だと私は思う。しかし、未だに生活再建という言葉が通用しない日常を送っている人々が確実に居るという事は事実だ。この事については、安易に同情的なコメントを寄せるのではなく心の何処かに留めておく必要がある。

 一昨年、私は大学のゼミの「自分が住んでいる地域の問題を発見し、マネジメントの方法を考える」という夏期休業中の課題で、震災とその後年に生まれた当事者でない若い世代への伝承というテーマを選び、初めて荒浜海水浴場を訪れた。仙台で唯一の海水浴場であるここは、震災の際に津波の被害を受け、以降ずっと災害危険区域とされ運営が行われていなかった。昨年二〇二四年七月にやっと再開されたが、その前年に私が訪れた際は、波打ち際まで行く事は出来たものの沖での遊泳は禁止されたままだった。

 荒浜地区には約八百世帯が暮らしていたが、津波によって(ほとん)どの建物が壊滅的な被害を受け、その後災害危険区域に指定された事でそれまで住んでいた住民たちは内陸への移転を余儀なくされた。地区にあった荒浜小学校は四・六メートルの波が押し寄せ、四階建て(海抜約七百メートル)で地域の指定避難所とされていた為に避難してきた三百二十人が三階以上で命を救われたものの、現在では震災遺構としてそこに建ち続けている。

 現地に足を運んだ私はその静けさの中で、十二年ぶりに震災が”風化”していないのだという事を実感した。見渡す限り夏草の生い茂った空き地に、破壊された建物の基礎部分が剝き出しになった状態で所々に見える様や、堤防沿いに植えられていた防風林──仙台を舞台にした伊坂氏の『アヒルと鴨のコインロッカー』の本文中に登場する「駅をずっと東に行った、海岸沿い」の「松林」がここだったのではないかと私は推測している──が痩せた数本の松をぽつぽつと残すだけになっている光景は生々しかった。

 深沼海水浴場を襲った津波は、南仙台から荒井まで、仙台の東部沿岸の多くを浸水させた。荒井には祖母の実家があり、私の自宅からもそう離れているとはいえない距離である。私の通っていた保育所の教員の中には、自宅がその被害に遭い全壊したという人も居た。

 市内に到達した津波の最大の高さは宮城野区の仙台港で七・二メートル、福島県相馬市で九・三メートル。遡上高は岩手県宮古市での四〇・五メートルが国内での観測史上最大だったという。

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