「文学フリマ東京39 事後報告・作品感想」
文学フリマ東京39(東京ビッグサイト)、無事終了。じぇいけぇ組としては初参加となる今回、来場者数は一四九六七人(内訳:出店者四〇二六人、一般来場者一〇九四一人)で過去最高を記録した模様。何とも凄いタイミングで初参戦してしまったものである。
私は東京に行くのは中学三年次の修学旅行が最初で最後であり──というより私用で新幹線に乗った事すらなかったので、行くだけでもかなりの不安があった。その上じぇいけぇ組の妹たち──エキノコックスは財政の都合で前日から会場付近で野宿をしているし、とろ@しゅたっとばーんは朝っぱらから列車が人身事故で遅れるしでどうなるか事と思ったが、合流から会場到着、準備開始まではスムーズに行えたのでひとまず安心した。
何より、私本人のメディア外初露出である。Xで活動している間は、私は顔はおろか声すらも公開した事はなく、じぇいけぇ組の二人と通話する中で初めて「自称男子大学生の実は中年女性かもしれない人物」の疑いが晴れた具合であった。無論現実の人脈があるはずもなく(頼りない長女でごめんなさい)、今回は藍原センシの活動範囲を広げる第一歩であったともいえる。エキノコックスのかつて参加した同人誌のメンバーであったり、ネット上で名前だけを知っていた創作者の方々であったり、様々な方と顔を合わせる中で、「この人が『うい! ─10代だけの創作集─』の編集をした藍原か」と認知して頂けたのなら嬉しい。もっと公募の企画に積極的に参加してみるのも大切ですなア……とつくづく実感した。
そして、何と言っても我らがじぇいけぇ組のプロデューサーであり「お母さん」であるまるさんと初対面。娘さん同伴で足を運んで下さり、それぞれの時間の都合上ゆっくり話す事は出来なかったが、今度はゆっくり皆で会食でも出来たらいいなと思っている。
* * *
『うい!』はやはり非常に売れ、事前にネット販売をしていた事もあったが残り数部というところまで行ってしまった。謹呈も少なからず含まれたが、やはり実際に現物を目の当たりにするのは違うものである。私は始終興奮しっぱなしであったが、個人的に最も熱くなったのは、店じまいも近づいた頃に親子でブースを訪れて下さった二人。母親の方は創作歴があり、また息子さんの方も十一歳にして詩歌を味わう面白味を知っていた。
私たち十代創作者──主に詩が主要──が『うい!』を発行しようと考えた意図には、現在の詩壇に対して「次世代の創作者」はまだ残っているぞ、と喧伝し、ネットで活動する多くの人々との橋渡しをするという事もあった。まさに、将来有望な詩人の卵に巡り会えた訳だ。
無論、出会いは人とだけではなく、作品との事もある。
挨拶回りをする中で、沢山の創作者の方々からご恵贈を受けた。恥ずかしながら私は文芸誌の購読などは今まで行った事がなく、詩作品に至ってはコンテンポラリーなものに触れる事がネット上でしかなかったのである。一週間かけて全ての作品を読み終えたので、レポートも兼ねて感想を書こうと思う。
素晴らしい作品の数々を下さった皆さんに改めて心から感謝を申し上げると共に、今後のご縁に一層の期待を込めて。
以下敬称略
●『幻代詩アンソロジー Vol.3』ライトバース出版 編集・黒崎晴臣
ご夫婦でブースを訪れて下さった黒崎さん。「〈幻〉を30行で表現せよ!」というルールの下、小笠原鳥類さん、椿美砂子さん、石川敬大さんなど四十九人のメンバーが参加した詩誌。私も見覚えのある方々の名前が散見され最初から期待。小説に置換可能な詩は排すべきという持論の私だが、本誌は詩特有の暗示的な、現実の物事が転義され説明文が排されて残った、夢占いのモチーフ的な体系のみが押し出された作品が並んでいる。詩の詩である由縁が集約された、と言うべきか。印象に残ったフレーズを幾つか取り上げる。
「遍路」山田真佐明
・晩春と初夏のさかい/晴れわたった空を背に/白装束をはためかせ歩く/遍路の残映の話
小学生の頃に読んだ児童文学、アリソン・アトリー『妖精のスカーフ』に収録されていた「木をあけるかぎ」という物語で、主人公が古い樫の木(だったか?)の記憶を見、その地でかつてあった出来事を現実の光景に重ねて幻視するシーンを思い出した。麗らかな白昼、突如目の前の景色が時を遡り、かつてそこであった地の記憶とでも表白すべき光景を自分を置き去りにして映し出し、また一瞬の後に幻視は去り先程までと変わらない麗らかな日差しだけがそこに降り注いでいる……ような。
「馬待ち」鳥井雪
・あの夜/風は吹いていた/雲は真珠色に流れ/酷薄な月の暈/おまえは飢えていた
・やがて わたしの声の残響を おまえの蹄の音が裂いて おまえがやってくる だから
作中に登場する「馬」とは何のメタファーだろうか。私は一読した時、荒々しく大きな黒い馬を思い浮かべた。それは埴谷雄高「闇のなかの黒い馬」に登場した、主人公を「闇の果て」に連れて行く幻想の馬のせいかもしれないし、或いはEve×Deuの楽曲『フラットウッズのモンスターみたいに』のMVに描かれた馬の為であったかもしれない。
「山月記」の虎のように、内なる獣として描かれる馬は手のつけられない程荒々しく奔逸で、しかし最後は一人称の人物と和解する。本作品の馬はそうした、成長する以前に「私」が暴走するのを恐れて捨て去った「内なる獣」で、それを過去の自分を虚心坦懐に見つめられるように頃に改めて拾い直し自らの一部とする、人格肯定の為の仮想体なのだろうと受け取った。
「ダックスフンドワッフル」文雨伽奈
・あの子のリップクリームはミンチ肉だってさ/警備隊のアルカイックは最終戦だってさ/興醒めだね、って眼鏡を割ったきみの瞳から/眠れない不定形が広がることだけを知ってる
文雨さんとはXでも交流があり、イラストに対して募られたお題詩に私が参加した事もある(「プリクラ」と「サーカス」)。文雨さんの詩は若い女性の抱え、育んでいる可憐さと醜い闇のような部分が、混ざり合うでもなく共生している。というよりもむしろ、暗鬱の行き着いた猟奇性は可愛らしいファッションのその一部であり、取り除く事が出来ないものなのではないか、と思わせる。それはルイス・キャロル『不思議の国のアリス』に、原画の恐ろしさやその名を冠する不気味な疾患、ブラックユーモアを加味した後代の作品群が付き物である事にも通ずる、現代的であり突き詰めれば普遍的なものであるインプレッションなのかもしれない。
「バイバイ・ランバージャック」黒崎晴臣
・「慟哭と哄笑が似ているように/懲罰と贖罪は似るのでしょうか?」
何度か読んでいるうちにそうではないかと思った事だが、題名は「バイバイ」でありながら語り手がランバージャック(木こり)で、鍵括弧で書かれている台詞は樹木の言葉ではないだろうか。木を伐り、燃やして生きる者の中で最も木に近い所に居るランバージャックには、生き物としての木の声が(たとえ幻聴であったとしても)聞こえる。私が敬愛する小説家、伊坂幸太郎の『グラスホッパー』で、自殺教唆専門の殺し屋に今まで自分が死に追いやって来た者の霊が強迫観念の如く付きまとう描写があるが、それに近い印象を受ける。
また泉鏡花「三尺角」でも、人物が食卓の魚の中に自分と同じ命を見た為に食べられなくなり、それを想像した息子が森の木の葉全てが命に見えてくる、という描写があった事も思い出した。「わたし」にとっては、斧を振るう木が本来それ自体には形のない「命」そのものの形に見える。罰は罪に対して下すものでありながら、下す方にも贖罪をする相手と同じ程の感応がある。これが敢えて木の声に言語化される事で、その声自体に「わたし」がややもすれば自覚していないだけかもしれないオブセッションが示唆される。
●『聲℃ said Vol.8』『同 Vol.9』ライトバース出版(編集・黒崎晴臣)
これもまた黒崎さんご夫妻から頂いた詩誌。朗読を聴く事の出来るQRコード付きの本なのだが、まだそれらを聴くまでは出来ていない。ので、同じく文章だけを読んだだけの感想を幾つか。
「おきあがりこぼし」鈴木奥
・……(上略)……病人達がなんとおきあがりこぼしなことでしょう。病に伏したあとはもうあたらしい病人にはならないのだから、起きて倒れて起きて倒れて起きて倒れて 起き起きて
「なんとおきあがりこぼしなことでしょう」はこの直前にもあり、引用箇所はリフレインされたフレーズだが、直後の反復箇所がおきあがりこぼしを倒した時の徐々に振幅を小さくしながら起き上がっていく様を見事に表している。フレーズ自体にはどん底から「もう落ちないからあとは這い上がるだけ」というような気概を覚えさせるようなものがありながら、全体的に何処か達観したような雰囲気がある。今を受け容れてはいるけれど、もし今より良くなる事があったらそれはそれで嬉しい、というような。最初の方に末期症状を思わせる箇所がありながら、不思議と陰鬱なものを感じさせない柔らかな筆致だった。
「あらゆる色彩は白に帰結する」高橋加代子
・ゆっくり時間を遡るには鈍行列車がちょうどいい乗り物である
一行目で心を掴まれた。走馬灯のような生と死のイメージ、けれど走馬灯のように目まぐるしくなく、晩年になって人生を振り返り受け入れる作業が終盤に近づき、最も古い記憶たちが残されていくような。そしてそれが母胎まで遡った時、再生が始まる。「詩が生まれる時/私も目覚める」とは、即ち「私と詩が共に生き始める」とも言える。「私」は根っからの詩人で、詩境の中に生きているのだろうな、という事を感じさせる作品だった。
「虚実の箱」黒崎水華
・抱き竦めた外套の中で詩を孕んでいる/私は今でも死を孕んでいる
芥川龍之介の「歯車」や志賀直哉「城の崎にて」のような、淡々とした筆致の中に灰色の死の影が付きまとう。これは最終プロセスである受容に至った人の感情ではなく、いつ現れるか分からない対象を恐れるような不安感を伴っているが、決して怯えているだけではない。むしろ、そのような何かに追われるような切迫感の中であるからこそ、リアリティを持ちながら究極的に精錬された言葉=詩的言語を語り手は持っているように思う。
●『渡辺八畳ポートフォリオ Version8.0』渡辺八畳
ブースでコンクリートの詩のオブジェクトを拝見したり、詩の量り売りなどの試みに触れた時「寺山修司が長生きしたらやりそうだな」などと思った私だったが、この冊子を読んで更に想像を超えてきた。最初に収められていた詩群(「Clicbait」「空間と技巧」が特に気に入った)も良かったが、八ページ目のWikipedia挺身プロジェクトで声を出して笑ってしまった。
交流は今回が初めての八畳さんだが、近年様々なニュースや掲示板でも取り上げられている模様。ユーモラスな事を真面目に行われる姿勢、創作者が自身を限定しない為には必要なものである。
●『平安物語詩 冬と春』よしおかさくら
表紙に和紙を使用され、紐で和綴じされたお洒落な本。色もカラフルだったが、私は暖色の卵色を選択。よしおかさんとはXであるユーザーの方が実施した「リレー小説」という企画でご一緒させて貰った事があったが、日本語の美しさの際立つ古風な世界観は、私が創作第一期で量産していた作品の事もあり非常にシンパシーを感じるものだった。私自身はかつて自分が綴った古風な作品は「語彙でぶん殴る」ものとして否定してしまったが、この作品を読むうちに嫋やかかつ雅やかな日本語への憧憬が再燃しそうになった。
●『はじめから/つづきから』紺野真
全体的に、小さな声で精一杯に自身という「生活」がある事を世界に主張するようなみずみずしさと痛々しさ。このような情動を切なさと言い換えるのだろうか。お気に入りのフレーズを取り上げてみる。
「はじめから」
・現実は甘くなくてチョコレートばっかり食べてる/古傷も生傷も痛い痛い/それでも私は私でありたい
痛い、と思うのは、生きていたい、自分自身のままで存在したいと願っているからこそ。自傷行為に走ったり、自ら命を投げ出してしまいたいと思った人は、痛くなくしたい、今抱えている痛みを避けたいという思いとは似ているようでいて実際には少し異なる。「はじめから」は「改めて」であり、逃げながらもそれは生きたいからであり、私はちゃんとこういう形の一つの人生を生きている、という意思表示にも感じさせてくれる。
「君と君と君」
・生きていなくたって君は君でそれは誰にも奪えなくて
これは思い出を表現した詩なのだろうか、と解釈した。「はじめから」が一つの人生を現在進行形で生きている「私」=主体の話なのだとしたら、こちらは一つの人生を生きた「君」=客体へのメッセージ。どのような形で終わりを迎えても、ちゃんとその人自身として生きていたのなら人間合格。手向けの言葉であり、「君」が居た事を確かに知っている私も居る、という優しいメッセージでもある。
「前頭葉を抱えて」
・明日、天気が良かったらきみの頭にUSBポートを作ってぼくの頭に接続しよう、と思う/(一行空き)/ぼくのいい天気はくもり。
特に最後の行が私好みだった。いいも悪いも、好きも嫌いも人それぞれで、当然ながら「いい天気」に関してもそのはずが、何故か皆「いい天気」と聞くと晴れを連想する。今年「快晴」という天気の分類がなくなったが、それでも尚個人の中に残り続けるものがあるなら「快曇」があってもいいかもしれない。
「つづきから」
・ここに居る/誰も助けには来なかった/だってヒーローは私だった
私の好きな言葉に「貴方は日々劣等感に立ち向かう戦士だ」(煮ル果実のボーカロイド楽曲『ハイネとクライネ』より)というものがあるが、それに近しい雰囲気を感じた。勇者やヒーローは人々を助ける側の人間であって、助けられる側ではない。それを他人が認める事は、勇気に敬服する事であると同時に突き放す事でもある。信頼故に「一人で戦いなさい」と言うような言葉で、奮い立つ人も居れば絶望する人も居るだろう。敢えて「私」がどちらなのかを暈したまま事実だけが記されており、心理状態によって読み味が異なるのだろうな、と感じた。
●『震える耳』ユウ アイト
ゾウのイラストでお馴染みのユウ アイトさん。エキノと一緒にブースを訪れた際にこちらの作品集をご恵贈下さった。「耳」という題名に相応しく、聴覚に訴えかけるような作品が多い。
「ない水」
・ピシャリッと/網戸を閉める音がして
・固い耳をほぐすのは/ない水の音
題名にもなっている「ない水」とは形而上の存在であり、語り手のセンスの中で振舞っている。「同級生の音をたてずに口に含むのみかたが好きだった」、或いは「祖父の『おんせん』という発音」、第四連に登場するこれらはどちらも水(液体)に関わる物事でありながら、水そのものの音ではない。「ない水」の音とは、夜の間に内面世界で水位を上げるそれとは、個人心理の過程なのではないかと私は考えた。語り手は音を非常に敏感に拾い、象徴化して溜め込むらしい。それが、ある一線を越えた時に「ない水」として視覚化される。共感覚のような作品だ。
「新宿。legatoで」
・さえずりは/さえずりとして忘れられた/この反河の街では/この幽霊の街では/黄土色の下土の上に生えた/深く窪んだ顔が犇めき合って騒がしかった
・無意識に小さな声で「un danse」ってカウントインから開かれるドア
・新宿南口では 数人の歌手が/からがら勝ち取った夜の限りある間取りのなかで/喉という楽器を抱きかかえ
特に音楽的なこの作品では、情景が一繋ぎの楽譜の如くパノラミックに映る。本書に収録されている他の作品よりも圧倒的に「私は」で始まる行が多く、それは内心であったり行為であったりするが、一人称から観測されるあらゆる他人たちが「私」と同じように音楽的な主観で世界を観測していたら、それは詩情のオーケストラであるとも言える。「legato」は「音同士を滑らかに繋ぐ」という意味の音楽用語だが、ここではそれぞれの人間が耳であり、また音そのものであるようだ。
「石に関する断章、あるコンチェルトのためのスケッチ」
・あのとき/石に初めて近づき聴いた震えを/「石の声」と呼ぶならば/柔らかく、そして濡れていき/諸々の配置を/(暗い部屋に横たわる者たちの顔を/そのコンチェルトの全貌を)/いよいよ明らかにしていく
石は無言・不動を象徴するものである。最初の方に「みんな最後は石になる。」というフレーズがあるが、私はそれが墓石のようにも、何万年も経った後の化石のようにも思えた。あらゆるものは素粒子で構成され、それぞれが固有の振動数を持っているという事は研究により明らかになっているが、これは敢えてスピリチュアルな言い方をするならば、石のルーツとなった誰かが素粒子単位で体に刻み込んだ記憶が、外見を変えようとも本質を変えずにそこに宿っている、とも布衍して言う事が出来そうだ。
コンチェルト(多重奏)は主となる楽器を中心に据え、他の楽器の伴奏によりハーモニーを生み出す曲の形式だが、この場合あらゆる命が究極的に行き着いた石という形、削痩し圧縮された最終形になって尚残り続けた「震え」こそが主楽器のメロディである。形は異なれどそのもの自体は一つである石を軸に、作中にピックアップされる万象が宇宙=時間・空間的な繋がりを以て描写されている。
「Plant」
・森は音の産室だった
・ある日、男と言葉を拾いに行くことにした 口にはしなかったが 男が選んだ言葉はどれも彼女も気に入るものだった
これらを読み、私は思わず口角を上げた。表題作や「森は、柔らかくしなる」にも森というモチーフは登場したが、森は森羅万象の母胎を暗喩しているように私には受け取れた。私は最近、しばしば「詩人は詩を『創る』のではなく『拾う』者たちなのだ」という持論を展開しているが、『震える耳』に描かれる彼ら(ユウさん本人がモデル?)は森をその拠り所としているのだろう。もしくは、彼らには自分たちの創作の源泉が森という形で現れるのかもしれない。
●『温々 #2』編集・井嶋りゅう、高柴三聞、高細玄一
どの作品も素晴らしく勉強になったけれども、敢えて「これは」と思った方を選ぶとすれば碧はるさん、石田諒さんの二人。
「mu視が増Eて静か《^_^》vなru」碧はる
これは何処を引用するという訳でもないのだが、小説のような、詩的散文のような始まりから徐々に言葉が変質していく様には瞠目させられるものがある。英語が苦手な「僕」の文章の中に、次第にローマ字から英単語に変化した語句が取り込まれるようになっていく(が、多くが誤変換状態)。最後の方には句読点すらなくなってしまうが、私はここに恐ろしい程の強迫観念と、それを突き抜けてぷっつりと切れ、何も感じなくなってしまう前兆のようなものを感じた。ユーモラスに見えた題名と気抜けしたような筆致が気付けば大きく意味を変えているところに、重いテーマが実感を伴うまでの創意が読み取れる。
「公共施設」石田諒
これもまた全編について述べたいので引用箇所はないが、世間話をするおばさんの嫌らしさが見事に再現されていた。具体的には①同じような熟語が反復される、②文節ごとに語尾がやたらと伸びる、③台詞をそのまま再現する──私の近くにも居るので分かるが、恐らくその部分は小馬鹿にしたように高音になるのだろう──といったところ。石田さんにも何かと思うところはあるのでしょうな。
一方で、公共施設と謳いながら役所ならではの融通の利かないところも、語り口は嫌らしいながら共感してしまう。直接的に「こうしてくれないか」という体制批判が語られないのも好ましい。
また、高柴さんと高細さんの歴史の闇をドキュメンタリータッチで描いたような作品(「赤い薄」、「藤岡事件」)も印象的だった。このような事を言うのは非常に申し訳ないのだが、戦争や悲劇的な体験を語り継ぐ人々の話には、ややもすると何処か小学生時代から繰り返し語り聞かされたような記号化された「誰かの体験」と「教訓」に終始し、実際以上に感情に迫らない事もしばしばある。が、これらの文章にはオリジナルの「ナラティヴ」(言説)があった。それが、詩情を伴った言葉としてすっと私の中に落とし込まれたようだった。
改めて書き起こしてみると、今回頂いた作品の数々は私自身の「文芸」を再確認させると共に、私が持っていながらも形にする事の出来なかった物事について、なるほど、こういう表現方法があったのか、と気付かせてくれるような良い刺激を与えて下さるものばかりだった。私も多くの創作者の方々に自著を謹呈したが、自身もまた同じように、十代の若者として、何より一創作者として他者に良い刺激を与える事が出来たのだとすれば、幸甚これに過ぎるはない。




