「文体と作風」
(初出 note、2024年2月8日)
ある作家に注目し始めると、段々その作家の書いた文章の”味”が分かるようになってくる。名前を伏せられて複数の異なる作家が書いた文章を見せられても、「これはこの作家のものだ」と気付くのだ。
文体というものは、なかなか作家本人をよく映している。同じ内容の事を書くのであっても、それを綴る文章が異なれば読んだ時の印象もがらりと変わる。
森鷗外の文章は、初期は舶来の言葉がふんだんに盛り込まれ、ごてごてと飾り立てた印象を受けるが、大正時代になると整然とした潔いものになる。泉鏡花は、怪奇幻想作品では読む者を妖美な世界観に誘い込み、人情ものではそれを忍び敢えて無頼を気取っているようなところがある。谷崎潤一郎のは柔らかい何かで皮膚を撫で回されるような妖しさがあるし、太宰治は本人の大袈裟な起伏がそのまま反映されているような気もする。
現代の作家も取り上げるが、知念実希人さんは目の前の事に熱く、伊坂幸太郎さんは周囲を俯瞰的に見ている誰かが徐々に人らしい熱さを取り戻していくような印象を受ける。森見登美彦さんは古風で自尊心が高いながらも自虐的で繊細な文学青年のようだし、柳広司さんはユーモアとシニックを一体化させたように風刺的で、河野裕さんは伝えたい一言の為に百の言葉を尽くすような切実さが感じられる。
私が特に自信を持って文章とその著者を解答できるのは池波正太郎で、あの一文ごとの改行、心情や情景の形容をそのまま台詞調に記す描写、お手元の文春文庫『鬼平犯科帳(一)』を手に取って最初の数行を例に出すと、
小野十蔵が、目ざす家の前に立ったのは、その日も夕暮れになってからである。
光照寺という寺の横手に、その小間物屋があった。
ささやかなその店の戸は、かたく閉ざされてい、虚無僧すがたの十蔵は、そこへ足をとめた瞬間に、
(妙だな……?)
役目がらの直感がひらめいたものだ。
と、こうである。
私は好きな作家の作品を読み、自分が予想していた通りの文体に出会うと物語に突入する前にまずニヤリとしてしまい、「○○(作家名)節が来た」と胸裏で呟くのだが、この「○○節」、誰が書いた作品か、という事の判断基準について語ると、なかなか理解して貰えない事が多々ある。例えば「谷崎潤一郎の書いた小説ならすぐに分かるんだよね」「ああ、官能的なテーマが特徴的だしね」といった風に、艶冶で柔和な文体ではなく主題の方でそれと判断される、といった事である。
テーマの選択については、作者の意志一つで幾らでも変える事が出来る。デビュー直後の森見登美彦さんが「腐れ大学生」に関する抱腹絶倒のコメディを連発し、急にシリアスな怪談を執筆すればそれは異色作という扱いになる。伊坂幸太郎さんは創作が三期に分かれており、第一期は「軽妙な会話」「伏線とその回収」が大きな特徴だったが、『ゴールデンスランバー』に始まる第二期へと突入する前後、「魔王」や「呼吸」、「ギア」といった作品はそうした当時では異色だった。
しかし、作風と文体はイコールではない。どれだけ今まで取り扱ってきたテーマと異なったり、読後の後味が変わったとしても、文体はそう簡単には変化しない。作家の驚くべきところは、「この人が書いた」という軸を変化させないまま、その文章によって紡ぎ出す世界観の方を変質させる点だ。ここがしっかりと作られていないと、創作物がいずれも浅薄なものになり、多様な作品は出来るかもしれないが「本当にこの人が書く必要があったのか」という疑問が生じかねない。
ここまで述べると、創作物に於いて何より先立つのは文体だ、と私が主張しているようにも思われそうだが、稀有な例外がある。それは、夏目漱石の事だ。
漱石の作品では、作風が無数にあるという事は読書をする人なら分かっていると思う。しかし、漱石の創作物で異なっているのは作風だけではなく、文体もまた然りなのである。初期には特にそれが顕著なのでパターン分けを行ってみる。
尚、以下に挙げる分類名は私が勝手に名付けたもの、文章は適当にページを開いて抜き出したものである。
・落語的風刺系
今度はさっきのようにめざましい食い方もしなかった代わりに、ハンケチを使って、中途で息を入れるという不体裁もなく、蒸籠二つを安々とやってのけたのは結構だった。(『吾輩は猫である』)
中学の教頭ぐらいな論法でおれの心がどう動くものか。人間は好ききらいで働くものだ。論法で働くものじゃない。(『坊っちゃん』)
・浪漫系
ゴーゴン、メジューサとも較ぶべき顔は例に由って天地人を合わせて呪い、過去現世未来に渉って呪い、近寄るもの、触るるものは無論、目に入らぬ草も木も呪い悉さでは已まぬ気色である。(「幻影の盾」)
有の儘なる浮世を見ず、鏡に写る浮世のみを見るシャロットの女は高き台の中に只一人住む。活ける世を鏡の裡にのみ知る者に、面を合わす友のあるべき由なし。(「薤露行」)
・俳諧的描写系
悄然として萎れる雨中の梨花には、ただ憐れな感じがする。冷やかに艶なる月下の海棠には、ただ愛らしい気持ちがする。(「草枕」)
春はものの句になりやすき京の町を、七条から一条まで横に貫いて、煙る柳の間から、温き水打つ白き布を、高野川の磧に数え尽くして、長々と北にうねる路を、おおかたは二里余りも来たら、山は自おのずから左右に逼って、脚下に奔る潺湲の響きも、折れるほどに曲るほどに、あるは、こなた、あるは、かなたと鳴る。(『虞美人草』)
これらから受ける印象の違いは「作風」の違い以前に「文体」の違いである。文体文体と連呼して分かりにくいのであれば、口調の違いと言い換えても良い。漱石は元来根っからの江戸っ子気質だが、その後近親者の度重なる死去、ロンドンでの劣等感や帰国後に教え子に自殺され風評被害を受けた事、病気の発覚など様々な事件が起こって厭世的、神経質になった。その一方で、少年時代から文学に対する志や熱意もあった。性格上に様々な側面があり、それぞれの性格が反映されれば無頼なものも生まれ、繊細なものも重苦しいものも生まれる。そしてそこには、題材だけでは生み出し得ない価値観が介入する。
漱石の文体が定まってくるのは、『三四郎』『それから』『門』の前期三部作が登場する辺りからである。この辺りでは漱石は専ら恋愛に題材を取るが、大病を経た後に発表された後期三部作『彼岸過迄』『行人』『こころ』を始めとしたエゴイズムを取り扱う作品になっても、取り扱う事柄の変化はあれ文体にそこまでの乖離は感じられなくなる。
やがて、平岡は筆を机の上になげつけるようにして、座を直した。なんだか込み入ったことを懸命に書いていたと見えて、耳を赤くしていた。(『それから』)
父はかねてから腎臓を病んでいた。中年以後の人にしばしば見るとおり、父のこの病は慢性であった。(『こころ』)
彼は驚くよりも寧ろ迷惑そうな顔をした。細君にはその態度がぐずぐずしている臆病もののように見えた。(『道草』)
漱石は純文学というよりエンターテインメント的だ、とされる事も多いが、現代の一般的な大衆小説とそこまで差異はない文章といえばいえる。過不足はなく、詩的表現というよりは物語で魅せる。それでも、読んでただストーリーに対する「面白かった」「つまらなかった」というだけの感想で終わらないものを残すのは、主題がしっかりと作品の根底に流れているからである。
主題の為に物語があり、物語を間違いなく理解させる為に過不足のない文章でそれを書く。今で文豪と呼ばれる作家たちにはそれぞれ癖ともいえる特徴があるが、漱石はその点でスタンダードな文豪といえるだろう。
それから、ある作家の面影が、その人の作品が好きな後の世代の作家に継承される例もある。序盤から例に出していた森見登美彦さん、伊坂幸太郎さんで続けるが、この二人はそれぞれ内田百閒、大江健三郎の愛読者である事をエッセイなどで公言している。そして私は、それぞれの面影を彼らに見る。
森見さんの場合、いわゆる「腐れ大学生」の持つプライドが高く面倒臭いにも関わらず繊細なところや、気配だけを漂わせて背筋をひやりとさせる怪奇譚は、いずれも内田百閒の著作からも感じられた事だ。前者の空気感は百閒だと『阿房列車』、後者は『冥途』が良い例だ。
伊坂さんと大江健三郎は、作風というよりは文体に関連性を感じさせる。こちらは陳述するよりも実際に読んで頂いた方が良い。
・大江健三郎「死者の奢り」より
頰の、厚い皮膚の底でほてりが融けて行くのを僕は快楽的な気持で感じていた。
・伊坂幸太郎『砂漠』より
何事にもさめている僕のその大学生活が、もしかすると彼らによって、劇的なものになるのかもしれない。そんな予感とも期待ともつかない気配を、その時の僕は感じていた。
一文を抜き出しただけでは十分に伝わらないかもしれないが、洒脱で軽妙、深刻な事を深刻そうに見せないようにしているようで、読めばやはり強い情動が流れ込んでいる。そして、何処か優しい。
伊坂さんに大江健三郎の、森見さんに内田百閒の面影を感じる理由は、それぞれ文体と作風が根拠になっている違いがある。どちらの方が面影を感じやすいのかは、その作家の作品でどちらが特徴的で目立つか、という事に懸かっている。一つの主題で書き通せばその作家の印象が「作風」の方で残るかもしれないが、私はやはり「これは自分の文体だ」というものを持っていた方が、「異色作」を書いたり新たな創作上の挑戦をする際には安定した基盤になると考える。
どんなジャンルでも書きこなす事の出来る作家は、多才で守備範囲が広いと言われる傾向にあるが、それは自分なりの文体という足場がしっかりと出来ている事が大前提でなければならない。




