ステラの想い
下町の食事処で簡単に夕飯を済ませることにした。食事の間、ステラは何を食べても美味しいとしか応えない。
グルメレポートを期待しているわけではないのだが、普段は苦手としている苦みのある野菜も残さずぺろりと完食した。
店を出た頃には夜空の月も高く昇っていた。
とはいえ、今日から始まった王ディションの影響からか、まるで通りは夜祭りのような賑わいだ。
「ここで転移魔法を使っては目立ちそうですね。こちらへ」
人気の無い路地裏に魔王様の手を引いた途端、彼女が全身をビクンとさせる。
「ひ、人のいないところに連れ込んで、何するつもりなのかしら?」
「ですから、転移魔法と申し上げましたでしょうに。あまり遅くなると、不在を心配してベリアルさんが王都に突撃してくるかもしれませんし」
「そ、それなら大丈夫よ。ベリアルもハーピーもリムリムも、甘い息をたっぷり吸わせてきたから、朝までぐっすりじゃないかしら? あ、ちゃんと長椅子に寝かせて毛布も掛けてきたから安心してちょうだいね」
「安心させるつもりなら、そもそもお忍びで王都に来ること自体自重すべきでしたね」
少女の頬がぷくっと膨らむ。
「だって、ニーナが心配だからしょうがないじゃない」
目は口ほどにというのは本当で、ステラの瞳は俺に対して何か言いたげだ。
「わかりました。ここは人通りも多いですから……落ち着いてお話できる場所にでも行きましょうか」
「わ、罠とか無いわよね?」
「王都に乗り込んでおいて、今さら心配なさるのですか。ご安心ください。取って食うようなことはいたしませんから」
「さ、さっき……食べられちゃったんですけどぉ」
膨らんだまま少女の頬が赤らんだ。
「ごちそうさまでした」
「ちょ、ちょっともう! 真顔でなんてこと言うのよセイクリッドのばかぁ」
両手をグーにしてポコポコと俺の胸を叩く魔王様に、なぜかほっと安堵する気持ちになった。
神官が魔王に和むとは、我ながら世も末である。
路地裏から転移魔法で魔王場前の教会に一直線でも良かったのだが、俺はしばらくステラに付き合うことにした。
大通りを抜けてローヌ川の支流を利用した水路に出る。
ゴンドラを借りると、反り上がった船体の先に灯したランタンをぶら下げて、夜の水路を遊覧した。
オールを手に船尾に立ってゆっくりとこぎ出す。静かな船出だ。
水路の流れは穏やかで、街の灯りがキラキラと反射して星の海を渡るようだった。
しばらく光景に見とれていたステラが、こちらに向き直って俺に訊く。
「ね、ねえセイクリッド。これってデデデ……デート……なの? だったら普通は順番が逆っていうか、ほらキ、キキキキスって一番最後にするものでしょ?」
いったい誰からそういったことを教わったのだろう。ベリアル……というのは考えにくい。魔王城にある書物かなにかで得た知識か、もしくはもう一人の住人であるハーピーか。
または、もう魔王城にはいないかつての家族からというのも考えられるな。
「魔王様にそういったことを教えたのは、どなたなのでしょうね?」
「お、お母様よ! あ、えーとニーナのお母様のシータお母様じゃなくて、マリアお母様が教えてくれたの」
先代魔王ルキフェルの正妻にして、ステラの母親か。シータが亡くなったあと、マリアは姿を消して、それを追ってルキフェルも魔王城を出て、二人とも二度と戻ることはなかった……という話である。
川の中程でステラが立ち上がってゴンドラが揺れた。
「こ、ここならキスしても……だ、大丈夫かもしれないわね」
周囲に他の船はない。俺とステラを見ているのは天の月くらいなものだ。
「ええ。キスでも秘密の話でも、なんでもできますね」
ステラはハッと目を丸くした。
「そうだったわ。ちょっと雰囲気に呑まれそうになってたけど……ねえセイクリッド。ニーナに会いたいの。会いに来たの。大神官の権力とか裏金とか恫喝で、なんとかインチキできないかしら?」
「魔王様は大神官を誤解しておられます。そういった事でしたら……魔王様直々に教皇聖下に申し出てみてはいかがでしょう?」
少女はブンブンと首を左右に振った。
「無理無理無理無理絶対無理! だってヨハネちゃんってあたしの正体とか、知ってるんでしょ?」
「魔王城前の“最後の教会”に私を配属する決定権は、聖下が握っておりますからね」
オールを動かす手を止めて、俺はそっと自分の胸に手を当てると一礼した。
「じゃあ魔王が王都にいるってバレたらもう、大変じゃないの?」
「おそらく、聖下はすでにステラさんの侵入そのものは感知しているかと。私がそばについている限りは、大丈夫ですからご安心ください」
教皇の実力を鑑みれば、捕捉されているのは間違い無いだろう。
それから「立っていると船がバランスを崩しますので」と、俺はステラに手を貸しつつ、もう一度座ってもらった。
俺もオールを置き台にかけると、対面するように腰を下ろす。
ゴンドラは水路の流れに身を委ねた。ステラがぽつりと呟く。
「そっか。バレてるんだ……」
「他の人間にはまだ気づかれておりません。そうなる前に、戻るとしましょう」
ステラの口から大きな溜息が漏れた。
「ニーナに会いたいなぁ」
「きっとニーナさんも同じように思っているはずです。ですが、ニーナさんはお姉さんになろうと、がんばっているのですから。王ディションのことは別にして、ステラさんのもとを離れて一人前のレディーに成長しようとしているニーナさんを、一緒に応援してあげましょう」
ステラがますます気落ちしたように下を向く。
「このままニーナは大人になって……いつか魔王城から出ていっちゃうのかしら」
それを決めるのはニーナ自身だ。
「まだまだずっと先のことではありませんか」
「先ってことは、やっぱり出ていっちゃうの?」
しまった。今のは失言だったか。ニーナが人間であることが判明した今、魔王城に留まる理由はない。ニーナが望めば教皇ヨハネが責任をもって教皇庁に受け入れ体制を整えるだろう。
キラリと夜空に星が流れる。
少女の頬にも涙が一筋、尾を引いた。
「あのねセイクリッド……あたしは……あたし自身は世界の誰に受け入れられなくてもいいの。魔王だもの。いつか勇者と対決する責任があるわ。そこから逃げるつもりはないもの。だけど……ニーナは違う。巻き込んじゃいけないのよ」
ニーナが王になろうとそうならなくとも、いずれあの天使のような幼女が真実を受け止める日がやってくる。
その時の事を考えてなお、魔王は自分ではなく大切な妹を想っていた。
俺は黙って言葉を待つ。
「ニーナさえ幸せであれば、あたしはそれでいいの。だから……お願いセイクリッド。今はクラウディアを守ることが使命かもしれないけど、ニーナを守ってあげて」
まるでもう、自分の手の届かないところにニーナが行ってしまったかのような言い草だ。
「必ずやお守りいたしますよ。ニーナさんと……ステラさん。お二人とも、この大神官におまかせください。専守防衛……つまり守ることにかけては、私も心得がありますので」
「う、ううっ……うああああああああああああああああああああああんッ!」
ぐらりとゴンドラが大きく揺れて、少女は俺の胸に飛び込むとしばらく子供のように泣きじゃくった。
明日は“勇”の試練だ。守ると約束はしたのだが、正直なところ次の試練に関しては、ニーナはもちろんクラウディアに対しても、見守るよりほかなかった。
勇気を試すのだから、他の者が手助けはできないのだろう。
となれば明日の結果を受けたあと、最後に残る“武”の試練が勝負の分かれ目だ。
今はクラウディアを勝たせ、無事にニーナを三つの試練から解放することに尽力するよりほかなかった。
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