できちゃうかもしれない運転
少女の身体を解放する。が、ステラはしばらくトロンと目尻を落としたまま、呆けたような顔で立ち尽くす。
「もう大丈夫ですよステラさん」
「はぇ……もう終わりなの?」
「ええ、終わりました。私の体内に隅々まで行き渡ってしまい……無力化に時間がかかりまして。失礼の段をお許しください」
胸に手を当て頭を下げて謝罪すると、ステラはハッと身体をビクつかせた。
「ちょ、ちょ、ちょっとセイクリッドなななななななんてことしてくれちゃうのよおおおお!」
番兵が両目を手で覆って「自分は樹木です。街路樹です。なにも見てはおりません」と、彼なりに気遣ったようだが、まあ……見事なまでに追い打ちである。
月明かりの下であっても、茹で蛸のように顔が真っ赤になったのがわかるレベルだ。
ステラは両手をバタバタとさせて俺に抗議した。
「初めてなのに! あたしの初めてなのにいいいいいい! 初めてのキくぁwせdrftgyふじこlpッ!!」
もう途中から言葉になっていない。
辺境の島にある魔王城暮らしでは、それも当然というべきか。
とはいえ、あのまま甘い息が城門近くで発動していれば、それこそ大事件である。王ディションの期間中に魔王が殴り込んできた。こんな事件が発覚しようものなら、強硬派のマーゴが支持を集めてしまいかねない。
今回はなんと、世界の危機を未然に防いで事案で済んだのである。
ちなみに「見ていない」という番兵に目撃されたことも考えると、大神官とて無傷ではない。
噂は一晩で知れ渡るだろう。
ステラはその場でぐるぐると回り始めた。これは……相当な混乱ぶりだ。
「あばばばばばばばば! 世界がまわるぐーるぐるまわるわはははははは!」
「ステラさんの初めての人間になれたとは、光栄の至りです」
穏やかな笑みとともに告げると、魔王は口元を手で覆って膝をガクガクと笑わせた。
「ど、どど、どうしよう。赤ちゃんできちゃう。セイクリッドの赤ちゃんできちゃうううう!」
できません。たぶん。魔族の生態に詳しくはないが、さすがにそうはならないだろう。
パニック状態の魔王様は、俺の顔を指さして「どうしてくれるのよ!? あたしの大事なものを奪ってせ、せ、せ、責任問題よ!」と、一段と声を震えさせた。
ただでさえ警戒厳重な王都のど真ん中で、うかつに甘い息など使おうとすればリスクも高いということを、今後魔王様におかれましては、十分にご理解いただきたい。
「さあ、続きは教会に帰ってからにいたしましょう」
真顔になってステラがぴたりと動きを止める。
「え? き、キスって続きがあるの!?」
今のは俺の言い方も悪かったが、わざとですか。
「そうではありません。本日お呼び立てした件に関する、とても大切なお話の続きです」
来てはいけないと忠告したにもかかわらず、来てしまったのはステラの方だ。とはいえ、俺が呼んだということにしなければ、番兵にも怪しまれてしまう。
これは嘘ではありません。光の神よ。彼女にはしておきたい話があるというのは、紛う事なき事実なのです。
ステラはをじっと俺を見つめる。ルビーの瞳は涙に潤んでいるものの、そこには憎しみや怒りはなかった。
恥ずかしい。ただただ、恥ずかしいという感じだ。
巡回の足を止め、こちらを遠目に見ていた衛兵たちも「あーはいはい。今夜はなんだか妙に熱い夜ですね」と、言ったか言わずか、それぞれの巡回ルートに戻っていった。
城門の守り手たる番兵は未だに両手で顔を覆って「何も見ておりません」という態度を崩さない。人の口には戸は立たない。明日、俺が世間でどのような事案的人物と噂されようとも、この番兵を恨むまい。彼は職務に忠実なだけなのだから。
「そうですね。せっかくお越し戴いたのですが……どこかで食事でもいかがですか?」
ステラに手を差し伸べると、彼女は手を取ろうとしてぴたりと止まり、恐る恐る俺の指先に触れたかと思うと、再び手を引っ込める。
一刻も早くこの場を離れなければならない。
少々強引かもしれないが、こちらから腕を伸ばして彼女の手をとり、跪いてその手の甲に唇を重ねた。
「どうかお願いします」
顔を上げウインクをしてステラに合図を送る。こちらに合わせて欲しいという意図だが、うまく受け取ってもらえるだろうか。
「あう……う、うん」
立ち上がって彼女の手をとったまま、俺は王都の下町へと案内するように魔王様をエスコートして歩き出す。
「お、オタッシャで! お幸せに!」
手を振る番兵に見送られて。
しばらく歩いて城門が小さくなったところで、ステラも少しだけ落ち着きを取り戻したようだ。彼女はそっと自身の下腹部のあたりをローブの上から撫でるようにする。
「ど、どうしよう……」
「心配せずとも、キスで子供は授かりませんよ」
「も、もしできちゃったらどうするの? この世界に絶対なんてことは何一つないんだから」
だめだ話が通じない。
「では、その時は責任を取りましょう」
言った途端に足を止めて、ステラは頭から湯気を上げた。
「ううぅ……セイクリッドのバカぁ。今がどういう状況かわかってるの? ニーナが大変なのよ!」
「存じ上げておりますとも」
下町の酒場や飲食店の集まった界隈に広がる夜の喧噪までは、あともう少し先まで歩かなければたどり着かない。
ステラは俺の手をぎゅっと握りしめた。
「は、初めてだったのに……こんなの公平じゃないわよ」
「それでしたら、こちらも初めてですよ」
事実を伝えた瞬間――
ステラは「う、嘘……でしょ?」と、唖然とした表情で俺の顔をしたからのぞき込んだ。
「神に誓って。ああ、姉上にはよくほっぺたにされておりましたが、それを含めなければ」
「だ、だ、だってセイクリッドっても、もも、モテそうじゃない。学校に通ってたんでしょ?」
「不思議と女性とは縁が無かったと言いましょうか、皆さん、姉上の威光もあってか私と距離をおかれるものでして。そうではない積極的な方々からは、恨みばかり買っておりました」
これで許してもらえるとも思っていないのだが、ステラはみるまにドヤ顔になると、水や空気の抵抗を受けにくい胸をぐっと張った。
「な、な、ならばよし! 同じ初めて同士だったから、公平ってことでゆ、ゆ、許してあげなくもないわ! けど、物事は最初が肝心なのだし、あんな状況でいきなりするのってムードが無いっていうか女の子の気持ちをちゃんと考えてないっていうか、ともかく、そ、そんなセイクリッドがキスしても許される女の子なんて、世界のどこを探してもたぶんいないって思うのよ。うん、本当に相手があたしでよ、よ、よかったわね!」
もはや混乱の極地の模様。
魔王様、瞑想スキルを使うなら今をおいて他にありません。
コミックウォーカー&デンプレコミックほかにて
コミカライズ公開まであと二日!!




