第7話:一線のむこう側
「ねえ、本当に……誰にも言わない?」
放課後の薄暗い部屋の中で、私はシャツの裾をぎゅっと握りしめながら、かすれた声でそう呟いた。
ベッドの端に腰掛けた慧太郎は、困ったような、でもどこか愛おしそうに目を細めて、私の頭を優しくなでる。
「言わないよ。そんなこと、できるわけないだろ」
「……うん」
その言葉に安心したくて、私は彼の胸に顔をうずめた。
甘い香りと、少し早鐘を打つ心臓の音。私たちはもう、引き返せないところまで来ていた。
図書館の静けさの中で出会っただけの私たちが、今はこんな風に秘密を共有し、お互いの体温を確かめ合っている。子どもから大人へ無理やり背伸びをしたその先に待っていたのは、想像以上に甘美で、同時にどうしようもなく痺れるような快感だった。
誰も私たちの世界には入れない。
同級生の男の子たちがどんなに騒いでも、由奈がどんなに恋バナをねだっても、私だけが知っている秘密の領域がある。その優越感と、大人になったという勘違いが、私の心をふんわりと満たしていた。
けれど。
その「一線」を越えてしまった代償は、思っていたよりもずっと近くで、冷たく牙を研いでいた。
数日後。
いつものように学校の廊下を歩いていると、すれ違うクラスメイトたちの視線が、やけに刺さるように感じられた。
気のせいだ、と自分に言い聞かせようとする。だけど、階段の踊り場で由奈と数人の女子がコソコソと集まっているのを見た瞬間、背筋にぞわりと冷たいものが走った。
「……ねえ、それマジなの?」
「うん、確実。だってお姉ちゃんが……」
私に気づいた瞬間、ピタリと会話が止まる。
由奈が向けた視線は、いつもの茶化すようなものじゃなかった。底冷えするような、心配と、そして何かを疑うような、冷たい目だった。
「ゆらり」
由奈が近づいてきて、私の腕をきつく掴む。
「ねえ、放課後、いつもどこ行ってるの? 最近、外泊した日もあるって本当?」
「なっ、何言ってるの……!」
「隠さないでよ! 私たち友達でしょ? なんか、やばい噂流れてるんだよ。相手、大人の男の人なんでしょ……?」
心臓が、バクバクと暴れ出す。
血の気が一気に引いて、呼吸の仕方が分からなくなった。
どうして? 誰にも言っていないのに。あの部屋でのことも、二人の秘密だったはずなのに。
私の怯えた顔を見ただけで、由奈はすべてを悟ったよう息を呑んだ。
「……嘘、本当に……?」
嫉妬や、友達としての単なる好奇心なんかじゃない。
それはもっと切実な、取り返しのつかないものに対する恐怖の色だった。
隠しきれなかった私たちの変化は、甘い蜜の匂いではなく、周囲の大人たちを呼び寄せる毒の匂いになって、静かに私たちの日常を侵食し始めていた——。




