第4話:息のできない日々
あの夜から、私の世界の色がすっかり褪せてしまった。
学校の授業中も、友達と他愛のない話をしているときも、頭の片隅にはあの日の慧太郎の言葉がこびりついて離れない。
——『君はまだ幼いよ』
何をするにもため息が出て、胸の奥がずっと締めつけられるように重い。図書館にも足が向かなくなり、あの場所で感じていたはずの「呼吸のしやすさ」は嘘だったかのように、毎日の空気がまたドロドロと重たくて仕方がなかった。
「……やっぱり、ダメだ」
数日ぶりの放課後、私は自分の足で再び図書館の自動ドアをくぐっていた。
あんな風に否定されて、傷つけられて、もう二度と顔なんて見たくないって思ったはずなのに。この息苦しさをどうにかできるのがあいつしかいないなんて、悔しくて情けなくて泣きそうになる。
いつもの閲覧席の角。
そこに座っていた慧太郎は、私を見るなり、わずかに眉をひそめた。
「……ゆらり」
彼の声は、あの日の夜よりもずっと疲れていて、どこか痛々しかった。
パーカーの袖を無意識に引っ張るその姿は、私を拒絶した「大人」なんかじゃなくて、同じように何かに怯えて迷っている、ただの男の人に見えた。
「来るなって、思った?」
私は震える足で彼の前に立ち、まっすぐに見据えた。
「……なんで来たんだよ。もう、あんな話は終わりにしたはずだろ」
「終わりになんてできてないよ!」
声を荒げた私に、周りの人がちらりと視線を向けたけれど、もうどうでもよかった。
「忘れようとしたし、子供だって言われて納得しようとしたよ。でも、無理だった。慧太郎がいないと、私、まともに息もできないの……! これのどこが子供の勘違いなの? 教えてよ!」
涙がこぼれそうになるのを必死に睨み返す。
慧太郎は息を呑んだように目を見張り、それから、苦しそうに顔を歪めた。
「……俺に関わらない方がいい。君はまだ、自分の人生のほんの一部しか知らないんだから。俺みたいなのに囚われたら……」
「そんなの、私が決める!」
私は彼の言葉を遮り、さらに一歩、机に身体を乗り出した。
「子供扱いしないで。私のこの気持ちが本物かどうかなんて、私が一番知ってる。……慧太郎だって、本当は気づいてるくせに。私が必要なんでしょ?」
沈黙が落ちた。
図書館の分厚い空気の中で、二人の呼吸の音だけがやけに大きく響く。
私のまっすぐな眼差しから逃げるように目を泳がせていた慧太郎だったが、やがて、観念したように深く、深く息を吐き出した。
そして、困ったような、でもどこか愛おしそうに歪む、初めて見るような優しい笑みを浮かべた。
「……参ったな」
慧太郎は椅子から立ち上がり、私の頭にそっと手を伸ばした。乱暴ではなく、まるで壊れ物を扱うような優しい手つきで、ポンと軽く触れる。
「……本当に、敵わないな。……うん、分かったよ。俺には、ゆらりが必要だ」
その瞬間、世界中の空気が一気に肺の奥まで流れ込んできた。
胸のつかえが嘘みたいに消え去り、涙がポロリとこぼれ落ちた私に、慧太郎は少しだけ切なそうな、でも甘い瞳を向けた。




