第3話:名前のない問い
「ねえ、慧太郎」
閉館間際の静まり返った図書館で、私はノートの端を指先でちぎりながら、ずっと喉の奥につかえていた言葉を押し出した。
「ん?」
慧太郎はペンを止めず、気だるげに返事をする。その無防備な横顔を見るだけで、胸の奥がキュッと締めつけられるように痛んだ。
「……これってさ、どういうことなんだろう」
「これって、どれ?」
「あの……一緒にいて胸が苦しくなったり、他の人と話してるところを見るだけでモヤモヤしたり、もっと私のことを見てって思ったりする気持ち」
自分でも驚くくらい、声が震えていた。
慧太郎がゆっくりとペンを置き、私の方を向き直る。その真剣な黒い瞳に捉えられた瞬間、逃げ出したいような、もっと近くに寄りたいような、ぐちゃぐちゃな感情が頭を駆け巡った。
「それって……」
「わからないから、教えて。これって、哲学的な問いかけなんだよね? 私のこの気持ちの名前を、慧太郎が知ってるなら教えてよ」
まともに彼の目を見ることができなくて、私はテーブルクロスをぎゅっと握りしめた。
少しの沈黙が落ちる。図書館の時計の秒針の音だけが、やけに大きく響いていた。
やがて、慧太郎は小さく息をつき、困ったような、どこか痛ましそうな笑みを浮かべた。
「……ゆらり」
名前を呼ばれただけで、涙が出そうになる。
「それは、すごく綺麗な気持ちだし、君にとっては本物なんだと思う。……でもね」
慧太郎はそこで一度言葉を切ると、まるで子供を諭すような、優しすぎる声音で言った。
「君はまだ幼いよ。……そういうのって、一時的なものだから」
――幼い。
その一言が、頭の中で何度も反響した。
あんなに甘かった空気が、一瞬で冷たい氷水に変わったみたいに、肺の奥がツンと痛む。背伸びして、必死におしゃれをして、大人に近づいたつもりだった私を、彼はやっぱり「子ども」として扱った。
「……そっか」
震える声を押し殺して、私は作り笑いをした。
「そうだよね、子供の勘違いだよね。ごめん、変なこと聞いて」
それ以上そこにいられなくて、私は荷物を乱暴にバッグに放り込んだ。
「じゃあ、私もう帰るから」
「あ、ゆらり――」
慧太郎の制止の声を背中で聞きながら、私は図書館を飛び出した。
外の夜風は冷たくて、さっきまで熱かったはずの胸の奥が、嘘みたいに冷え切っていた。涙があふれそうになるのを必死にこらえながら、私は暗い夜道をただ走った。




