第19話:私が私を殺すとき
公園の入り口に差しかかったとき、私たちはまだ、少しだけ距離を開けて歩いていた。
秋の冷たい風が、乾いた落ち葉をカサカサとアスファルトの上で転がしていく。
「……少し、歩き疲れたな」
慧太郎が前を向いたまま、ぽつりと呟いた。その声はどこか落ち着いていて、まるで二人の間に訪れた静けさを確かめるようだった。
「うん……そうだね。あそこの公園、ちょっと寄っていこっか」
私たちは並んで小さな公園のフェンスをくぐり、古びた緑のベンチに腰を下ろした。
並んで座るには少しだけ距離があって、お互いの肩は触れ合わない。遠くで子どもたちが遊ぶ声が小さく響いているけれど、私たちのまわりだけは、妙に穏やかな、時間が止まったような空間が流れていた。
――これでいいんだ。
頭の片隅で、そんな声がした。
お互いに傷つけ合うのはもう終わりにして、それぞれの場所で、それぞれの大人としての人生を歩んでいく。それが、五年という歳月を経て私たちがたどり着いた「正解」のはずだった。
慧太郎が、かすかに息をついて口を開く。
「……これから、だな。お互いに、ちゃんと自分の足で生きていかないとな」
その言葉を聞いた瞬間、私のなかに、すとんと腑に落ちるはずの感覚が……奇妙な音を立てて逆流した。
……あれ?
いま、なんて言った?
『ちゃんと生きるってなに? お互いのために距離を取るのが、そんなに正しいことなの?』
私の心のなかで、冷たい声が響いた。
慧太郎はまっすぐ前を向いたまま、穏やかな、どこか諦めを含んだ顔で頷いている。その横顔を見て、私は自分のなかに澱のように溜まっていたものが、急に沸騰し始めるのを感じた。
待ってよ。
私たちが話していたのは、こんなことだっけ?
あんなに狂おしいほどお互いを求めて、すべてを壊し合って、あの地獄のような空白を潜り抜けてきたのに、なんで今になってそんな綺麗にラッピングされた言葉で、綺麗におさめようとしているの?
――それでいいの?
――本当に、それがいいの?
――それが、この五年間、私が夜ごと反芻し続けた言葉なの?
――慧太郎に会えたら、一番最初に伝えたかった言葉が、これなの……?
頭の中で、理性が必死にブレーキを踏もうとする。
*「大人になれ」「これ以上迷惑をかけるな」「これが二人のためだ」*って、どこかの誰かの声が耳元で囁く。
違う。
そんなもの、全部嘘だ。
私の心臓が、耳元でうるさく脈を打つ。息が詰まる。喉の奥がヒリヒリと焼けるように熱い。
五年間、誰も私に本当のことを言ってくれなかった。
「かわいそうな被害者」として扱われ、私の意志も、私の熱も、全部綺麗に消毒されて、安全な枠に押し込められてきた。
そして今、私自身がその「安全な枠」に収まろうとしている。慧太郎を傷つけないように、世間に波風を立てないように、上品で物分かりの良い「元・教え子」の顔をして、綺麗に別れようとしている。
――ふざけるな。
そんなの、私が私を殺すのと同じだ。
あの部屋で、あの暗闇の中で、あの人が私の名前を呼んでくれたときから、私の時間はあの人と共にあって、それを奪われた痛みも、狂いそうな孤独も、全部ぜんぶ、私の生きた証だったはずだ。
それを、たった一言の「お互いのため」とかいう綺麗事で、無かったことにするな。
「……ねえ、慧太郎」
私の声が、自分で聞いたこともないくらい小さく、そして酷く冷たく震えていた。
慧太郎が、不思議そうにこちらを振り向く。
「ん……?」
その顔を見た瞬間、私の中で、理性の糸がプツリと音を立てて完全にちぎれ飛んだ。
「――いいわけないだろ!!!!」




