第1話:息継ぎの場所
図書館の冷たい空気の中で、彼と話すようになってから、あれほど重かった毎日の空気が少しだけ軽くなった。
慧太郎——名前を聞いたのは、出会ってから三日目のことだった。彼は大学生で、就活や将来のことでちょっと行き詰まっていて、平日の昼間からあの静かな閲覧席に入り浸っているのだと言った。
「ねえ、慧太郎は、自分が何したいか分からなくならない?」
その日、私はノートの端にシャーペンでぐるぐると線を書きながら、思い切ってそう聞いてみた。窓から差し込む午後の光が、彼の黒髪を少しだけ茶色く透かしている。
慧太郎は読んでいた文庫本から目を離し、困ったように小さく笑った。
「しょっちゅうだよ。むしろ、分からないことだらけだね」
「そっか……大人でも、そうなんだ」
「大人って括らないでよ。俺なんて、君と大して変わらないよ」
ふいに向けられた視線に、心臓がトクンと大きく跳ねる。
「変わらなくないし……」
「何が?」
「ううん、何でもない!」
慌てて顔を伏せると、自分の耳たぶがカッカと熱くなっているのが分かった。
昔から、自分のこういう子どもっぽいところが嫌いだ。すぐに顔に出るし、感情のコントロールも下手くそで。
だけど、慧太郎といるときの私は、今まで知らなかった自分に出会う。
彼の前でうまく息ができるようになっていくにつれて、私のなかに、別の焦りが芽生え始めていた。
もっと知りたい。もっと私を見てほしい。
この気持ちに名前をつけるのが怖くて、でも、もう目を逸らせないくらい、胸の奥が甘く熱かった。




