↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
それのどこが悪い!?【恋愛版】  作者: 山田りく


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/22

第12話:くだらない日常の温度


「ねえ、ゆらり。このあと、駅前の新しいカフェ行かない?」


放課後の廊下。窓の外の夕日をぼんやりと眺めていた私の肩を、由奈がポンと軽く叩いた。


あのとき私を問い詰めた彼女も、いまは私の壊れそうな様子をどこか気まずそうに、だけど必死に隠しながらこうして誘ってくれている。その優しさが、今の私には少しだけ重くて、でも拒む理由もなかった。


「……うん、行く」


私は小さくうなずいて、カバンからローファーを取り出した。


少し薄暗くて、甘いコーヒーの香りが漂うおしゃれなカフェ。


私たちは窓際の席に並んで座り、メニューの分厚いページをめくった。だけど、お互いに何を頼むでもなく、テーブルの上に置かれた小さな観葉植物をじっと見つめていた。


気まずい沈黙が落ちるのを恐れたのか、由奈が少し大げさな声で口を開いた。


「ねえ、聞いてよ。この前の数学の小テスト、マジで意味分かんなくなかった? あんなの、全校生徒の半分くらい赤点じゃない?」


「……ううん、私も全然わかんなかった」


「でしょ? あとさ、さっき校門のところにいた茶トラの猫、知ってる? あのデブ猫、また体育館の裏で日向ぼっこしながら寝てたんだよ。ほんと、世の中の縮図って感じでムカつくよねー」


哲学的な問いも、大人の冷たい診断も、自由意志についての苦しみも、そこには一切なかった。


ただの数学の小テストの愚痴。


体育館裏にいる、名前も知らない猫のどうでもいい話。


それはあまりにもくだらなくて、何の生産性もない、他愛のない女子高生の日常だった。


慧太郎がいなくなってからの私は、ずっと「どう生きるべきか」「何が正しかったのか」って、頭がおかしくなりそうなほど重たいことばかり考えていた。でも、目の前でパンケーキのシロップの掛け方に文句を言っている由奈を見ていると、その力んでいた肩の力が、ほんの少しだけ抜けていくのが分かった。


「……ねえ、由奈」


私はストローをクルクルと回しながら、カップの中の冷たい液体を見つめた。


「んー? どうしたの?」


「私さ……何者にもなれなかったなあって、最近思うんだ」


由奈は手を止め、きょとんとした丸い目で私を見た。


「何者って? ゆらりはゆらりじゃん。急になに、哲学者気取り?」


「ううん……そうじゃなくてさ」


私は小さく息をついた。


「立派な大人にならなきゃいけないとか、自分の意志をちゃんと証明しなきゃいけないとか、そういうの、もういいのかなって。なんか、疲れたなあって」


何者かになろうと背伸びをして、傷ついて、すべてを奪われて。


でも、いまこうして、ただ友達とくだらない話をして、甘いものを食べている。


世界が終わるわけでも、私が消えてしまうわけでもない。


「ねえ。……何者でもなくたって、生きていけるのかな」


私の消え入りそうな声に、由奈はしばらくじっと私を見つめた。


そして、呆れたような、でもどこかホッとしたような優しい笑みを浮かべて、ストローを指で弾いた。


「当たり前でしょ。何者かなんて、今すぐ無理にならなくていいの。それより、明日の古文の予習、私全然やってないんだけど手伝ってよ」


その、あまりにも軽くて、くだらない言葉が、胸の奥のつかえをスッと軽くしてくれた。


大人が決める「正しい私」でもなく、背伸びしていた「大人びた私」でもなく、ただの私でいい。


冷え切っていた胸のなかに、ほんの小さな、けれど確かな体温が戻ってくるのを感じながら、私は初めて、目の前のパンケーキを美味しそうだなと思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。