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無能と捨てられた治癒聖女、隣国の冷酷王と最強もふもふ神獣に拾われて最高に幸せな溺愛ライフを満喫する  作者: 黒崎隼人


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第7話「豊穣の風と、芽吹く想い」

 今日、私はレオンと共に、王都の郊外に広がる農村と市場の視察へ出向くことになっている。

 私の無意識に漏れ出す治癒の魔力が、この国の土地にどのような影響を与えているのか、彼自身の目で確認するためだ。


◆ ◆ ◆


 石畳を車輪が弾く小気味よい音が、馬車の外から絶え間なく聞こえてくる。

 向かいの席に座るレオンは、普段の重厚な甲冑ではなく、動きやすさを重視した漆黒の乗馬服を身に纏っている。

 その装いが、彼の引き締まった長身と、彫刻のように整った顔立ちをより一層際立たせている。

 開け放たれた窓から吹き込む風が彼の銀髪を揺らし、その隙間から覗くアイスブルーの瞳が、静かに私を見つめていた。


「緊張しているのか。肩に力が入っているぞ」


 レオンの低い声が、車内の空気を心地よく震わせる。


「少しだけ。……私のような者が、この国の民の前に堂々と姿を現して良いのか、不安で」

「馬鹿なことを言うな。お前は我が国の恩人だ。堂々と胸を張れ」


 彼は迷いなくそう断言し、長い足を組み替える。

 その言葉の裏にある絶対的な肯定感が、私の胸の奥にじんわりと温かい火を灯す。

 やがて馬車が速度を落とし、郊外の農村地帯へと到着した。

 御者が扉を開けると同時に、私は息を呑んだ。

 見渡す限りに広がるのは、黄金色に輝く小麦の海だ。

 重く実った穂先が風に揺れ、サワサワと波打つような美しい音を立てている。

 土の香りはふくよかで、生命力に満ち溢れている。

 私の祖国では、作物は常に痩せ細り、収穫期であってもこれほどの活気を感じたことはなかった。


「ルミナ様! レオン陛下!」


 私たちが馬車から降り立つと、野良着姿の農民たちが次々と駆け寄ってきた。

 彼らの手には、使い込まれたクワやスキが握られているが、その表情は一様に明るく、日焼けした顔に満面の笑みを浮かべている。

 一人の年老いた農夫が、土にまみれた手で帽子を取り、深々と頭を下げた。


「お二人とも、よくぞお越しくだすった。見てくだせえ、この豊かな実りを。ルミナ様がこの国にいらしてから、土が息を吹き返したように作物が育つんです。それに、村の皆の長引く咳や関節の痛みも、嘘のように消えちまいましてね」


 農夫の言葉に、周囲の村人たちも次々と頷く。

 彼らの瞳には、私に対する純粋な感謝と敬意が宿っている。

 祖国では偽物、役立たずと石を投げられるように虐げられていた私が、ここでは命の源のように慕われている。

 その事実が、信じられないほど甘美で、同時に恐れ多いものに感じられた。


「私は、何も特別なことはしていません。ただ、ここにいるだけで……」

「それがお前の持つ、真の力だ」


 戸惑う私の肩に、レオンの大きな手がそっと置かれる。

 その手は熱を帯び、私の震えを鎮めるように力強く、けれど優しく私を支えている。


「お前の魔力は、大気に溶け込み、この大地そのものを癒やしている。自覚がないだけで、お前はすでにこの国の誰よりも尊い存在なのだ」


 レオンの言葉が、耳元で真っ直ぐに響く。

 胸の奥が熱くなり、視界が急激に滲み始める。

 堪えきれずに零れ落ちた一粒の涙を、レオンは長い指先でそっと拭い去った。

 彼の指先に残るかすかな剣ダコの感触が、私の頬に火をつける。

 周囲の農民たちが、微笑ましいものを見るような温かい視線を送ってくることに気づき、私は慌てて顔を下に向けて真っ赤になった頬を隠した。


◆ ◆ ◆


 農村の視察を終えた私たちは、活気に満ちた王都の市場へと足を運んだ。

 石畳の通りには、甘い果実の香りと、香辛料の刺激的な匂いが複雑に絡み合って漂っている。

 木箱に山積みされた真っ赤な林檎や、太陽の光を弾く新鮮な魚介類。

 行き交う人々のざわめきが、音楽のように耳を心地よく打つ。

 私の足元では、フェンが短い尻尾をちぎれんばかりに振りながら、肉屋の店先で匂いを嗅いでいる。


「ほら、お嬢ちゃん。隣国の珍しい布地だよ。肌触りが最高だ」


 恰幅の良い商人が、色鮮やかな絹の布を広げてみせる。

 私はその滑らかな手触りに感嘆の声を漏らした。

 市場の熱気と喧騒は、私の五感を絶え間なく刺激し、生きているという実感を強く与えてくれる。

 ふと、人混みの波が大きくうねり、私の体がバランスを崩しかけた。

 倒れそうになった瞬間、レオンの強い腕が私の腰を抱き寄せる。


「危ない。……俺の傍を離れるな」


 レオンの胸に顔がぶつかるほど密着し、彼の心臓の音が直接鼓膜に響いてくる。

 トク、トク、という力強い律動。

 彼の顔がすぐ近くにあり、長いまつ毛が落とす影さえもはっきりと見える。

 私は息を呑み、彼の腕の中で小さく頷くことしかできなかった。

 そのまま彼は私の腰から手を離さず、人混みを避けるように歩幅を合わせてくれる。

 その強引でありながらも不器用な優しさに、私はどうしようもなく惹かれていく自分を自覚していた。


◆ ◆ ◆


 夜。

 視察を終えて城に戻った私は、自室のバルコニーに出て夜風に当たっていた。

 空には満天の星が瞬き、眼下には王都の温かな灯りが海のように広がっている。

 心地よい疲労感に包まれながら、今日一日の出来事を反芻する。

 農民たちの笑顔、市場の活気、そして、私を守ってくれたレオンの熱い体温。


「冷えるぞ。薄着で外に出るなと、何度も言っているだろう」


 背後から響いた低い声とともに、ふわりと温かい布が私の肩に掛けられた。

 驚いて振り返ると、そこにはレオンが立っていた。

 彼が私に掛けたのは、彼自身が身につけていた上着だった。

 布地には彼の体温と、かすかな香木の匂いが染み付いており、私の体を芯から温めてくれる。


「申し訳ありません。でも、この国の夜景がとても綺麗で、つい……」

「……そうか」


 レオンは私の隣に並び、手すりに軽く体重を預ける。

 彼の横顔は星明かりに照らされ、日中の峻烈な王としての表情とは違う、どこか穏やかな影を帯びていた。


「今日、お前が見た景色は、お前自身がもたらしたものだ。誇りに思え」

「私一人の力ではありません。陛下が、この国を立派に治めてこられたからです」


 私が真っ直ぐに彼の瞳を見つめてそう答えると、レオンは一瞬だけ息を呑み、そして静かに目を細めた。

 彼の手がゆっくりと伸びてきて、私の頬に触れる。

 硬い指先が、私の肌をなぞるように滑っていく。

 心臓が破裂しそうなほど強く脈打ち、呼吸が浅くなる。


「ルミナ。……俺は、お前を」


 彼の顔がゆっくりと近づいてくる。

 その青い瞳に私が映り込んでいるのが見える。

 私は逃げることもできず、ただ目を閉じて、彼の体温が近づいてくるのを待った。

 唇が触れ合うかというその瞬間。

 城の敷地内から、けたたましい鐘の音が鳴り響き、夜の静寂を無惨に引き裂いた。

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