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無能と捨てられた治癒聖女、隣国の冷酷王と最強もふもふ神獣に拾われて最高に幸せな溺愛ライフを満喫する  作者: 黒崎隼人


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第6話「崩れゆく幻影と、結ばれる指先」

◆アルベルト視点


 玉座の間に満ちる空気は、日を追うごとに粘り気を帯びて腐臭を放っている。

 窓の外に広がる王都の景色は、かつての活気を完全に失っている。

 空はどんよりとした鉛色の雲に覆われ、街路樹の葉は枯れ落ち、人々の顔からは血の気が引いている。

 原因不明の疫病が広がり、作物は土の中で腐り果てている。

 ルミナをこの国から追放して、わずか数週間。

 我が国は、目に見えるほどの速度で崩壊への坂を転がり落ちている。


「セリア! もっと魔力を込めろ! これでは瘴気を浄化しきれん!」


 私は苛立ちを隠すことなく、玉座の前に膝をつく義妹へと怒声を浴びせる。

 セリアは華やかなドレスの裾を握り締め、必死の形相で両手を高く掲げている。

 彼女の指先からは、以前と変わらずパチパチと弾けるような眩い光が放たれている。

 しかし、その光は空間を無駄に照らすだけで、漂う淀んだ空気や、兵士たちの疲労を何一つ取り除いてはくれない。


「で、殿下……わたくしは、全力でやっております! わたくしこそが、真の聖女のはず……っ!」


 セリアの悲痛な叫び声が、虚しく広間に反響する。

 私は眉間にしわを寄せ、舌打ちをする。

 セリアの光は、確かに美しい。

 だが、それだけだ。

 癒やしの効能など最初から欠片も存在しなかったのだと、今になってようやく気づく。

 ルミナが城にいた頃は、常に空気が澄み渡り、国中に豊穣の風が吹いていた。

 それはルミナが地味な力で裏から支えていたからであり、セリアの光はその表面を飾るだけの幻影に過ぎなかったのだ。


「ええい、役立たずめ! 今すぐルミナを連れ戻せ! 国境の森へ捜索隊を向かわせろ!」


 私は玉座の肘掛けを強く叩き、近衛兵たちに怒鳴り散らす。

 彼女は私に未練があるはずだ。

 私が直接迎えに行き、少し甘い言葉をかければ、喜んでこの城に戻ってくるに決まっている。

 私は己の愚かな決断から目を背け、ただルミナという都合の良い道具を取り戻すことだけを考えている。

 窓枠に手をかけ、暗く沈む国境の森の方角を睨みつける。

 焦燥感だけが、冷たい汗となって背中を伝い落ちる。


◆ ◆ ◆


 王城の図書室は、紙とインクの古い匂い、そして窓から差し込む午後の陽だまりに満たされている。

 私は分厚い植物図鑑を膝に乗せ、ガルディア国に自生する薬草のページを指先でなぞっている。

 レオンが私のために用意してくれた、自由な時間。

 足元ではフェンが丸くなり、穏やかな寝息を立てている。


「……難しい顔をしているな。文字が読めないわけではあるまい」


 静かな足音とともに、レオンが私の向かいの長椅子に腰を下ろす。

 彼の手には、繊細な意匠が施された銀の盆が乗せられており、そこには湯気を立てる紅茶と、色鮮やかな果実のタルトが置かれている。

 氷の王が自らお茶を運んでくる光景にも、この数週間でずいぶんと慣れてしまった自分がいる。


「いえ、この国の薬草は私の祖国のものとは効能が少し違うようで、興味深いなと」


 私が図鑑を閉じると、レオンは盆をテーブルに置き、紅茶のカップを私の前へと滑らせる。

 ベルガモットの爽やかな香りが、図書室の空気に溶け込んでいく。


「お前のその治癒の力があれば、薬草など必要ないだろう。……だが、お前が学びたいというのなら、この城の知識はすべて自由に使え」


 レオンは自身のカップを手に取り、静かに紅茶を口に含む。

 その何気ない動作一つをとっても、彼がこの城で私に与えてくれる自由の重さが伝わってくる。

 祖国では、本を読むことすら聖女の真似事だと嘲笑されていた。

 ここにいると、私が私であることそのものを肯定されているような、温かな居心地の良さがある。


「ありがとうございます。レオン陛下は、本当に……優しいのですね」


 気づけば、そんな言葉が自然と口をついて出ている。

 レオンは紅茶を飲む手を止め、カップをソーサーに戻す。

 陶器が触れ合う澄んだ音が、静寂の中に響く。

 彼はゆっくりと私に視線を向け、その青い瞳の奥に、言葉にできない熱い感情を揺らめかせる。


「俺は、お前が思うような善人ではない。……お前という人間を手放したくないという、ただの欲深い男だ」


 レオンの手がテーブルの上を滑り、私の指先にそっと重なる。

 いつもは冷たい彼の指先が、今は微かに熱を帯びている。

 その熱が私の皮膚を通して伝わり、全身の血流を一気に加速させる。

 息が詰まる。

 彼の真剣な眼差しから逃れることができず、私はただ、重なった彼の手の温もりに身を委ねる。

 その時。

 図書室の重厚な扉が、乱暴な勢いで開かれる。


「報告いたします! 急ぎの報せでございます!」


 息を切らせた伝令の騎士が、片膝をつきながら声を張り上げる。

 レオンは私に重ねていた手をゆっくりと離し、立ち上がる。

 先ほどまでの熱を帯びた瞳は瞬時に氷のように冷え切り、王としての峻烈な表情へと切り替わる。


「何事だ」

「国境の森を越え、隣国の軍勢が我が領土へ侵入しました。先頭に立つのは、隣国第一王子アルベルト。……ルミナ様を返せと、強硬に要求しております」


 その名前を聞いた瞬間、私の背筋に冷たい氷柱が突き刺さる。

 忘れたかった過去が、泥のついた足で私の平穏な領域に踏み込んでくる。

 私が恐怖に身をすくませるのを見たレオンは、静かに私の前へと歩み寄り、その広い背中で私を庇うように立つ。


「……愚かな。自ら捨てた宝石の価値に、今更気づいたか」


 レオンの声は地を這うように低く、その言葉には隠しきれない怒りの炎が燃え盛っている。

 足元で眠っていたフェンが起き上がり、低い唸り声を上げる。

 その白い毛並みが、微かに銀色の光を帯び始める。

 近づく過去の残響と、私を守ろうとする目の前の大きな背中。

 私は震える両手を胸の前で強く握り締め、窓の外の淀んだ空を見つめる。

 平穏な日々の終わりと、避けられない対立の足音が、すぐそこまで迫っている。

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