第3話「氷の王はもふもふに溶ける」
目の前に立つ男は、月光を反射する銀髪をなびかせ、私を見下ろしていた。
彫刻のように整った、けれど血の通っていない石像のような冷徹な顔立ち。
その瞳は鋭く、獲物を狙う猛禽類のような峻烈な光を放っている。
隣国ガルディアの国王、レオン。
戦場では鬼神と恐れられ、その冷酷さから「氷の王」と揶揄される男だ。
「貴様、その犬をどこで手に入れた」
レオンの一歩が、地面を震わせる。
彼の纏う魔力は、暴力的なまでの重圧となって私の肺を圧迫した。
私は震える足で立ち上がり、腕の中の子犬をさらに強く抱きしめる。
子犬は、レオンの姿を見るなり「くぅん」と甘えた声を上げた。
「森で、怪我をして倒れていたんです。死にかけていたから、治してあげただけで……」
私の言葉に、レオンの眉がぴくりと動いた。
彼の視線が、子犬の傷跡一つない横腹へと注がれる。
沈黙。
重苦しい時間が、永遠のように長く感じられた。
背後に控える騎士たちが、不審げに私を包囲しようと動く。
「陛下、その女を離してください。フェン様を……神獣様を盗んだ賊かもしれません」
一人の騎士が剣を抜き放つ。
その切っ先が私の喉元に向けられた。
けれど、それを制したのはレオンの手だった。
「待て。……その女の手に付着しているのは、我々の呪毒を中和した魔力の残滓だ」
レオンは私に近づき、無造作にその大きな手を差し出してきた。
私はびくりとして身をすくめたが、彼の狙いは私ではなかった。
レオンの手が、子犬……神獣と呼ばれたその白い塊の頭に触れる。
「……フェン、無事か」
その瞬間。
先ほどまでの凍てつくような殺気が、嘘のように霧散した。
レオンの瞳に、わずかだが確かな熱が宿る。
神獣フェンは、レオンの手のひらにこれでもかと体を擦り付け、尻尾をちぎれんばかりに振っている。
『えっ……? この人、もしかして……』
私は呆然と、目の前の光景を見つめた。
冷酷無比と噂される王が、今、不器用極まりない手つきで子犬を愛でている。
その指先は驚くほど優しく、神獣を傷つけないようにと細心の注意が払われていた。
「貴様、名前は」
レオンが再び私に視線を戻した。
今度は殺気はない。
ただ、射抜くような強い好奇心がそこにはあった。
「……ルミナ、です。ルミナ・フォン・エステル」
「エステル? 隣国の伯爵家か。なぜそんな身なりの令嬢が、この死の森を彷徨っている」
私は一瞬、言葉に詰まった。
追放されたこと。
偽物扱いされたこと。
それを語るには、この場はあまりにも寒く、私は疲れ果てていた。
ぐぅ、と。
情けない音が、静寂の中に響き渡った。
「……腹が減っているのか」
レオンが呆れたような、けれどどこか毒気を抜かれたような顔をする。
私の顔は、瞬く間に林檎のように赤くなった。
あまりの恥ずかしさに、両手で顔を覆い隠す。
逃げ出そうとした私の肩を、レオンの大きな手がガシリと掴んだ。
「来い。フェンを救った恩は返さねばならん。我が城へ招待しよう」
「えっ、でも、私は……」
「拒否は許さん。これほど高純度の癒やしを使える人間を、このまま森で野垂れ死にさせるわけにはいかないからな」
レオンはそう言うと、私をひょいと軽々と抱き上げた。
両腕でふわりと私の体を持ち上げる。
硬い甲冑越しに、彼の力強い鼓動が伝わってくる。
鉄の匂いと、森の香りを混ぜたような、不思議と落ち着く匂い。
「……離してください、自分で歩けます!」
「黙っていろ。お前は今にも倒れそうな顔をしている」
レオンの声は相変わらず不愛想だったけれど、私を支える腕は驚くほど安定していた。
腕の中では、神獣フェンが「がんばれ」と言うように私の頬を舐めている。
『なんだか、とんでもないことになっちゃった……』
私は諦めて、彼の胸に顔を預けた。
追放された先で見つけたのは、冷たい氷のような王様と、最高にふわふわな神獣様。
遠ざかっていく暗い森を見つめながら、私は、明日が来るのを少しだけ楽しみに思えた。




