第4話「白亜の城と温かな琥珀のスープ」
重厚な鉄の門が、耳を塞ぎたくなるような鋭い金属の摩擦音を立てて左右に開かれる。
月明かりに照らし出された隣国ガルディアの王城は、私の祖国のようなどぎつい装飾を削ぎ落とした、純白の石造りの威容を誇っている。
冷たい風が吹き抜ける馬車寄せに降り立つと、レオンは再び私をそのたくましい両腕で抱き上げた。
硬い甲冑の表面が私の頬に触れるが、不思議と冷たさは感じない。
彼自身の体温が、分厚い鋼越しにも伝わってくるかのようだ。
「ここからは内部だ。風は凌げるが、お前の体は芯まで冷え切っている。メイドたちに湯を準備させてあるから、まずは体を温めろ」
レオンの言葉は命令形だが、その響きにはひび割れたガラスを扱うような慎重さが混じっている。
私は彼の胸の中で小さく首を縦に振る。
エントランスを抜けると、空気の質が劇的に変わる。
巨大な暖炉で赤々と燃える薪の熱気が、かじかんだ私の指先をゆっくりと解きほぐしていく。
壁掛けの燭台が落とす柔らかなオレンジ色の光が、白い大理石の床に温かな影を落としている。
城の奥へと進むにつれ、すれ違う使用人たちが一様に驚きの表情を浮かべ、深く頭を下げる。
彼らの視線は私に向けられているというより、冷酷と名高い自国の王が、泥だらけの娘を大切そうに抱き抱えているという事実そのものに向けられているようだ。
◆ ◆ ◆
通された客室の浴室は、私が祖国で与えられていた薄暗い部屋の何倍も広く、そして清潔だ。
滑らかな大理石で作られた広々とした浴槽には、湯気が白く立ち込めている。
二人の年配のメイドが、破れて泥にまみれた私のドレスを、傷口に触れないよう極めて柔らかな手つきで脱がせていく。
肌着一枚になり、最後にそれを滑り落とすと、鏡に映った自分の姿に思わず目を逸らす。
木の枝で擦れた無数の赤い線が白い肌に走り、足の裏はひび割れて血が滲んでいる。
それでも、メイドたちは一切嫌な顔をするどころか、慈しむような瞳で私を見つめ、温かい湯で濡らした柔らかい布で私の背中を拭う。
湯船に身を沈めると、甘く心をほぐす、夜咲きの花の香りが鼻腔をくすぐる。
熱すぎない、絶妙な温度に調整された湯が、皮膚の表面からゆっくりと体内へ熱を浸透させていく。
強張っていた筋肉が一本ずつ解け、肺の奥に溜まっていた重たい空気が、細い息となって唇の隙間から零れ落ちる。
『……生きて、いるんだわ』
湯の表面を見つめながら、私は静かに独り言をいう。
祖国での冷遇、追放の宣告、暗い森の中での死の恐怖。
それらすべてが、この温かな湯に溶け出して消えていくような錯覚を覚える。
前世で、徹夜の看病明けに浴びたシャワーの感覚に似ている。
命を繋ぎ止めるための孤独な戦いを終え、ようやく自分自身の体を取り戻す瞬間。
私はゆっくりと瞼を閉じ、ただ湯の温もりだけを全身で味わう。
◆ ◆ ◆
真新しい、肌触りの良い綿の室内着に着替えると、私は食堂へと案内される。
長い長方形のテーブルの端には、すでに甲冑を脱ぎ、ゆったりとした濃紺のシャツ姿になったレオンが座っている。
彼の膝の上では、すっかり元の元気を取り戻した神獣フェンが、真っ白な尻尾を左右に大きく振っている。
私が部屋に入ると、フェンはレオンの膝から飛び降り、短い足で床を蹴って私の足元へと駆け寄ってくる。
ふくらはぎに擦り寄る柔らかな毛並みの感触に、私は自然と頬を緩める。
「座れ。空腹だろうが、いきなり重いものを胃に入れると吐き出すからな。消化の良いものを用意させた」
レオンが顎で対面の席を示す。
椅子に腰を下ろすと、目の前には琥珀色に透き通った熱いスープと、湯気を立てる柔らかな白パンが置かれている。
銀のスプーンで琥珀色のスープをすくって口へ運ぶ。
鶏の出汁と、とろけるまで煮込まれた根菜の甘みが、空っぽの胃袋に優しく染み渡る。
塩気は控えめで、弱った体に負担をかけないよう緻密に計算された味付けだ。
一口、また一口と喉の奥へ流し込むたびに、体の内側からじんわりと熱が灯っていくのを感じる。
パンを千切り、スープに浸して口に運ぶ。
小麦の甘い香りが広がり、私は夢中で食事を進める。
「……美味いか」
ふと、レオンの低い声が響く。
顔を上げると、彼は自分の食事には手もつけず、ただ私が食べる様子をじっと見つめている。
その切れ長のアイスブルーの瞳には、戦場で敵を射抜くような鋭さは微塵もない。
ただ、野良猫が餌を食べるのを見守るような、不器用で静かな安堵の色が浮かんでいる。
「はい。……とても、温かくて美味しいです。こんなに美味しいスープは、生まれて初めてかもしれません」
嘘偽りのない本音が唇からこぼれる。
祖国では、豪華な食事はすべて義妹セリアのテーブルに運ばれ、私の前には常に冷めきった味気ない食事が並べられていた。
誰かが私のために、私の体を気遣って作ってくれた食事。
その事実だけで、胸の奥が熱くなり、視界がじんわりと滲む。
「そうか。なら、明日も同じものを作らせよう。お前の頬の肉がまともに戻るまでは、この城の料理長に腕を振るわせる」
レオンは真顔でそう言い放ち、ようやく自分のグラスに手を伸ばす。
その横顔を見つめながら、私は足元で丸くなるフェンの温もりを感じ、この見知らぬ氷の王の、隠しきれない優しさに胸を打たれる。
明日が来るのが恐ろしくない夜は、前世の記憶を思い返しても、いつ以来だろうか。
温かなスープの余韻に包まれながら、私はゆっくりと息を吐き出す。
長い夜が、静かに更けていく。




