第13話「祝福の鐘と、永遠を誓う口づけ」
磨き上げられた全身鏡の前に立つと、見慣れない自分の姿がそこにあった。
透き通るような純白の絹が、柔らかな曲線を描いて足元まで流れ落ちている。
何層にも重ねられた薄いレースには、朝露のように丸みを帯びた真珠がいくつも縫い付けられていた。
わずかに身じろぎするだけで、生地がシャンデリアの光を乱反射し、小さな星屑を散りばめたように瞬く。
今日は、私とレオンの結婚式の日だ。
王城の特別室には、百合と白薔薇を混ぜ合わせたような、甘く清らかな香りが満ちている。
三人の若いメイドたちが、私の周りを忙しなく動き回りながら、ドレスの裾や髪の乱れをミリ単位で調整してくれていた。
背中の編み上げが引き絞られるたびに、細い肋骨がわずかに圧迫される。
その心地よい窮屈さが、これから始まる儀式の重みを私の肌に直接伝えてくるようだった。
上質な獣毛で作られた柔らかなブラシが、私の髪を滑らかに梳かしていく。
頭皮に心地よい刺激が走り、薔薇の香油の匂いがふわりと鼻腔をくすぐった。
職人の手によって複雑に結い上げられた髪には、透かし彫りの銀のティアラが乗せられる。
鏡越しにメイドの一人と目が合うと、彼女は涙ぐんだ瞳で満面の笑みを浮かべた。
祖国にいた頃の私は、誰かに美しく着飾ってもらうことなど一度もなかった。
泥だらけの服で、誰の目にも留まらない隅っこで息を潜めているのが当たり前だったのだ。
それが今、この豊かで温かい国で、国中の祝福を一身に浴びようとしている。
胸の奥から熱い塊が込み上げ、喉の奥がツンと痛んだ。
「ルミナ。入るぞ」
低く、よく響く声とともに、重厚な木製の扉が静かに開かれた。
振り返った私の視界に飛び込んできたのは、純白の礼装に身を包んだレオンの姿だった。
普段の漆黒の乗馬服や甲冑とは全く違う、眩しいほどの白。
襟元にはガルディア王家の紋章である銀狼の金糸刺繍が施され、彼の引き締まった長身をより一層際立たせている。
朝日を浴びた銀髪は白金のように輝き、アイスブルーの瞳はいつも以上に澄み渡っていた。
レオンは部屋の中央に立つ私の姿を見た瞬間、ピタリと足を止めた。
彼の喉仏が大きく上下に動き、短く息を呑む音が静かな部屋に響く。
切れ長の瞳がわずかに見開かれ、瞬きすら忘れたように私を見つめている。
そのあまりにも真っ直ぐで熱を帯びた視線に、私の顔は一瞬で火が点いたように熱くなった。
指先が震え、どうしていいか分からずに両手を胸の前で固く握りしめる。
レオンはゆっくりと、まるで壊れ物に触れるかのような慎重な足取りで私に近づいてきた。
白い革靴が絨毯を踏む音が、心臓の鼓動と完全に重なり合う。
私の目の前で立ち止まった彼は、大きな手で私の震える両手をそっと包み込んだ。
剣ダコのある、ざらついた分厚い手のひら。
その確かな感触と高い体温が、私の皮膚を通して全身に流れ込んでくる。
「……美しい。言葉が見つからないほどにな」
低く掠れた声が、私の耳元を撫でるように震わせた。
お世辞など絶対に言わない不器用な彼の口から出た、剥き出しの称賛。
その事実が嬉しくて、視界がじんわりと涙で滲む。
彼は私の手を取り、その甲にそっと唇を落とした。
柔らかな唇の感触が肌に触れ、熱い吐息が私の指先をくすぐる。
甘い痺れが背筋を駆け抜け、私は小さく息を吐き出した。
◆ ◆ ◆
王都の大聖堂は、荘厳な空気に包まれていた。
高い天井のステンドグラスからは、赤、青、黄金の光の束が床の石畳に降り注いでいる。
乳香と没薬の神聖な香りが、ひんやりとした空気の中に溶け込んでいた。
巨大なパイプオルガンが重厚な和音を奏で始め、聖歌隊の透き通るような歌声がドーム状の天井に反響する。
私はレオンの右腕にそっと手を添え、赤絨毯の敷かれた長いバージンロードをゆっくりと歩き始めた。
沿道には、美しく着飾った貴族たちや、視察で出会った農村の人々、市場の商人たちの顔が見える。
誰もが温かい笑顔を浮かべ、花びらを私たちの頭上へと散らしている。
ふわりと舞い落ちる白やピンクの花びらが、ステンドグラスの光を浴びて万華鏡のように輝く。
足元では、真の姿である巨大な銀狼の姿になったフェンが、私たちの先導をするように誇り高く歩いている。
彼の歩みに合わせて銀色の毛並みが波打ち、神秘的な光の粉を空中に撒き散らしていた。
一歩、また一歩と祭壇へ近づくにつれ、私の心の中にある不安や恐怖の残滓が完全に浄化されていくのを感じた。
隣を歩くレオンの腕の筋肉が、微かに緊張しているのが伝わってくる。
戦場では決して揺らぐことのない氷の王が、私の隣で少しだけぎこちなく歩幅を合わせている。
その不器用な優しさが愛おしくて、私は彼の腕に添えた指先に少しだけ力を込めた。
彼は私の動きに気づくと、前を向いたまま私の方へわずかに体を傾け、肩を触れ合わせてくれた。
祭壇の前に到着し、私たちは神官と向かい合う。
老齢の神官が重々しい声で祈りの言葉を紡ぎ、永遠の愛と忠誠を誓う儀式が進んでいく。
私はレオンの瞳を真っ直ぐに見上げた。
彼の瞳の奥には、氷の冷たさは欠片もない。
春の陽だまりのような、どこまでも深く温かい愛情だけがそこにあった。
「病める時も、健やかなる時も、互いを敬い、愛し抜くことを誓うか」
神官の問いかけに対し、レオンは微塵の迷いもなく口を開いた。
「誓う。俺の命ある限り、彼女の笑顔を守り抜く」
その低い声は、大聖堂の隅々にまで力強く響き渡った。
私に向かって差し出された彼の手を取る。
二人の体温が混ざり合い、一つの大きな熱となって私を包み込む。
「私も、誓います。貴方の傍で、貴方を癒やし、共に歩んでいくことを」
声が震えないように、お腹に力を入れてはっきりと答える。
神官が静かに頷くと、レオンは私の顔を覆っていた薄いベールに手をかけた。
彼の長い指先が私の頬をかすめ、ベールがゆっくりと後ろへ払われる。
遮るものがなくなった視界に、レオンの整った顔が鮮明に映し出された。
彼の手が私の腰を引き寄せ、もう片方の手が私のうなじをそっと支える。
心臓が早鐘を打ち、呼吸が浅くなる。
ゆっくりと近づいてくる彼の唇。
目を閉じると、彼の温かな体温と、かすかな香木の匂いが私を完全に包み込んだ。
重なり合った唇からは、不器用ながらも深い愛情が伝わってくる。
それは、私の魂の奥底までをも癒やし、満たしてくれる魔法のようだった。
大聖堂を揺るがすような割れんばかりの拍手と歓声が湧き起こる。
外からは、王都中に二人の結婚を知らせる祝福の鐘の音が、どこまでも高く、明るく鳴り響いていた。




