第12話「還るべき場所と、ひだまりの約束」
馬車の車輪が石畳を転がる音が、静かな車内に規則的なリズムを刻んでいる。
国境での決着を終え、私たちは王都ガルディアへの帰路についていた。
窓の外を流れる景色は、枯れ果てた祖国とは対照的に、生命力に溢れる豊かな緑と、収穫を待つ黄金色の麦畑だ。
空は高く澄み渡り、雲の隙間から差し込む陽光が大地を温かく照らし出している。
私の膝の上では、フェンが丸くなって穏やかな寝息を立てている。
緊張の糸が切れたせいか、心地よい疲労感が全身を包み込み、私は何度も重くなる瞼を擦っていた。
「眠いなら無理をして起きている必要はない。城に着くまでまだ少し時間がある」
向かいの席に座るレオンが、少しだけ口角を上げてそう言う。
彼の纏う空気は完全に平穏を取り戻しており、窓から差し込む光が彼の銀髪を美しく輝かせている。
「いえ、大丈夫です。……なんだか、夢を見ているようで。すべてが終わったという実感が、まだあまり湧かなくて」
私が素直な心情を吐露すると、レオンはゆっくりと手を伸ばし、私の指先に自分の指を絡めてきた。
彼の体温が直に伝わり、それが決して夢ではない現実であることを私に教えてくれる。
「お前はもう、誰にも脅かされることはない。俺がそうさせない。お前はただ、この国で好きに生きればいい」
彼の言葉には、嘘偽りのない真っ直ぐな誠実さが込められている。
その言葉の温かさに、胸の奥がじんわりと熱くなり、視界がかすかに滲む。
私は絡められた指に少しだけ力を込め、小さく頷いた。
◆ ◆ ◆
その頃、アルベルトたちは祖国の王都へと逃げ帰っていた。
彼らを待ち受けていたのは、歓迎の歓声ではなく、怒りと絶望に狂った民衆の暴動だった。
枯れ果てた大地に作物は育たず、井戸の水は干上がり、原因不明の病が容赦なく命を奪い続けている。
すべては、本物の聖女であるルミナを追放し、偽物を崇め奉った王族の責任であると、民衆は完全に理解していたのだ。
城門は破壊され、武装した農民や市民たちが雪崩れ込むように城内へと侵入していく。
「やめろ! 私は王太子だぞ! 貴様ら、反逆罪で極刑に処してやる!」
アルベルトは玉座の間で震えながら剣を振り回すが、その声に耳を貸す者はもはや誰もいない。
近衛兵たちでさえ彼を見捨て、自分たちの家族を守るために城から逃げ出していた。
セリアは部屋の隅で膝を抱え、虚ろな目で意味のない言葉をつぶやき続けている。
彼女の指先から光が放たれることは、もう二度となかった。
怒れる民衆の波が玉座の間に到達し、アルベルトはあっけなくその濁流に飲み込まれていく。
彼らがその後どのような裁きを受けたのか、正確な記録は残っていない。
ただ確かなのは、かつて栄華を極めたその国が、彼らの身勝手な欲望と愚かな決断によって、地図上から完全に消滅したという事実だけだった。
自業自得の結末。
彼らは自分たちが蒔いた種を、最も重い形で刈り取ることになったのだ。
◆ ◆ ◆
馬車が王城の中庭に到着すると、私たちを待っていたメイドや使用人たちが一斉に安堵の声を上げた。
彼らは私が無事に戻ってきたことを心から喜び、涙ぐみながら出迎えてくれた。
その温かい歓迎に、私は胸がいっぱいになる。
ここが私の還るべき場所なのだと、改めて強く実感した。
レオンは先に馬車を降りると、私に向かって手を差し伸べた。
私はその手を取り、馬車から降り立つ。
中庭には色鮮やかな花々が咲き乱れ、甘い香りが風に乗って漂っている。
木々の間から小鳥のさえずりが聞こえ、足元ではフェンがメイドたちに愛嬌を振りまいている。
「ルミナ」
レオンが私の名前を呼ぶ。
その声は驚くほど優しく、熱を帯びていた。
私が顔を上げると、彼は私をそのまま力強く抱き寄せた。
硬い甲冑越しではなく、今は柔らかな乗馬服越しに彼の心臓の音が伝わってくる。
トク、トクと、少しだけ早いリズム。
「俺はずっと、戦場という血生臭い場所でしか生きられない人間だと思っていた。だが、お前が来てから、この城が、この国が……息を吹き返したように温かくなった」
レオンの腕が私の背中を包み込み、その顔が私の肩口に埋められる。
彼の吐息がうなじにかかり、私の全身を甘い痺れが駆け抜ける。
「俺の傍にいてくれ。お前のその優しい力で、俺の隣を温め続けてほしい。……俺の、妻として」
それは、不器用な氷の王からの、一生を懸けた真摯なプロポーズだった。
私は彼の背中に腕を回し、その温もりを全身で受け止める。
涙が溢れ出し、彼の服の肩口を濡らす。
「はい。……私でよければ、喜んで」
私の返事を聞いたレオンは、ほっとしたようなため息をつき、私を抱きしめる腕の力をさらに強めた。
太陽の光が私たちを優しく包み込み、風が花びらを舞い上げる。
もう、悲しいことは何も起こらない。
これからは、彼と共に、この穏やかで温かいひだまりの中で生きていくのだ。
私はレオンの胸の中で、未来への確かな予感に心を震わせていた。




