49、ヤーパン観光④
ココノエさんが支店長室から退出すると、ようやくセイジの目は精彩を放ち始めた。彼にとっては、ここからが本番なのだ。
「先程のコーヒー豆の生産量を上げる秘策についてですが……ハンスさんの力をお借りしたいことがあって」
「ええ、いいですよ。【Cランク保冷液】の提供で負担をおかけしますから」
セイジは心の中でガッツポーズをしながらも、表情がほころばないように、口を強く結んだ。感情が落ち着くのを見計らって、話を続けた。
「では、コーヒー豆の生産をお願いできませんか? もちろん、作り方や必要な器具は教えます」
「私がコーヒー豆の栽培から加工まで全て行うことになりますが、それで良いのですか?」
「はい。勝手ながら、そろそろポーション作りに力を入れたいので。ハンスさんには、ご迷惑をおかけします」
ポーション作りに力を入れたいというのは嘘だ。
いつまでも俺がコーヒー豆を焙煎するわけにはいかないし、そろそろ毎週の焙煎も飽きてきたのだ。しかし、俺がコーヒー豆を独占していては、これ以上コーヒー産業は発展しないと思ったのも事実だ。
お互いのためにも、コーヒー豆の焙煎法を共有すべきだろう。収入が減るのは痛いが、ポーションの素材の仕入れ先に恩を売れるなら、まあ許容できる。薬草の急な入り用への対応速度が上がるかもしれないし、薬草の値段をオマケしてくれでもしたら大戦果だ。
「いえ、大丈夫ですよ。その代わりと言ってはなんですが、引き続きドクトルのブランド『カイザー』でコーヒー商品を売らせてもらえませんか?」
「はい、構いませんよ」
「では、始めましょうか」
ハンスさんが机の上に、乾燥させただけのコーヒー豆の入った袋を置いた。
「火はどこにありますかね?」
「それなら良いものがありますよ」
そう言うと、ハンスさんはソファーから立ち上がり、仕事机の引き出しを開けて、何かを慎重に取り出した。
「これは魔導コンロと言いまして、この支店の主力商品です。手軽に持ち運べて、魔力のない人でも簡単に火を起こせるんです。ドクトルも一ついかがですか? 今なら特別に割引しますよ」
さすが商売人だ。一応取引の最中でも、商品を売ろうとしてくる。何の違和感も無しに、自然な流れで言えるのだからスゴい。
それに、ただ『割引』とだけ言って、具体的な値段を言わないのも策の一つなのだろう。『今なら』や『特別』という言葉で、早く決めなきゃという心理を植えつけ、こっちを焦らせて冷静な思考を奪うのもそうなのだろう。
「うちには料理番がいるので、今はお断りしておきます」
「そうですか。それでですね、このツマミを右に回すと、火がつくんですよ」
カチッという音が鳴り、円状の火がボッと飛び出した。
カセットコンロとの違いは、燃料と火の色だけみたいだ。赤い火のコンロは初めて見た。青でない色は故障の合図だと聞いたことがあるが、さすがに壊れてはいないだろう。さしずめ、火魔法を応用したとかであろう。
セイジはマジックバッグから手網を取り出し、コーヒー豆をその中に入れた。やはり、心地よい音だ。
しかし、乾燥しただけのコーヒー豆からは、ちっともコーヒーらしい匂いがしないのはいつになっても不思議だ。
豆の殻を取り除きながら、彼はコーヒーの焙煎をレクチャーし始めた。いつもてきとうにしていることにも事細やかに質問されて、「そこは店や個人が匙加減で、各々だけのコーヒーを作るために決まった手順はないんです」と、できるだけ自信たっぷりに誤魔化してしまったのが心残りだ。
「ドクトル、ありがとうございました。早速、今夜から研究してみたいと思います」
「はい、頑張ってください」
「研究に行き詰まったら、またお力添えください」
「もちろんです。今日は急な来訪や事業計画に快く頷いてくださって、ありがとうございました。お礼と言ってはなんですが、これをどうぞ」
少々の罪悪感を心に留めていると、自然に堅苦しい挨拶になってしまった。
ハンスさんはそんなことを歯牙にもかけない様子で、穴が開きそうな程じっくり見ながら、皿にのった卵を皿ごと回転させている。
「卵ですか? いや、でも温かいですね」
「これは温泉たまごと言いまして。私の生まれた国では、温泉といえばこれでした」
「なるほど。それで、これはゆで卵のように殻を割って食べるのですか?」
「お皿と……醤油ありますか?」
「ええ、今持って来させますね」
ダメ元で「醤油」と言ったのだが、どうやらあるらしい。
呼び鈴を鳴らすと、従業員の人がやって来た。ハンスさんの指示を聞き終えると、すぐにお盆に皿と小瓶を乗せて持って来た。
「ありがとう。ドクトル、どうぞ」
黒い液体の入った小瓶を手に取ると、ほのかに懐かしい匂いが漂ってきた。食べてみないと断言できないが、これは間違いなく醤油だ。
日本街っぽいから、もしかしてと思っていたが、やはり日本の調味料もあったのだ。今まで訪れたこの世界の店や、ポーション図鑑のようなスキル『調合のレシピ本』の中でも、ゆかしき調味料たちは一度も見たことがなく諦めていたが、ここでお目にかかれるとは嬉しい誤算だ。
「醤油以外にも、この街特有の調味料ありませんか?」
「ありますよ。みそでしたっけ、独特の深みのある味で茶色いペースト状の調味料がありますよ」
「醤油と味噌、売ってもらえませんか!」
「それは問題ないですが、急にどうしたんですか? ドクトルがここまで興味を示すとは思ってもいませんしたよ」
「故郷の味に似ていたもので、つい」
「ドクトルは東の方の生まれなのですか?」
「そうですね、東の果ての……」
危うく、日本と言いそうになった口をつぐんで、セイジは温泉たまごを手に取った。
軽く机で叩くと、卵のお腹にひびが入った。皿の上で、親指に力を入れると、卵がきれいに割れた。スルッと中身が抜け落ちて、皿の上に着地した。そこに醤油を数滴垂らせば完成だ。
本当はめんつゆが良いので、ハンスさんにうどんのタレはあるか聞いたところ、そういうのは各店で門外不出のものだそうで、商会は手を出せないそうだ。醤油と味噌の売買の交渉でさえ、だいぶ分が悪かった条件を丸くするのに数ヶ月かかったようで、今の状況を保つ方向にシフトしたらしい。
黄身がよらないよう慎重に皿を押しやると、ハンスさんが「ほう、これは」と唸った。
ただの固ゆで卵だったらどうしようかと思ったが、結果はこの通り完璧と言わないまでも、そこそこの出来栄えだ。これもしっかり指を折りながら、時間を計ったおかげだ。もうちょっと茹でれば、黄身がマヨネーズくらいの程良い固さになりそうだ。
「どうぞ」
「いただきます」
ハンスさんが温泉たまごをスプーンですくい、口の中に入れた。
「――ん、これは」
味は好評だった。
卵と醤油の組み合わせは素晴らしい、と何度も呟いていた。明日の朝食の目玉焼きにも醤油をかけてみるそうだ。
どうやら生卵を食べる習慣は無いようだから、今度無理なお願いをする時には、卵かけご飯を出そう。
「では、ポーション期待していますよ」
サラッとプレッシャーをかけられながら、部屋を出た。
しかし、そんなことより今セイジの頭を一杯にしているのは、宿を出てからもう小一時間経っていることである。日中なら寄り道する余裕もあるが、なにせ今は夕方。ちょうど食堂に向かっているときに、ココノエさんに呼び止められたから、夕食はどうなっていることやら。下手に気を利かせて待っていないと良いが。
だって、ポーションは高価な素材を集めてスキルを使えばどうにかなるが、彼女らの機嫌はいかんともしがたいのだ。温泉たまご一つで許してくれると良いのだが。
温泉たまごの数を数えながら、セイジは足早に大和旅館へ向かった。
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