41、温泉へ?④
馬車がゆっくりと動き出した。
すぐに、カタカタ、ガタガタという音が聞こえてきた。大商人のハンスさんの馬車だからか、思っていたよりも揺れないが、電車とも車とも違う独特な音にいまだに慣れず、なんとなく落ち着かない。
それに、ゲームも本もなく、景色も緑一辺倒だと、完全に時間を持て余してしまう。レベルアップで解放された新スキル『調合のレシピ本』を一通り読んでしまうと、硬い椅子の上で寝るか、勇気を出して女子に声を掛けるしかなくなった。
幸い、今日横に座っているのはユリアとハンスさんだ。仕事の書類を手にしているハンスさんは忙しそうだが、目をキラキラさせながら景色を見ているユリアなら問題ないだろう。
口を開こうとしたその時、「ちょっといいかしら? 皆に聞いて欲しいことがあるんだけど」という言葉が聞こえた。
振り向くと、時雨が右手を肩の高さまで上げている。
セイジ、フィー、ユリア、セリア、ルシェ、ハンスさんの視線が一点に集まった。
「私、実は『鑑別』というスキルを持ってて、相手の心の色が分かるんです」
その時、フィーとユリアを除いた全員がビクッと体を固くした。彼女の発言から、彼女の口から告げられるであろうことを察したのだろう。
「なるほど」
「私たち以外の二つの冒険者パーティーは、何かしらの悪意を持っています。ですから、それの対策もして欲しいんです」
「例えば、何をすれば?」
「護衛の冒険者を増やしたり、騎士団を呼んだり、最悪、夜になってから逃げたり」
ハンスさんは少し考えたあと、はっきりと言い切った。
「それはできかねます」
「どうしてですか。あなたの命がかかっているんですよ」
「こんな林の中にフリーの冒険者がいるとは思えませんし、彼らが悪人だという確たる証拠がないと騎士団は動きませんし、私たちだけ逃げては御者の者たちの生命が危うくなってしまいます」
「ですが」
それに、時雨がくってかかる。
時雨とて無鉄砲に言ったわけではなく、自分の考えを理論立ててから、話を切り出してはいるはずだ。
しかし、異世界に来て間もない俺たちが、良い策を出せるはずがない。なぜなら、異世界での選択には人の命がかかっているのだから。それに、常識人であればあるほど、元の世界との差に困惑してしまうだろう。
まして、勉強ばかりで異世界という存在に人一番慣れていない時雨なら尚更だ。
「ハンスさん、俺に任せてもらえませんか?」
「セイジ様に?」
「はい」
ハンスさんは少し考えてから、セイジの目を見て、うんと頷いた。
「分かりました、と言いたいところですが、まずは計画をお聞きしましょう」
馬車の走る音で、御者にすら話は聞こえないと想うが、念のためルシェに防音を障壁を張ってもらった。
それから、小一時間ほど青いドームの中で話し合う彼らの姿が見られた。
最後にもう一度、全員に作戦を確認してから、ルシェに障壁を解いてもらった。
「やっぱり、普通に行きましょう。きっと大丈夫ですよ。俺たちが守りますから」
「ええ、そうですね。きっと杞憂でしょう」
万が一盗聴されていた時に備えて、三文芝居をうってみたが、どうだったであろうか。せめて、幼稚園のお遊戯会レベルだったならいいのだが。
「ねぇ、ご主人様、ユリアのこと守ってくれる?」
隣に座っていたユリアが腕に抱きつきながら、やや上目遣いで訊いてきた。
昔はどぎまぎしたが、最近は何も感じなくなったのが嬉しいことなのやら、悲しいことなのやら。
「ああ、当たり前だろ」
ユリアはそれに、いつもより控え目だがずっと乙女な笑顔で応えた。
「お兄ちゃん、フィーは?」
ユリアの「うん」という色気のある声に触発されたのか、向かいの席に座っていたフィーがこっちに身を乗り出してきた。勢い余って立ち上がってしまったフィーは馬車の揺れによろめいて、椅子に帰着した。
「ありがと、ルシェちゃん」
フィーの体を支えていた両腕を膝の上に戻しながら、ルシェも首を振った。
「安心。フィーに怪我がなくて良かった」
「時雨お姉ちゃんもありがと」
フィーが頭を打たないように、彼女の頭の後ろに腕を回していた時雨が首を振って、くすぐったそうな顔で答える。
「気にしないで」
一連の流れを見ていたセイジが口を開いた。
「なあ、時雨って一人っ子?」
「ええ、そうだけど……」
時雨は目を細めたまま、怪訝そうな目で恨めしそうに睨んできた。「それが何よ」とでも言いたそうだ。まあ、本当にそうなのだが。
それは置いといて、時雨と俺とハンスさんは一人っ子、フィーは姉がいるらしいし、セリアとユリアは見ての通りの仲良し姉妹だ。あとは……
「ルシェは兄弟とかいる?」
「一人。記憶にある限りはずっと一人」
フィーがルシェの膝の上から、彼女の手を奪った。
「ルシェちゃんは独りじゃないよ! フィーもお兄ちゃんも皆もいるよ」
ルシェは少しうつむいて、いつもより高い声で、「訂正。わたしは一人っ子だけど、みんながいるから独りじゃない」と言った。そう言い終わったあとの彼女は、清々しい横顔だった。
「うん!」とフィーが満足げに大きく頷いた。
「ルーシェちゃんっ!」
ルシェの近くに座り直して、自分の頬を彼女の紅潮した頬に押し当てた。
始めは小さくなっていたルシェも、すぐに負けじと押し返し始めた。
その後は趣味の話になったり、魔物の話になったり、温泉について聞いたりと、話題と笑いが尽きることはなかった。
本当は楽しいはずだが、セイジは自分たちの瀕している危機が頭にチラつき、心から笑うことはできなかった。
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