35、ユリアの憂い①
この屋敷とケーニッヒ商会ラビリス支部との往復マラソン、薬草採取とポーション作り、虫食いのコーヒー豆の除去、そんなこんなで疲れ果てて、まだ寝足りない俺は、屋敷をドタドタと走る足音で目が覚めた。
(まったく、朝から何事だ!)
この屋敷の周りにはルシェミラお手製の結界が張られているから、俺たち以外の侵入は不可能。それに……あっ、ゴキブリが出たとか?
だが、昔のように、起きた時も寝る時も部屋がしんと静まり返っているより、布団から這い出ようという気になる。
仕方ないから布団から出ようとした。ちょうどその時、ドアが開いた。
ガチャン! ドンッ!
勢いよく開かれたドアは、壁にぶつかって跳ね返って、また閉まった。
「おは――」
「早く来なさい!」
挨拶もままならない内に、俺はセリアに手を引っ張られながら、朝の日差しからベッドから部屋から引っ張り出された。
しかし、このセリアの慌てぶり、前にも見た気がする。
「……あっ、ユリアか!」
「そうよ、何だと思ってたのよ」
ほうきやら、バケツやら、読みかけの本やらが廊下に散らかっている。
挙句の果てには、大きな水たまりもできている。
ユリアの部屋に入ると、唸りながら目を閉じているユリアの手を握りながら、フィーが床に膝立ちしている。
「セリア、ユリアはアレか?」
「ええ、そうよ」
「でも、ユリアには【回復ポーション】を渡していなかったか?」
【回復ポーション】とは、HP、MPに関わらず、体に来した不調を全て回復してくれるポーションだ。
効果が効果ゆえに、材料となる薬草がレアで、製作コストも当然高い。それらがこの屋敷の周りに広がる小さな原っぱに生えていることが幸いだ。
「実は、ここに来てから、より体調が悪くなってて、すぐ飲みきっちゃったんだと思う。ユリアはあれでいて結構気を使う性格だから、新しい家で皆が楽しんでいるのに、水を差したくなかったんじゃないかなと、私は思う」
「そっか、俺の注意不足だな」
「私はユリアのお姉ちゃんだから、私が――」
セリアの頭に手を置いて、まだ続きそうな彼女の言葉を遮る。さっさとポーションを飲ませなければ。
材料の薬草は、昨日採取してマジックバッグに入れておいた。
昨夜は運よく寝落ちしたから、マジックバッグは俺の肩にかかっている。ショルダーバッグ型のにしたのは、先見の明だろうか。
薬草を取り出して、早速唱える。
『調合(A)』
すぐに、俺の手に握られた瓶の八分目くらいまで、【回復ポーション】でいっぱいになった。
「セリア」
「ええ」
【回復ポーション】を手に取ったセリアは、ふたを開けて、ユリアの口にゆっくりと確実に流し込んだ。
ポーションは同じことに対しての効果が重ねがけできない。もっと言うと、同じ事柄へ効果を及ぼすポーションだと、より効果が強いほうが優先される。例えば【HP回復ポーション】と【HP回復ポーション+】の両方を飲むと、【HP回復ポーション+】の効果のみ現れる。それと同じだ。
だから、あと俺たちにできることは、額のタオルを変えたり、ユリアが起きた時のためにおかゆを作ったり、効果が切れるタイミングでポーションを再度飲ませたりすることくらいだ。
まあ、【回復ポーション】は机の上に三瓶置いといたから、俺もとうとう暇になった。
皆そわそわしているし、委員長がいるキッチンでは居心地が悪く、朝食を食べ終えると、自分の部屋に早々に引き上げた。
(早く、仲直りしなきゃなぁ……)
ベッドに寝転んでみるが、何も楽しくない。
何もせずにいると、色々な事を考えてしまう。ユリアの病気、委員長のこと、ダンジョン攻略のこと、商会に卸す品物のことも、頭に浮かんでは消えるのを繰り返している。
頭の中を一度空っぽにするために、外に出ることにした。重い頭をベッドから起こしながら、何をするか決めた。
紅茶より深く落ち着く香りが俺を包み込む。
この香りの中で、ただ手網を振るだけの単純作業、まさに考え事をするにはうってつけの状況だ。
時々吹く涼しい秋風が、頭の回転にスパイスとして働いている。
「お兄ちゃん、お昼ごはんだよ」
フィーの声とともに、麦が焼けた香ばしい匂いが漂ってきた。そして、その中に良い意味で協調性のないチーズの香りを感じる。
俺とは正反対だ。
「今日の昼は、サンドイッチ?」
「正解!」
食べてみると、これが中々おいしかった。
「へえ、結構美味しいな」
「あら、そう?」
「うん、美味し……フィー、これって」
フィーの元気な高い声でなく、さっぱりとした声だった事に気付き、後ろを振り返る。すると、予想通りの人が立っていた。
「そうだよ、時雨お姉ちゃんが早起きして作ったの。いっぱい頑張ってたよ」
「こらフィー、余計なことは言わない」
「でも……」
フィーは優しいわね、と目で笑いかけながら、俺にはそれとは真逆の感情を滲ませる。
「味バカでも分かる美味しさで良かったわ。それで、感想は?」
感想か……今度は怒られないような言葉を選ばなくては。
さすがに、これ以上対処する問題が増えると、頭がこんがらがってショートしてしまう。そうでなくても、大量の電化製品をつなげたタコ足配線のように発火してしまうだろう。
――俺の答えは、シンプル・イズ・ザ・ベストだ。
委員長相手に、揚げ足を取られるような余計なことは言わない。
「意外と美味しいです」
(そうなの? ちょっと嬉しい)
安堵のあまり、顔をほころばせそうになる心とは裏腹に、彼女の口は以前と回り始める。
「あら、五十点位の出来栄えなんだけど、気に入ってもらえて良かったわ。さすが、バカ舌ね」
お察しの通り、彼女は素直に言葉を出せないのだ。ことに、セイジの前では。
いつも通り、予想の斜め上の返しをする委員長に、ほとほと呆れながらも、会話を止めたい、という気持ちはわかない。
「いやあ、さすが良いところのお嬢様(上に点で強調)は違いますね。一般庶民はこれで十分おいしいんですよ。まあ、お嬢様(上に点で強調)には一生分からないと思いますが」
(美味しいの? そんなに褒めなくても〜)
思わずニヤけそうになる頬に力を入れながら、頭を回転させる。
なんとなく、負けたくない!
「それはどうも。五股男と一緒の分類を受けなくて良かったわ」
「あれ、五股? フィー、セリア、ユリア、ルシェミラ――あれ、四股の気がしますけど? 誰か忘れてるのかなぁ……」
時雨は反射的に手が出そうになるが、それはしない。
なぜなら、それが私たちの戦いの掟だからだ。あくまで、使える武器は口、表情、視線などのみ。
「あら、随分言ってくれるわね」
「お褒め頂き光栄です」
セイジはわざと恭しく頭を下げる。
それに対して、時雨は女帝のような余裕の笑みで受ける。
俺の目に真剣な時雨の顔が、時雨の目に俺の真剣な顔が映る。彼女は嫌がるだろうが、俺なりの言い方をすれば、これは俺対時雨の聖戦だ。
久しぶりの戦いで過呼吸になったが、それに一抹の心地よさを感じる。
(――なんだ、普通に話せるじゃないか。まったく心配して損し……あれ? 自分は今、何を考えていたのだろうか。いや、きっとこれも彼女の作戦の内なのだろう、忘れよう)
そう、勝手に自分に言い聞かせて、次の言葉を考える。
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