33、嵐の前の静けさ①
なんとなく疎外感に包まれた朝を何回迎えただろうか。気付いたら、もう月曜日になっていた。
ケーニッヒ商会に卸す用のコーヒー豆を加工する準備をしながら、ただ漫然と考えている自分がいた。限定ピックアップキャラを逃したときよりも、引きずっているではないか。
俺とは何なんだろうか?
空けた袋から、コーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。その香りが一瞬、俺を現実へと引き戻す。
そうだった、コーヒー豆を焙煎するんだった。
この世界では、乾燥したコーヒー豆を火魔法で焼いているらしい。まあ、効率的だしある程度のものは作れるから、それでもいいのだが、それだと十分に美味しくないのも事実。
しかし、時間があり余っていて、効率性は気にしなくていい俺なら、もっと美味しいコーヒー豆を作れる。コーヒー豆を焙煎する方が、魔物を倒すことに比べたら、百倍簡単で安全だ。
それに、俺の目指すのんびりとしたスローライフに合っている。
かまどの準備をしていると、フィーが俺の隣に座ってきた。
「何してるの?」
「コーヒー豆を焙煎しようかなって」
「ばいせん?」
「焙煎は、熱を加えて風味や香りを引き立たせる工程かな。これをやった方が美味しいのができるんだよ」
「お家の暖炉じゃダメなの?」
確かに、リビングには大きな暖炉が備え付けられていた。
ちなみに、キッチンの火は全て魔導コンロだった。仕組みは、貯めておいた魔力を使って熱を起こすらしい。詳しくは、よく分からん。
「家の中でやったら、コーヒー臭くなっちゃうだろ?」
「ああ、そういうことか」
「そういうこと」
「フィーも手伝う。何すればいい?」
「じゃあ、コーヒー豆をその三つの手網に入れて。半分くらいの深さまでだよ」
「てあみ?」
「そのあみあみの小さな鍋が手網だよ」
「ほんとだ、あみあみだね」
「そうだな」
欲張って手網に入れすぎると、火の通りが悪くなってしまうのだ。
カップが三往復を三回すると、三つ全ての手網半分までコーヒー豆で埋まった。
「終わったよ」
俺の方も用意が終わった。
かまどの中で、炭がパチパチと赤くなった。ケーニッヒ商会で買った高い炭だから、煙はほとんど立ってこない。
「じゃあ、手網のふたを閉めて、網の上において」
「こっちもあみあみだね」
「熱いから、気をつけるんだぞ」
「うん」
この焙煎は、炭焼き焙煎といって、炭から出る遠赤外線を使うことで、コーヒー豆の芯まで熱することができ、より均一に火を通せて深みも一味違ったものになるのだ。
趣味で昔やったことがあるが、まあまあのものができた記憶がある。
昔やった時は、手網をずっと七輪の上で固定し続けなければならず、手が筋肉痛になったので、今回は網の上に置いてやることにした。
「じゃあ、ゆっくりと揺すり続けてくれる?」
「うん」
フィーが右のかまどの、俺が真ん中と左のかまどの手網をカシャカシャと揺する。
生臭い匂いが漂ってきた頃に、ルシェミラが歩いてきた。
鍋に顔を近づけ、くんくんと匂いを嗅ぐ。
「腐ってる?」
「いや、腐ってないよ。もう少しすれば、香ばしい匂いになってくるよ」
「何してるの?」
「コーヒー豆を火にかけて、より美味しくしてるんだよ。ルシェミラもやる?」
こっくりと頷いて、左のかまどの手網の持ち手を掴んだ。
そして、そのままじっとコーヒー豆を見つめている。
「揺すってもらえるか?」
「了解」
楽しげな音が鳴る小演奏会が始まってすぐに、香ばしい匂いが漂ってきた。コーヒー豆も、緑色だったのが黄色みを帯びて、皮が飛び散り始める。
「うわぁ、いい匂いだね」
「肯定」
二人とも楽しそうで良かった。ルシェミラの頬が緩んでいる気がする。
姉妹のように肩を並べた二人をぼーっと眺めていると、ルシェミラがこっちを振り向いた。
「何か用?」
「用は無いけど、笑ってなぁ、って思って」
「変?」
「いや、女の子は笑ってる方が可愛いと思うよ」
返事をする代わりに、俯いてしまった。
昔のフィーみたいで、どことなく懐かしくて可愛い。
コーヒー豆が全体的に茶色になった。
「ここからが本番だぞ。今までより早く、手網を揺すって」
「うん、分かった」
「了解」
そこからは、全員口をつぐんで、ひたすら手網を揺すり続けた。シャカシャカという音だけが耳に入ってくる。
すぐに、パキッ!パシッ!という高い音が手網の中で鳴り始めた。
「お兄ちゃん、これは?」
「もうちょっとで完成だよ、って合図かな。これが鳴り終わったら完成だから、頑張って揺すってな」
返事は頭でして、手網をさっきよりも早く揺すり始めた。
俺の腕も限界に近付いている。さすがに十分以上手網を揺すり続けるのは、肉体的に結構しんどい。
二分ほどで、高い音は無くなった。
「はい、炭からあげて。机に置いたら、うちわで扇いでね」
「えっ、まだ続くの?」
「嘘つき」
ふたを開けると、コーヒーの何とも言えない香りが俺たちを包み込んだ。これだけで、さっきまでの疲れが吹き飛ぶ。
コーヒー豆が程よく冷めたら、うちわで扇ぐのを止めた。
「はい、完成だよ。二人ともご苦労さん。【疲労回復ポーション】飲む?」
「うん、飲む。ルシェも飲もうよ。美味しいよ、お兄ちゃんのポーション」
「了解。わたしにも頂戴」
「ああ」
二人がポーションを飲んでいる間、俺も【疲労回復ポーション】を煽りつつ、うちわで飛びきらなかったコーヒー豆の皮を箸で取り除いた。
若干、無理をしたので、手網一つあたり二百グラム、計六百グラムのコーヒー豆の焙煎が終わった。コーヒーパック一つあたり十グラムだから、六十回分できたというわけだ。
しかし、商品として売り出す以上、少なくとも十パックで一包装にはなるだろうから、まだ六個しかできていない計算になる。
この重労働で、六パックか。
ポーションで疲労感はすでに無くなったが、精神が悲鳴を上げている。
だが、やらねばならない。ゲームの周回と同じだ。いくら辛くても、意識が飛ばない限り、必要回数の集会をやるのがゲーマーだ。
結局、フィーとルシェミラは一時間半近く手伝ってくれた。
おかげで、計五回で三キログラムの焙煎が終了した。これだけ作れば、文句は言われんだろう。
「二人ともありがとう。これ飲んだら、家に戻るんだぞ」
「分かった、お兄ちゃん」
「了解。ポーションに感謝」
二人の頭に手を置いてから、コーヒー豆三キログラムを両手で持った。やはり【筋力増加ポーション】を飲んでいないと、持ち運べない重さだ。
「じゃあ、行ってくるよ。これ時雨さんに渡してくれる?」
「これ……コーヒー?」
「そう、コーヒーパックっていうんだよ。時雨さんに渡せば、コーヒー淹れてくれると思うから、頼んでみて」
「うん、分かった。気をつけてね」
フィーとルシェミラに見送られながら、跳梁跋扈の森に入った。
この森に一人で入るのは初めてだが、ハンスさんのいるラビリスの街までは【AGI増加ポーション+】【PDE増加ポーション+】【被ダメージ減少ポーション(物理)】の三つを飲んでいけば、おそらく安全なはず。
ポーションに、+がつくと、無いものより効果が上がる。
例えば【HP回復ポーション+】になると、体の内部の傷も治してくれるのだ。だから、【疲労回復ポーション】を使って体を酷使したあとには、これが必要なのだ。酷い筋肉痛になるのを防いでくれる便利なポーションだ。
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