第6話 「好きかも」の意味
ネオ・トーキョーの夜は、いつもより少しだけ静かだった。
それが逆に、レンの神経を逆撫でしている。
「……なんで平和なんだよ今日に限って」
彼女はホテル最上階のスイートルームで、ぼそりと呟いた。
眼下には無数のネオン。
そのすべてが、遠く感じる。
現実感が薄いのは、さっきまでの出来事のせいだ。
爆発。
侵入者。
黒乃ミアとのコラボ配信。
そして――
『エルちゃんってさ、好きかも』
「……いや、違う」
レンは頭を振った。
「絶対あれはノリだ。テンションだ。配信者のバグだ」
そう自分に言い聞かせる。
だが、心拍は落ち着かない。
同時刻。
黒乃ミアの配信アーカイブは、すでに世界中で切り抜かれていた。
《VTuber界の頂点が謎の個人勢にガチ興味》
《好きかも発言の真意とは》
《死神、落とされる》
コメントは完全に恋愛ドラマのそれだった。
だが本人は、そんな空気をまったく意識していない。
いや――
意識していないように見えるだけかもしれない。
「はぁ……」
レンはソファに沈み込んだ。
高級ホテルのはずなのに、落ち着かない。
むしろ、静かすぎて怖い。
戦場のほうがまだ分かりやすい。
敵は撃てばいい。
逃げればいい。
壊せばいい。
だが今は違う。
「人の感情って一番厄介じゃん……」
その時だった。
コンコン。
軽いノック音。
「……は?」
レンは一瞬で立ち上がる。
腰には銃。
足音は一つ。
殺気はない。
だが――違和感がある。
「誰」
低く問う。
返事はすぐに返ってきた。
『私だよー』
その声で、レンの思考が一瞬止まる。
「……ミア?」
『うん。入っていい?』
数秒の沈黙。
レンは深く息を吐いて、扉を開けた。
そこに立っていたのは、配信そのままの姿の黒乃ミアだった。
完璧に整えられた髪。
華奢な体。
柔らかい笑み。
ただひとつ違うのは、カメラがないこと。
「ほんとに来るなよ……」
レンは額を押さえた。
『だって気になったから』
ミアは悪びれもなく言う。
『エルちゃん、配信終わったあとずっと変な顔してたし』
「してない」
『してたよ』
即答だった。
レンは視線を逸らす。
こういう人間は苦手だ。
戦場にはいないタイプ。
読めない。
距離感が狂う。
『ねえ』
ミアが一歩、部屋に入る。
空気が変わる。
『好きかもってさ』
一拍。
『困ってる?』
「……は?」
レンは眉をひそめる。
「いや、普通に意味わかんないんだけど」
『うん』
ミアは笑った。
『それでいいと思う』
沈黙。
レンは完全に思考停止する。
意味がわからない。
追い詰められている感じはないのに、逃げ道がない。
銃撃戦より性質が悪い。
「……何しに来たの」
『リハ』
「は?」
『明日また配信あるでしょ』
当然のように言う。
『その前に、ちょっと距離縮めときたくて』
レンはしばらく黙った。
そして、静かに言う。
「距離って、戦術用語?」
『違うよ』
ミアは少しだけ首を傾げる。
『人間用』
その言葉が、やけに重かった。
ホテルの窓の外では、ネオ・トーキョーの光が揺れている。
遠い。
戦場の匂いもしない。
血の気配もない。
なのに、レンの指は無意識に引き金位置をなぞっていた。
(なんだこれ)
敵じゃない。
でも安全でもない。
もっと厄介だ。
ミアはソファに腰を下ろし、足を揺らす。
『エルちゃんってさ』
「……なに」
『ほんとは、優しいよね』
「は?」
レンの声が裏返る。
「どこ見て言ってんのそれ」
『さっきも業者の人、ちゃんと外に出してた』
「たまたま」
『あと、無駄に壊さないように戦ってた』
「たまたま!!」
即答だった。
ミアはくすくす笑う。
『わかりやすいね』
「やめろその評価」
レンは頭を抱えた。
沈黙が落ちる。
しかし、それは不快ではなかった。
ただ、どう扱っていいか分からない種類の沈黙だ。
やがてミアが立ち上がる。
『じゃあ、今日はこれで』
「え、帰るの?」
思わず口が出た。
ミアは少し驚いたように振り向く。
『うん。これ以上いると、エルちゃん多分寝れなくなるから』
「……意味わかんない」
『それでいいよ』
扉に向かいながら、彼女は振り返る。
『またね。エルちゃん』
そして。
『好きかもの答え、急がなくていいから』
扉が閉まる。
静寂。
完全な静寂。
レンはしばらく動けなかった。
やがて、ぽつりと呟く。
「……なにあれ」
戦場より疲れた。
銃撃戦より消耗した。
なのに――
嫌ではなかった。
その事実だけが、妙に頭に残る。
「……寝よ」
レンはソファに倒れ込む。
天井の照明が滲んで見えた。
そして、眠りに落ちる直前。
最後に浮かんだのは。
(好きかもって、なんなんだよ本当に)




