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それから2日後。今日は進捗報告のためにレティーシャからあらかじめランチに誘われていた日だった。
(栞、確認できなかったな……)
平民に戻るためにレティーシャのお願いは完璧に叶えたかったので、ミネリアは悔しく思っていた。栞を渡して以降も今日に至るまで毎日クリストフを探し回り、何度か軽く雑談はしているものの、栞の確認はできなかった。ミネリアが贈った栞を使っているのかどうかもわからない。
そのことをミネリアがレティーシャに報告すると、「そう……」と憂いを帯びた目をそっと伏せた。
次のランチ会は1週間後。ミネリアとクリストフの出会いのきっかけは作ったので、後は基本的にミネリアに任せ、定期的に報告するということになった。レティーシャに母とジル宛の手紙を託してミネリアは退室の挨拶をする。
くるりと背を向けたところで、「あら。ミネリア様、お待ちになって」と声がして立ち止まる。マールの声だ。
「お洋服の裾が少し乱れておりますわ」
すっと近寄ったマールは手際良く裾を直してミネリアに笑みを向ける。
「あ、ありがとうございます」
ミネリアがお礼を述べたところで、こっそりと小さく折りたたんだ紙を手渡された。はっとミネリアがマールと目を合わせると、マールは笑みを深くした。ミネリアはレティーシャにバレないようにそっとそれを握りしめる。
「1週間後、楽しみに待っていますね」
「はい、がんばります。それでは、おいとまさせていただきます」
***
レティーシャたちのいる個室から充分に離れたミネリアは、こっそりと手の中の紙片を開いて確認した。
(放課後、中庭でお待ちしています……か。なんだろう?)
レティーシャの前では話せない何かがあるようだ。ミネリアは首を傾げたものの、次の講義の開始時間が近いことを思い出して慌てて講義室へと向かった。
***
放課後になり、ミネリアは指定された中庭のガゼボに一人腰掛けて花を眺めていた。ちょうど見頃を迎えたラベンダーの花がそよ風で揺れている。
「おまたせしてしまいましたね」
ぼんやりしていたミリアナに声をかけたのは、いつも通り穏やかな笑みを浮かべたマールだった。
「いいえ、私も今来たところですわ」
ミネリアもにこやかに返した。マールはミネリアの隣に腰掛け、ミネリアがさきほどまで見ていたように中庭を眺める。
「ラベンダーの季節ね。ミネリア様はお花はお好き?」
「ええっと、人並みには……というくらいです。学園の庭園は見ていて楽しいですが、貴族の方々ならお詳しい花の名前や花言葉などはあまり……」
3ヶ月程度の淑女教育ではそこまで学べなかった。貴族は花言葉を意識しながら花や花の意匠の品を贈るのだと知った時にはびっくりしたものだ。
「あら、そうなのね。生粋の貴族でもお花に興味がない方はあまり知らないから大丈夫よ。有名なものは贈ったり贈られたりすることが多いから、それだけ知っていればいいの。——例えば、そこのラベンダーだと『あなたを待っている』ですわ。騎士の方が任務に向かわれる際に家族や恋人がよく贈るの。あとは、ミネリア様がクリストフ殿下に贈った栞はベゴニアの意匠でしたわね。あれは『愛の告白』という意味で贈られますわ。……ふふふ、あれを贈るということは好意を伝えることなのですけれど、クリストフ殿下はどう解釈なされたかしら」
ハート型の葉っぱがかわいいな、としか思っていなかったミネリアはびっくりした。
「そ、そんな大胆なものだったのですね……」
「クリストフ殿下になにか聞かれたら、花言葉なんて知らなかった、で通すといいわ。殿下を振るのでしょう?」
ミネリアは力強く頷いた。なんとしても平民に戻りたい。……まあ、まだ認識してもらえただけで、恋に落ちてすらいないんだけれども。
「殿下と実際に接してみてもその気持ちは変わらないのね。国で一番贅沢できる立場になれるかもしれないのよ?」
マールの口調も雰囲気もずっと穏やかで変わらない。けれど、これが今回の本題なのだと理解してミネリアは背筋を伸ばし、真っ直ぐにマールを見つめて答える。
「私の幸せはそこにはありません」
「ふふ、安心したわ。……レティとクリストフ殿下はね、小さい頃はとても仲睦まじかったのよ。レティはいつも嬉しそうに殿下の話をしてくれていたもの。でも、いつからかしら、仲がこじれてしまったの。詳しいことは何も教えてくれないからわからないのだけれど……」
マールは頬に手を当ててため息をついた。
「でも、レティは今もクリストフ殿下のことが好きなのよ。ずっと殿下の様子を気にかけているもの」
あなたにこんな依頼をしておいて信じられないかしら、とマールは困ったように笑った。
ミネリアはなんとなく合点がいく思いだった。レティーシャがクリストフのよく行く場所を知っているのが冷めた関係にしては不思議だったからだ。それに、レティーシャが気にしている栞も、きっと二人の思い出の品だったりするのだろう。
「そうだったのですね。マール様は、レティーシャ様とクリストフ殿下がまた仲睦まじく過ごせるようになられてほしいのですね」
「ええ。でもレティはなにも話してくれないし、殿下も私とレティの仲を知っていらっしゃるから近づけなくて……。もしミネリア様が殿下とお話していて、なにかレティのことをおっしゃっていたら教えていただけるかしら」
「ええ、なにか分かれば確かにお伝えいたします」
ミネリアが力強く答えると、マールは安心したようだった。
「長い時間引き止めてしまってごめんなさいね。また来週、ミネリア様のご報告を楽しみにしているわ」
***
一週間後、ミネリアはレティーシャとマールの2人と食事を取りながら、順調にクリストフと交流できていることを報告する。順調と報告して入るものの、ミネリアの現在の立ち位置はクリストフを取り巻く女の子たちのひとりでしかなく、クリストフに特別気にかけられているわけではない。なんとか2人きりで話して距離を縮めたいと思っているが、もうクリストフはあの古い噴水には現れることはなかった。
報告会もそろそろお開き、というところでレティーシャはミネリアに手紙を差し出した。
「そうそう、あなたのお母様から返事が来たわよ」
「本当ですか、ありがとうございます、レティーシャ様!」
ミネリアは目を輝かせ、そうっと繊細な細工にに触れるように手紙を受け取って抱きしめた。
「家の使用人に手紙を届けさせたのだけれど、あなたのご実家の食堂はきちんと営業していて、お母様もお元気そうだったようよ」
「あ……そんなことまで……。すみません、本当にありがとうございます……。よかった……」
安堵から涙が溢れたミネリアにマールがそっと寄り添って背中を撫でる。レティーシャはミネリアに優しい目を向けていた。
手紙の内容が気になって講義に身の入らないミネリアは放課後になると寮の自室に駆け込み、そわそわと手紙を開封した。目をうるませながら、ミネリアはゆっくりと手紙を読み進めていく。
母親からの手紙には、ジルが食堂を手伝ってくれてなんとか食堂は続けられているということ、そして、ミネリアの身を案じる言葉がたくさん書かれていた。
母親の手紙の封筒の中には、ジルが書いた手紙も同封されていた。ミネリアが送ったのと同じ、一枚だけの簡素な手紙。
『お母さんと食堂のことは安心して。どうか無茶はしないように。待ってる』
(私、ぜったいジルとママの元に戻るんだから……!!)
大切な人たちからの手紙を読んで、ミネリアは決意を新たにした。




