表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
将門炎舞記 下巻  作者: 浮島太郎
第15章 天啓の座

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
71/78

異貌の御前

また数日が経つと、将門の思考にも変化が現れた。

――考えるより先に身体が動く。

――決断より先に言葉が口をつく。

怒りも慈悲も、あらゆる感情の色は、以前より濃く、鋭く、深くなっていた。

まるで心の奥底に、もうひとつの人格が芽生え、

将門の意思に静かに入り込んでくるようであった。


影が囁く。

「汝は王――王は迷わぬ。その意思は天意そのもの。」


その声が落ちた瞬間、将門の意識がふっと軽くなった。

将門の心の奥で、“人としての迷い”がひとつ、またひとつと消えていった。

自分の意識の中に、別の何かがいる。

星神は、確実に彼の心を上書きしていた。


「これでよい。汝は完全に星神と一体となった。

人の名は消え、人の意志は消え、人の記憶は消える。」


唇は、自らの意志とは無関係に動き始める。

将門の声が、人の声ではなく、地の響きのような低く深い音で紡がれた。


「今や、この坂東において、天意に逆らう者は無い。

この地は、天意が支配する王道楽土とならん。」


その瞬間、祭壇の白砂が一斉に舞い上がり、星々の如く強く輝いた。

まるで天が、その変容を祝福しているかのように。



翌朝、

軍議の場に、将門が姿を顕した。

その瞬間、空気が変わった。


「……!!」


重臣たちは、皆、息を呑んだ。

その音だけが、その場に重く響いた。

焚かれた沈香の煙が、まるで恐れを抱くかのように揺らぐ。


――新皇・将門は、もはや“人の姿”を留めていなかった。


全身は、濡れたような漆黒の鱗に覆われ、

その鱗は光を吸い込み、深い闇のように黒鎧に沈み、

肩幅は以前の倍にも見え、胸郭は異様なほど広がり、

その歩みは、床板が減り込むほど重かった。


将門が一歩、前へ進む。

朝日を遮り、その影が床に落ちる。

だが、その影は、将門の動きと一致していない。

数拍遅れて揺れ、まるで別の生き物がそこに潜んでいるかのように乱動している。


そして、何より――。


両の眼の奥で、複数の瞳が蠢いている。

それぞれの瞳孔が別々の方向を向いては、ゆっくりと収束し、また散る。

その動きは、まるで天空の奥深くで星々が脈動しているかのようだった。


重臣たちは、主の変貌に恐れ慄き、畏怖に支配された。

その場の誰ひとりとして声を上げることさえできない。

喉の奥で、声にならない音を震えさせるだけであった。


将門は、ゆっくりと重臣たちを見渡した。

複数の瞳が、同時に、異なる角度から彼らを射抜く。

その視線は、魂の奥底を覗き込み、天意に照らして裁くかのようであった。


重臣たちは、膝が震え、誰もが本能で悟った。


――この御方は、最早、人ではない。


そこに立つのは、

“新皇”という呪名と言霊が生み出した、人ならざる異形の王であった。

その姿を前にして、この場の重臣たちは誰ひとりとして声を発せない。

畏怖と崇敬が渦を巻き、軍議の天幕には、凍りつくような沈黙が満ちていた。



その日、

民家に隠れていた貞盛の妻女と源扶の妻女が捕らえられた。

女たちは捕縛した兵たちに全てを奪われ、何度も辱めを受け、真冬の寒風の中、裸のまま将門の前へ引き出されてきた。

二人の身体は震えていた。

女たちは、寒さに震えながら僅かに顔を上げた。

目の前の“異形の王”の姿を仰ぎ見ると、ますます恐れ慄いた。


女たちの腕を掴んでいた兵が、下卑た笑みを浮かべたまま報告した。


「貞盛、秀郷らの行く先は……知らぬそうでございます。」


将門は、ゆっくりと兵たちを見下ろした。

その瞳の奥で、複数の瞳が静かに蠢く。


「……妻女を発見し、捕らえたのは誰だ。」


低く、深く、影と重なるような響き。

兵たちは互いに顔を見合わせ、賞されると期待したように笑みを浮かべた。


「我らでございます!」


その瞬間――。


将門の長剣が、音もなく抜かれた。

一閃、五つの首が血飛沫とともに宙を舞い、雪の上を次々と転がった。


周囲の兵たちは、その光景を見て膝を震わせた。

将門は血糊を払うこともせず、抜き身を片手にしたまま静かに言い放った。


「強欲は罪であり身を滅ぼす、と言ったはずだ。

軍律を乱す者は死罪――朕の意は、厳格に適用されねばならぬ。」


その声は、低く深く響いた。

妻女たちは、その有様に、更に怯えながらも、ただ静かに涙を流し続けていた。

周囲の兵たちは、その涙すら恐ろしいものでも見るように、誰も近づけなかった。


将門は、妻女らに向き直った。

その瞳は星の光を宿しながらも、声だけは、微かに“人”の温度を残していた。


「朕の不徳の故に、酷い目に遭わせてしまい、誠に相済まなかった。」


その声は、将門の“人”としての最後の残響であった。


「妻君らに新しい着物を与え、金子きんすを持たせ、真壁まで丁重に送り届けよ。」


近習にそう命じると、将門は静かに目を閉じた。

雪の静寂の中、将門という“人”の最後の声が、ゆっくりと消えていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ