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将門炎舞記 下巻  作者: 浮島太郎
第15章 天啓の座

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雪中の盟

真冬の寒気が海沿いの大地に吹き降ろし、乾いた雪が絶え間なく降りしきっていた。

貞盛は、秀郷・為憲らと共に常陸を脱し、海道(浜通り)を北上して陸奥国石城いわきへ入った。


秀郷の軍と貞盛の残党を合わせれば、なお五百騎を下らぬ兵力である。

兵站確保のため、貞盛は在地豪族・石城国造いわきのくにのみやっこの末裔、石城泰道の娘を娶り、姻戚関係を結んでこの地に腰を据えた。

この縁は後世に海道平氏の隆盛へとつながり、出羽清原氏との結びつきも深めていくことになる。


一方、将門は常陸国内での探索を続けていたが、捜索範囲を坂東の外へ広げることはなかった。そのことが、貞盛らにとっては幸いした。



石城に拠点を置いた秀郷は、旧知の俘囚主ふしゅうしゅらのもとへ協力を求めるため、雪の浜通りを北へと発った。為憲もまた、石城泰道と共に在地豪族を巡り、将門追討の勅命を伝えて兵の徴収に奔走していた。


石城の館には、貞盛だけが残された。

北風が障子を震わせる音を聞きながら、彼はただひとり、叔父・平良文との対面の時を待っていた。


――良文殿は、応じてくださるか。


貞盛が目指すは陸奥国・胆沢城いざわじょう――

その答えは、陸奥の雪原の向こうにあった。

従五位上・陸奥守にして鎮守府将軍、叔父・平良文のもとである。


良文は、京生まれの優しい風貌を持ちながら、

武勇と統率においては坂東随一と謳われた男であった。

良文は、蝦夷えみしの叛乱鎮圧のため鎮守府将軍の任を与えられ、三千の兵を率いて北国の雪原を駆けていた。奥羽においても、まるで坂東の擾乱と呼応するかのように蝦夷、俘囚ら、“まつろわぬ民”による騒乱や蜂起が相次ぎ、その慰撫鎮圧が喫緊の課題であった。


かつて将門が良兼らと争った折には、良文は将門に温情を示し、味方したことすらある。

そのため、良兼と共に将門に敵対していた貞盛が、良文を頼って陸奥へ向かうことは、賭けに近い。


だが、陸奥守・鎮守府将軍として動かせる兵馬の数を思えば、良文を味方につけた瞬間、将門討伐の成算は一気に現実味を帯びる。

貞盛は、その一点に最後の望みを託していた。


一方、良文も、遠い陸奥の地にありながら朝廷との連絡を怠らない周到さで、将門がついに“朝敵”として扱われるべき存在となったことを知っていた。


――まさか、あの孝心篤き将門が、“新皇”などと僭称せんしょうし、朝廷に弓引くなど。


良文には、にわかに信じがたいことであった。


良文のことわりは、あくまで主上への忠誠にあり、朝廷の臣としての節義にあった。その点では、国豊と似た気質を持つ男である。


貞盛は、良文が朝廷の命に従い、“新皇”を僭称した将門に情をかけるはずがないと確信した。


――この賭けは、勝った。


貞盛はそう悟った。


雪は絶え間なく降りしきり、白い荒野は音を呑み込んでいた。

その静寂のただ中で、ひとつの“盟”が結ばれようとしていた。


貞盛は少数の供を連れ、陸奥国胆沢城へと向かった。

吹雪の中にそびえる胆沢城は、まるで北方の守護神のように沈黙していた。

城門前に立つ兵の鎧には雪が積もり、その姿は氷像のようであった。


「平貞盛、参上仕った。

陸奥守・鎮守府将軍、平良文殿にお目通り願いたい。」


名乗りを聞いた兵は、わずかに目を見開き、すぐに城内へと走った。

やがて、広間の奥から足音が響く。

現れたのは、京生まれの優しい面差しを持ちながら、

その眼光に北国の武将らしい鋭さを宿した男

――平良文であった。


「……貞盛か。この雪の中、よくぞ来た。」


良文の声は静かだったが、

その奥には揺るぎないことわりがあった。


貞盛は深く頭を垂れた。


「叔父上……

将門は、ついに“新皇”を僭称し、朝廷に弓引くに至りました。

もはや、情をかける余地はございませぬ。」


良文の眉がわずかに動いた。


「……あの将門が、そこまで堕ちるとは。」


その声音には、かつて将門に温情を示した男の、深い失望が滲んでいた。


貞盛は続けた。


「叔父上。

我らは将門に敗れ、坂東を追われました。

だが、まだ終わってはおりませぬ。

藤原秀郷殿も、常陸小掾・為憲も、皆、将門討伐のために動いております。

――どうか、叔父上の、陸奥の強兵をお貸しくだされ。」


良文はしばし沈黙した。

吹雪の音だけが、広間の外で唸っている。

やがて、良文は静かに口を開いた。


「貞盛。そなたの父・国香も、そして良兼も、

桓武平氏高望流嫡流としての責務を果たさんと努めた。

その志、疑う余地はない。汝も同じと見た。」


良文はゆっくりと立ち上がり、

広間の奥に掲げられた鎮守府将軍の軍扇に手を伸ばした。


「将門が不遜にも“新皇”などと僭称した以上は、もはや骨肉の情は捨てねばならぬ。

我らは朝廷の臣。主上の御心に背く者を見過ごすわけにはいかぬ。」


軍扇が開かれた瞬間、広間の空気が変わった。


「貞盛。我が兵二千、そなたらと共に遣わそう。」


貞盛は息を呑んだ。


「叔父上……!」


良文は頷いた。


「朝廷の命により、賊徒、将門を討つべし。」


その言葉は、雪原に響く雷鳴のようであった。


貞盛は深く頭を垂れ、その額が畳に触れた。


「……この恩、必ずや報じます。叔父上と共に、必ず将門を討ち果たしてみせます。」


良文は静かに言った。


「貞盛。そなたの理は、我と同じだ。――我らは、朝廷の臣である。」


その瞬間、陸奥の雪の下で、坂東を揺るがす“反転攻勢”の火が、静かに灯った。

北の果てから、坂東を揺るがす新たな戦の気配が、静かに立ち上がりつつあった。


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