表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
将門炎舞記 下巻  作者: 浮島太郎
第14章 偽りの神座

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
64/78

新皇の夢、逆臣の理

追討の行軍の只中、慰安の酒宴が催された。

陣中の宴は、まるで神座を偽りにて築くための舞台であった。

その夜、将門の運命は静かに、しかし確かに歪み始めた。


松明の炎が揺れ、酒の匂いが濃く漂い、兵たちの笑い声が夜気を震わせていた。

戦の最中とは思えぬほどの賑わいである。


この宴を企画したのは興世王おきよおうであった。

武人ではない彼は、武功で名を上げられぬ焦りを抱え、その劣等感を埋めるように、将門の胸中に芽生えつつある「坂東を統べる王」という影に火を注ごうとしていた。

そのために、興世王は周到な仕掛けを用意していたのである。


やがて、宴の最中――

娼妓のひとりが突如として立ち上がり、白布をまとって「総社の巫女」を名乗った。

その声は震えながらも、どこか芝居がかった響きを帯びていた。


「八幡大菩薩の使いとして告ぐ――朕が位を、蔭子・平将門に授く。

その位記は、左大臣・菅原朝臣道真の霊魂が表す。

右八幡大菩薩、八万の軍を起こし、帝位を捧げ奉る。

すみやかに三十二相の音楽を奏し、これを迎えよ――」


場は一瞬、凍りついた。


興世王の狙いは明白だった。

「新皇」という称号を、将門に自然と受け入れさせるための演出である。


しかし――。


その場にいた国豊が、突如として席を蹴り飛ばし、雷鳴のような怒声を上げた。


「この痴れ者が! おのれは将門公に帝位簒奪ていいさんだつそそのかすか。許せぬ!」


腰の太刀を抜き放ち、興世王へと歩み寄る。

やいばが松明の光を受けて白く光った。


興世王は仰天し、土の上を這いずりながら逃げ惑った。


「や、や、国豊様……! 悪戯心で神仏の声を騙っただけにございます!

死者を冒涜した罪は謝ります、どうか命ばかりは……!」


重臣たちは何が起きたのか理解できず、声も出ない。


国豊は刃を興世王の喉元に突きつけ、吐き捨てるように言った。


「娼婦ごときを八幡大菩薩の御使いになど見立てるとは、神仏への冒涜にも程がある。

ましてや、菅原道真公の御霊をかたるとは──おのれは、常世とこよに坐す死者の魂魄までも愚弄したのだ。

どうして汝のような者が、帝位を捧げ奉るなどと言わしめることができようか。

将門公を唆し、破滅へと誘う狡猾なる蛇よ。獅子身中の蟲とは、まさにおのれの如き者を申すのだ。

――この場にて、我が成敗してくれようぞ。」


近習、重臣らが、慌てて国豊を羽交い締めにし、ようやく刃が下ろされた。


その後、藤原玄茂が興世王に近づき、低い声で告げた。


「汝が阿諛追従あゆついしょうからあのような仕掛けをしたことは、分からぬでもない。

だが、国豊様の逆鱗に触れたのは不味かったな。

あの方は“理”を重んじられる御方。

都で忠平卿に愛顧されて育った御曹司よ。

宴席であったことが、辛うじて汝の命運を救ったのだ。

汝という男は、皇嫡三世の血筋であろうが、どこか冷笑が張り付いておる。

見栄と欺瞞、劣等感と依存……それらを見抜かれたのだ。」




外気が冷たく頬を刺す。

松明の火が揺れ、呼吸だけが荒く響いていた。

国豊は、まだ胸の奥に残る怒りの余熱を抑えきれず、拳を握ったまま座していた。


やがて、玄茂が静かに姿を見せた。

彼は国豊の怒りを真正面から受け止めるように、深く一礼してから、そっと口を開いた。


「……国豊様。

あの場で刃を抜かれたお気持ち、まことにごもっともにございます。

興世王の仕掛けは、軽率を通り越し、愚の骨頂にございました。」


その声音には、怒りを否定しない誠実さと、それでも語らねばならぬ苦渋が滲んでいた。


国豊は、怒りを押し殺した声で返した。


「愚か……違うな。あれは悪意だ。将門公を唆し、破滅へ導く“蛇”の所業よ。」


玄茂は目を伏せ、深く息を吐いた。

その吐息は、夜気に白く溶けていく。


「……しかし、国豊様。」


玄茂はゆっくりと顔を上げた。

その瞳には、焦燥と痛みが宿っていた。


「坂東数十万の民草は、将門公に“王”として君臨していただくことを望んでおります。

将門公の“義”によって統べられねば、諸侯は強欲に走り、坂東は再び乱れましょう。

諸侯が逆らえぬほどの輝きが、統治には必要なのです。」


その言葉は、理屈ではなく、玄茂自身が恐れている未来を語る声だった。


国豊は、握りしめた拳にさらに力を籠め、玄茂を睨んだ。


「だからといって、“偽りの神座”に座らせるのか。それが将門公のためだと、本気で思うのか。」


玄茂は、苦しげに顔を上げた。

その喉がわずかに震え、言葉を絞り出すように続けた。


「……思っております。天子から任じられぬなら、民草が奉じる王であるべきなのです。

――それが“新皇”でございます。」


その瞬間、国豊の胸に、怒りとは別の痛みが走った。

拳がわずかに緩み、視線が揺れた。

怒りの炎の奥に、どうしようもない悲しみが滲む。


「玄茂……お前まで、将門公を“王”に押し上げようというのか。」


国豊の声は、怒りよりも哀しみに近かった。


「肝要なるは、臣として逆心を抱いたことなど断じて無い――その誠を、まず朝廷に示すことに尽きるであろう。偶発と悪意とでは天地の差。維幾が将門公の調停を退け、ついには宣戦を布告するなど、思いも寄らぬこと。その理非を、朝廷にこそ明らかにしなければならぬ。」


玄茂は、国豊の目をまっすぐに見つめた。

その瞳には、焦りと、どうしようもない無力感が揺れていた。


「国豊様――あなたが“ことわり”を重んじることは、皆が知っております。

しかし臣下の理だけでは、民は救えませぬ。

……民草とは、それほどに弱いものなのです。」


その声は震えていた。

国豊の怒りを恐れてではなく、自分の言葉が国豊を傷つけることを恐れていた。


国豊は、胸の奥が締めつけられるのを感じた。

怒りが一瞬だけ揺らぎ、その奥にある“迷い”が顔を覗かせた。


しばし沈黙ののち、国豊は低く、震える声で言った。


「……なれど、その理を捨て、忠平卿の恩顧を忘れ、主上に背くことなど、決してできぬ、許されぬ。まして、臣たる者が思い上がり、帝位簒奪を唆すなどあり得ぬ大罪。」


玄茂は、国豊のその言葉に、どこか哀しげに目を伏せた。


「国豊様……あなたの忠義は、真に尊い。

だが、その忠義が、将門公を孤独にしてしまうのです。」


その言葉は、国豊の胸に深く刺さった。

怒りでも反論でもなく、ただ、痛みだけが残った。


玄茂は、最後に静かに言った。


「どうか……将門公の“孤独”を、見失われませぬように……。」


その声は、祈りにも似ていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ