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将門炎舞記 下巻  作者: 浮島太郎
第13章 王道楽土

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天津甕星の影、王たる器

秀郷を追って北へ向かう行軍の夜、

雪原はまだ見ぬ常世へと続いているかのようであった。

見渡すかぎりの大地は白く沈み、その上に夜の漆黒がゆるやかに帳を下ろす。

闇は底なしの淵のように深く、世界は白と黒の境を失い、凍てついた静寂だけが横たわっていた。


将門は陣幕の外に立ち、ひとり北天を仰いだ。

北辰の周囲で瞬く星々は、まるで無数の眼が彼を見つめているかのようである。

その中心に、人智を超えた“何か”が座している――そう思わせるほどの圧があった。


そのとき、胸の奥底で、あの影が呼ぶ。


「……まさかど」


声ではない。

だが、言霊が脳髄に直接触れるように、確かに心へ届く。


天津甕星あまつみかぼし――

坂東の地に古くから宿る、地に降りた星神の影。

将門が決断を迫られるたび、いつもその背後に立っていた存在である。


だが今夜の囁きは違った。

より深く、より強く、そして“何かを求める”響きを帯びていた。


「……まさかど……民はお前を選んだ。お前を求め、その名を呼ぶ。」


将門は眉をひそめる。


「私はただ、民を、坂東を守るために戦うのみだ。」


星神の影は、静かに笑ったように感じられた。


「戦の後を見よ。荒れた田畑に民だけを残して良いわけがなかろう。

 ――誰が民を治め、導くのか。それを担うのが“王”の器よ。」


その言葉は、胸の奥に鋭く刺さった。

“王”――坂東の民が心の底で求めながら、誰も口にできぬ禁忌の響き。


「我は朝廷の臣。主上に弓引くつもりはない。」


星神は、さらに深い闇の底から囁く。


「……まさかど。ならば聞け。我が“王”を求める理由――その始源を。」



星神の声が、将門の意識に太古の光景を流し込む。

世界が揺らぎ、雪原の闇が裂け、はるか上空の星々が逆巻くように回転し始める。


――天地未分のころ。

  光と闇がまだ名を持たず、海と空が境を持たぬ時代。

  高天原の神々は、地上を天津神の支配と定めた。


だが、その決定に背き、国津神の旗印として立つ二柱の神があった。


一柱は、荒ぶる水郷にて、迫り来る天の支配に抗い続けた

反逆の星神・天津甕星あまつみかぼし

その身は星の火を宿し、夜空を裂く光の尾を引いて降り立った“堕ちた星”であった。


一柱は、出雲の地にて兄の国譲りを承服せず、最後まで天の軍勢に抗った

大国主の子・建御名方たけみなかた

その腕は山を砕き、湖を揺らすほどの力を持つ武神であった。


天の軍勢が雲間より現れたとき、雷鳴が天地を裂き、海は逆巻き、山々は震えた。

建御名方は最後の一矢を放ち、天の軍勢を退けんとしたが、ついに諏訪の地へと封じられた。


そのとき武神・建御名方は、盟友・天津甕星に向かって言った。


「俺は汝が居るから安心だ。

 民を導き、民を治める星の神よ

――後のことは託したぞ。」


その言葉は、天地の狭間に響き渡った。

だが、思いを託された天津甕星は、天の支配に抗い続けたがゆえに、坂東の水郷の底深くへと沈められた。


星神の光は封じられ、その魂は長い長い眠りについた。


――だが、時は巡る。

坂東の地に流れた夥しい血と、数多の屍が贄となり、封じられた星の魂は再び息を吹き返した。


水郷の底で、星の火が再び灯る。

その光は、天をも焦がすほどの烈しさを帯びていた。



「その光が、今、お前を見据えているのだ……まさかど。」


将門は息を呑んだ。

胸の奥で、何かが決定的に変わった。


星神の声は、さらに深く響く。


「天はすでに、お前を選んでいる。」


その瞬間、北辰がひときわ強く輝いた。

まるで天が将門の名を呼んだかのように。


「……坂東の王、か。」


その言葉を口にした瞬間、星神の影が背に寄り添う。


「恐れるな。これは天意だ。民の願いだ。お前が王となり、民を統べよ。

 さもなくば、我が汝を器として転生し、民を導くことになる。」


将門はゆっくりと目を閉じた。

孤独は、もはや孤独ではない。

背後には星神が立ち、前方には坂東の未来が広がっている。


「……ならば、進むしかない。この身が選ばれたというのなら。」


目を開くと、星々は静かに瞬いていた。

その光は、まるで将門の歩むべき道を照らしているようだった。


こうして――将門の胸に、“王”という名が静かに宿った。

それはまだ誰にも語られぬ秘密。

だが、星神の影は確かに囁いた。


「……まさかど……おまえに坂東を統べる王を託す。」


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