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将門炎舞記 下巻  作者: 浮島太郎
第13章 王道楽土

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追討、雪中の行軍

下野国、唐沢山砦――

かつて藤原秀郷の牙城、悪行の根城として名を馳せたその砦は、今や寒風ばかりが吹き抜けていた。

物見が戻り、馬上から雪を払うと、将門の前に膝をついた。


「殿、唐沢山はもぬけの殻にございます。どうやら秀郷は北へ。

 常陸国北方、奈河久慈の未開地に逃れた平貞盛・藤原為憲ら残党と合流を図る様子。」


将門は静かに目を細めた。

秀郷が逃げた――それは敗北ではない。

むしろ、坂東の地を知り尽くした老獪な武将が、最後の牙を研ぎ澄ませるための“間”を取ったにすぎない。


だが、今なら追いつける。そして討てる。


「鹿島氏、鳥取氏……秀郷一門は、どう動くか。」


「いずれも下野の本拠地に籠り、将門公に直接刃向かう気配はございませぬ。

確たる証左はありませぬが、その裏で、秀郷に兵糧と兵を送り続けていると疑われます……」


将門は頷いた。

坂東の空気が変わっている。

国司を追放し、三国の国府を掌握したことで、民も土豪も、潮目を悟ったのだ。


――今こそ、秀郷・貞盛を討つ好機。


「このまま五千の兵を整えよ。北方へ向かう。」


その声は、冬の空気を震わせた。



出立の日、下野国府には白い息が立ちこめていた。

将門の黒騎馬隊――

漆黒の馬に跨る精鋭たちは、将門の三人の弟たちに率いられ、今かと出撃を待っていた。

鉄具が触れ合う低い音が、真冬の静寂を切り裂く。


「黒騎馬隊は弟たちに任せる。秀郷の首、必ず挙げてみせよ。」


将門の弟たちは深く頷いた。

彼らは将門の影であり、牙として成長し、坂東の荒野を駆ける風そのものとなっていた。


行軍が始まると、民が次々と道に集まった。

老いた者も、若い者も、女も子も、皆が手を合わせ、将門の行軍を見送る。


「将門公、どうか……どうか我らをお守りくだされ。」


「国司の圧政に苦しむ日々は、もう嫌だ。将門様のおかげで、ようやく息が継げる。」


津々浦々から聞こえてくるその声は、雪原を踏みしめるつわものたちの胸にも深く染みた。


やがて、近隣の土豪たちも馬と供廻りを牽き連れて合流してくる。


「将門公、我らも貴公の麾下に加えて下され。」

「義の旗の下、我らの命をお預け致しますぞ。」


彼らの顔には恐れよりも、むしろ誇りがあった。


将門は馬上から彼らを見渡し、静かに言った。


「坂東は、民の手で自ら治める。悪政に固執する秀郷と貞盛を討つ。

――皆の者、我に続け!」


その瞬間、兵たちの胸に火が着いた。

冬空の下、五千の兵の意志はひとつとなり、北へ向かって動き出した。


――こうして、常陸国北方への追討劇が幕を開けた。



黒騎馬隊が先陣を切り、土豪の兵が続き、国巣の若者たちが荷を担って進む。

山から吹き降ろす冷風は鋭く肌を刺し、北へ向かうほど、雪は深い。

雪は静かに降り続き、世界の音を奪っていく。


その行軍は、まるで純白の敷物の上を這い進む、一体の巨大な黒い地龍のようであった。


北へ向かう行軍の最中、将門は馬上でひとり、冬の風を受けていた。

その静寂の中で、将門の胸には、誰にも見せぬ影が揺れていた。


「秀郷と貞盛は、まだ逃げている。だが、逃げ切れると思うな。

……我が覇業を妨げ、坂東を乱す者を、ここで終わらせる。」


将門は馬上で、冷たい風を受けながら呟いた。

その眼差しは、冬の空よりも鋭く、深かった。


二国の国府を落とし、国司を追放し、坂東の民は歓声を上げた。

その歓声の奥に潜む期待の重さが、将門の肩にずしりとのしかかっている。


「民を救うのは将門公しかおらぬ。」

「将門公こそ、坂東を統べる王よ。」


民草の声は温かい。

舎弟たちは、兄の背中を信じて疑わない。

郎党、従者たちは、命を賭して従っている。


そのすべてが、将門の胸に重くのしかかる。


――これから朝廷と、どう折り合いをつけていくかが問題よ。


それは刃となって、今、まさに将門の胸元に突きつけられている。


馬の吐く白い息が、将門の視界を曇らせる。

その向こうで、黒騎馬隊が黙々と進んでいた。


秀郷と貞盛を討てば、将門の覇道の成就は近い。

だが同時に、将門は“戻れぬ場所”へ踏み込むことになる。


「……孤独だな」


思わず漏れた言葉は、冬空に吸い込まれていった。


覇道とは、誰よりも高みに立ち、深い闇を覗き、そして多くの死と血とを背負う道。


――それでも、進むしかない。


胸の奥で、何かが静かに燃えた。

星神の影が、将門の心の底でゆらりと揺れ、囁く。


「進め……まさかど……戦いの果て、贄を捧ぐ、その先へ。」


冷気が肌を刺す。

だが、その痛みがむしろ心を澄ませた。


「我は義に生きる……そう決めたときから、覚悟はできている。」


前方に広がる雪原は、まるで白地の巻物のようだ。

その上に、将門は自らの覇道を書き記していく。


「秀郷、貞盛……汝ら賊を討つことで民の未来が決まる。迷う理由などない。」


愛馬の腹を軽く蹴ると、黒騎馬隊が動いた。

将門の影が、雪原に長く伸びる。


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