第1章 焔影、破軍へ伸びる 【6.義の旗、国府を包む】
【6.義の旗、国府を包む】
旧暦六月(今の八月)、盛夏。
命からがら戦場を逃れた良兼は、猛暑の中を汗だくになり、半ば錯乱したように馬を走らせていた。黒騎馬の蹄音が、なお耳の奥にこびりついて離れない。
(……なぜだ。なぜ、あれほどの兵力を集めたというのに……)
良兼は、敗戦の理由を、いまだ理解できずにいた。
下野国府の門が見えたとき、彼はほとんど泣き崩れるように叫んだ。
「ご開門! 上総介良兼である! ご開門!」
下野守・藤原弘雅は、その惨状を見て眉をひそめたが、門を閉ざすことはしなかった。
「……平氏の棟梁を見捨てれば、坂東はさらに乱れる。入れよ。」
良兼は、その言葉に救われるように国府へ転がり込んだ。
その後を、貞盛・良正ら敗残兵が追って入城したが、その数は五百に満たなかった。
将門は、良兼が国府に逃げ込んだと聞くと、すぐに軍を整えた。
「追うぞ。」
戦場を抜け、将門軍が下野国府へ向けて進む途中、遠くに土煙が立ち上った。
「……殿。あれは――」
将門が目を細めると、湿原の向こうから、黒々とした旗が風を裂いて進んでくる。
――大国玉の主、平真樹。
その背後には、県犬養氏、信太氏、香取氏……常総の諸族が続々と続いていた。頼まれたわけではなく、恩を返すためでもない。ただ、「将門ならば坂東を救える」という確信だけが、彼らをここへ駆り立てていた。
将門は黒馬を降り、平真樹の前に歩み出た。
「舅殿……このような折に、よくぞ参られた。」
真樹は、汗に濡れた髭を撫でながら、豪快に笑った。
「婿殿が危地にあると聞いて、黙って座しておる義父がどこにおる。坂東のため、其方のため、それらを思い、我らは馳せ参じたのだ。」
その声には、戦場の緊張を忘れさせる温かさがあった。
将門は深く頭を下げた。
「このご厚情、この将門、生涯忘れませぬ。」
真樹は首を振った。
「恩などではない。皆も、義を貫く汝の姿に心打たれて動いたのだ。」
その言葉に、将門の胸が熱くなった。
そのとき――
真樹の背後から、ひとりの若武者が歩み出た。
その姿を見た瞬間、将門の胸が大きく揺れた。
「……国豊か!」
国豊は、その名を呼ばれた瞬間、胸の奥が熱くなり、思わず膝をついた。
「小次郎殿……!」
将門は、国豊の肩を掴んだ。
「国豊……お前か。お前が来てくれたのか。」
国豊は、その手の温もりに震えた。
「小次郎殿――いえ、将門殿こそ……田心川原でのご奮戦、この国豊、胸が裂ける思いでございました。どうしても……どうしても駆けつけずにはおれませなんだ。」
将門は、国豊の目を見つめた。
「国豊。いや、藤の若君よ。お前は誰の配下でもない。それでも……この将門のために来てくれたのか。」
国豊は、涙を堪えるように唇を噛んだ。
「将門殿は……兄のようなお方。良兼の大軍の前に危地にあると聞いて、どうして座しておれましょうか。」
将門は、国豊の肩を強く抱いた。
「国豊……お前が来てくれたことが、何よりの力だ。」
湿原の風が、二人の間を爽快に吹き抜けた。
こうして、将門の軍は千を超える大軍となり、田心川を越えて下野国府へと向かった。
その行軍は、未来を背負う歩みであった。




