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将門炎舞記 下巻  作者: 浮島太郎


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第1章 焔影、破軍へ伸びる 【5.下野国境の激突】

【5.下野国境の激突】


既に勝利を確信し、慢心する良兼の許へ、伝令が駆け込んだ。

「下総の小次郎将門殿――

密かに豊田を発し、鬼怒川沿いを北上中。既にこちらへ向かっているとの報にございます!」

良兼は目を見開いた。

「なっ、なんだと……!」

その怒声を発した刹那、黒騎馬百余騎が土煙を上げて迫ってくるのが見えた。

黒騎馬が現れた瞬間、良兼軍の歩兵は、まるで影に呑まれたかのように震えた。

黒騎馬隊は、馬上から一斉に弓を射掛けた。

矢が風を裂き、前列の兵が次々と倒れていく。

「怯むな! 槍を構えよ!」

良兼は叫んだ。

だが、黒騎馬は斜めから突撃し、瞬く間に目の前に展開する。

楯は役に立たず、歩兵の壁が割れ、転倒する者が連鎖し、悲鳴が重なった。

黒騎馬は、その裂け目に嵐のように突入し、太刀が閃き、兵が次々と地に沈んだ。

「立て直せ! 立て直せと言っておる!」

良兼は怒号した。

だが、兵はもう聞いていなかった。

逃げる者が出れば、隊列は瓦解がかいする。

瓦解すれば、黒騎馬の“狩り場”に移る。

黒騎馬は、逃げる兵の背を斬りつけ、湿原に血の筋が幾重にも刻まれた。


南方から挟撃きょうげきのために進軍していた貞盛と良正は、遠方の黒煙と悲鳴を聞きつけ、思わず馬を止めた。

(……何が起きている?)

貞盛は、数騎の騎馬武者を選りすぐり、自らも駿馬を疾走させた。

――鬼怒川の濁流と数多の屍とが、視界の端で渦を巻いていた。そこへ黒騎馬の影が迫る。その影は、まるで死そのもののようであった。

貞盛は震え、死に物狂いで逃げた。武士の矜持よりも、人としての恐怖が勝った。

(あれが将門殿の黒騎馬の軍……)


湿原は、本来なら歩兵に有利な地形であった。

だが、将門の黒騎馬は湿原を駆け慣れた馬を使い、地形をも味方につけていた。一方、良兼軍の歩兵は足を取られ、逃げ場を失い、川に追い詰められた。濁流が、逃げ込んだ兵を飲み込んでいく。

「助けてくれ! 流される――!」

黒騎馬は、その背後から迫った。湿原は、良兼の兵にとって“地獄”となった。

――良兼の大軍は、崩壊した。


戦が終わった後、戦場には、灼熱の余波が広がっていた。

湿原には、折れた槍、散乱した草鞋わらじ、血に濡れた布切れが散らばり、川面には、流された兜だけが、ゆっくりと浮き沈みしていた。

将門は黒馬を降り、静かに戦場を歩いた。

その眼差しは、勝利の誇りではなく、深い哀しみを湛えていた。

黒騎馬の武者たちも、誰一人として声を上げなかった。

ただ、湿原の葦が、風もないのにかすかに揺れていた。泥に沈んだ兵の手は、まるで何かを掴もうとするように固まっていた。鬼怒川の流れに浮かぶ遺体は、鎧の重みでゆっくりと沈んでいく。

貞盛は、その光景を見て震えた。

良正は、泥に沈んだ兵の見開かれたままの目を見つめ、静かに目を逸らした。

「……すまぬ。」

その声は、誰に向けたものでもなかった。


良兼は、敗走する兵の中で、ただ一人、馬上で歯噛みした。

「将門ぉ……貴様ぁ……!」

黒騎馬の一人が、馬上の良兼に向けて弓を引き、狙いを定めた。

だが、将門はそこで静かに手を下ろした。

ここまで良兼を追い詰めながらも、最後の一線で殺害は止めたのである。

良兼の胸には、怒りとも屈辱ともつかぬ熱が渦巻いた。

その瞬間、遠雷が轟き、真夏の空が裂け、全てを洗い流すように豪雨となった。


破軍星と赤き龍――

二つの力は、もはや後戻りできぬ道へと踏み出していた。



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