第1章 焔影、破軍へ伸びる 【4.赤龍の道行き】
【4.赤龍の道行き】
常陸国府を発した良兼の軍旅は、馳せ参じる与党の兵を吸収しながら、筑波嶺の西麓へと進んだ。
……しかし、暑い。
水田は、夕陽を受けて水鏡のように照り返し、兵たちは口を閉ざしたまま進む。
湿気を含んだ風が鎧にまとわりつき、汗が背を伝い落ちていった。
良兼の軍は、筑波山北西部に広がる真壁郡から、小貝川と鬼怒川を横切るように渡河して西に行軍する。
小貝川は、数日前の豪雨の名残をなお宿し、川幅いっぱいに濁流を押し流していた。
川面には山から流れ込んだ木の葉や折れ枝が渦を巻き、渡河する兵たちの馬の脚に容赦なく絡みつく。
鬼怒川は、さらに荒々しかった。
常陸の兵を呑み込みながら肥大した良兼の軍勢は既に二千を超えていた。それは恰も、数多の支流を併せ呑み、渦巻く濁流となって民草を脅かす鬼怒川の奔流のようであった。
良兼は、その奔流を見つめながら、自らが坂東平氏の棟梁として常陸に出向き、その雄姿をもって威信を示し、慰撫し、これほどの兵を整えたことに満足していた。
(わざわざ迂回してまで来た甲斐があったというものよ。)
だが、その心の奥底には、誰にも言えぬ影があった。
(我もまた……将門を恐れている。)
良兼は、“恐れ”を振り払うように、馬の手綱を強く握りしめた。
熱を孕んだ風が川面を叩き、白い飛沫が立ち上る。
「……鬼怒の濁流は、我が道を塞ぐ将門よりも手強いわ。」
と、半ば嘲るように呟いた。
川の向こうには、下野の丘陵が幾重にも重なり、その稜線は、陽炎に揺らいでかすんでいた。
藤原秀郷と接触すること無く、下野国府に入城した良兼は、下野守・藤原弘雅と対面し、兵糧や馬料の手配を整え、国衙の一郭を仮の陣所として用いることを許された。弘雅との会談の場で、良兼は将門の専横と自らの討伐の正義を静かに述べ、弘雅はこれを聞き届けた。
「奏聞の折には、しかるべく取り計らおう。」
と力添えを約した。
こうして、将門との対戦に向けた段取りは、ひとつ、またひとつと整えられていった。
その頃、将門の黒騎馬百余騎は、密かに豊田を発し、鬼怒川沿いを北上して良兼軍の動静を窺っていた。
将門は、黒馬の鬣を撫でながら、遠くに立ちこめる土煙を見つめた。
良兼の軍勢――およそ二千。
その背後には、坂東平氏一門の怨が渦巻いている。
将門は、馬上で静かに息を整えた。
黒騎馬百余騎は、彼の背後で影のように待機している。
「……行くぞ。」
その一言で、黒騎馬は一斉に動いた。
蹄が地を叩き、風が逆巻く。
将門は、黒い駿馬の背で酷暑の熱風を受け流しながら、ただ一つのことを思っていた。
(良兼殿……怨は、己を焼き尽くす業火だ。)




