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将門炎舞記 下巻  作者: 浮島太郎
第13章 王道楽土

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王道の黎明

かつて将門が本拠とした豊田営所とよだのえいしょは、二年前の夏、良兼・貞盛らの夜襲によって一夜にして灰燼と化した。

同じ夜、常羽御厩とこはのみまやも煙滅した。

鎮守府将軍であった良将が奥羽交易の要衝として整え、軍馬だけでなく、絹や麻の織物、馬具、武具といった鉄製品の出荷を担った流通経済の心の臓――その鼓動すら、良兼の怨火が容赦なく奪い去ったのである。

父・良将が築いた王城は、炎の奔流に呑まれ、礎石すら赤く焼けただれ、ついには穢れた地となり果て遺棄されるに至った。


失われたものは大きかった。

だが将門は、ただ嘆きに沈むだけではなかった。


敗走し、湿原を彷徨っていたところを、広江の案内を根城とする“まつろわぬ民”に扶けられながら、要害・鎌輪宿かまわのやどりに前線を置き、ついに、筑波嶺で平良兼の軍を打ち破った。将門は、その間に病を癒し、奇襲戦を続けながら、猿島郡石井郷さしまぐんいわいごうに新たな政務と流通の中心を築き上げていた。


――新たなる王城と称するに相応しい石井営所いわいのえいしょ

騎馬数千を収容できる広大な敷地。

南側には広大な長洲牧ながすのまき(馬の放牧地)が広がる。

三方を沼沢に囲まれるが、利根川を渡河するのに最適な浅瀬もある。


千の兵を従えて常陸国府を陥落させた将門軍は、国璽を奪い、常陸介・維幾を捕虜とし、そしてこの石井営所へと凱旋したのであった。

沿道には、数万もの群衆が、将門軍の戦勝に熱狂し、喜びの声を上げて迎えたのであった。



――石井営所・主殿。

大広間には一族郎党が集い、常陸国府陥落を祝う宴が華やかに催された。

だが、酒の香りに満ちた座敷の片隅には、沈鬱な影を落とす重臣たちの姿も少なくない。


正倉を含む国衙を焦土と化したこと。

多くの官人を討ち、国璽を奪い、常陸介を捕虜として連行したこと。

それらは、いかなる理由があろうとも、朝廷から見れば紛れもない叛逆である。


宴の熱がゆるやかに満ち、酔いが冬の冷気とまじり合って座敷に沈むころ、将門の側近となっていた興世王おきよおうが静かに口を開いた。


「国府を焼き、印綬いんじゅまで奪ってしまった以上、一国を奪ったのと同じ。言い逃れできることはなく、罪に問われましょう。」


興世王は徐に立ち上がり、居並ぶ重臣たちに向けて言葉を発した。


「だが……常陸一国を奪っただけでも、二国、三国を奪うのと罪の重さは同じなのだから、いっそのこと坂東を統べる覇王となり、朝廷の出方を窺い、交渉する機会を探るしかありません。」


その声音には、恐れと不安の色がある。


――朝廷は、どう動くのか。

――こちらは、どう応じるべきか。


その言葉が落ちた瞬間、重臣たちの心に、その問いが冷たい刃のように静かに刺さった。

酒宴のざわめきの奥で、将門の重瞳ちょうどうに、ふたたび黒い焔が立ちのぼった。


「無位無官の我が、“坂東を統べる覇王”とは、随分と面白い。」


将門はゆっくりと立ち上がり、余燼の匂いが漂う東の方角へと目を向けた。


「常陸介は、その強欲さの果てに、民の怨火によって滅びの道へといざなわれた。」


その声の響きは、その場に居る者たちに神々しさすら感じさせた。


「受領どもの強欲さの故に虐げられ、全てを奪われた“まつろわぬ民”の怒りの凄まじきことを知り、坂東中の国司、受領は、さぞかし肝を冷やしていることであろうよ。」


将門は振り返り、集まった郎党を見渡す。

その眼差しは、ひとりひとりの胸奥に火を灯すようであった。


「聞け! 我が一族郎党よ!

我は病み、良兼に敗れて湿原を彷徨い、まつろわぬ民に救われた。

――我は良兼に対し、そして民は受領に対し、各々、復讐することを欲し、力を補い合った。」


その言は、敗北の記憶を恥じるものではなく、むしろ力の源として語られた。


「常陸国府は墜ちた! そして……良兼も死んだ。

果たして、積年の怨火は晴れ、怒りは鎮まった。

まつろわぬ民の復讐は成就し、民は再び、血の涙を流すことも、怨火に焼かれることも無い。」


将門はそこで言葉を切り、深く息を吸った。

その表情には、勝利の昂揚ではなく、さらに重い現実を見据える影があった。


「だが、これで坂東の全ての民が救われたわけではない。

怨火と怒り――真紅の血を流し、紅蓮の炎に身を焼かれる儘に置かれる者は、未だ多い。

受領どもの強欲が、民の怨と怒を生んだ。

その怨火は力を得てこそ、報復の刃を振るうことができるのだ。

――我らがなすべきことは明らかであろう。」


将門の声は、もはや一武将のそれではなかった。

坂東の地に満ちる怨と怒を背負い、天津神からの独立を堅持せんとした星神のようであった。


「我は民のために、民の守護者として立つ者、武威を以て坂東を統べる者である。

常陸一国では済まされぬ……まさに今、苦しみの中にある民たちに力を与えよう。

――この坂東の地に、我が王道楽土を打ち立てんとする者は、我に付き従え。」


その瞬間、夜風がざわめき、まるで大地の霊気が呼応したかのように感じられた。

将門の言葉は星神の宣言のように響き、心打たれぬ者は、ただの一人も居なかった。

誰も声こそ上げぬけれど、皆の胸に宿る火は、もはや消えることはなかった。


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