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将門炎舞記 下巻  作者: 浮島太郎
第12章 常陸国府陥落

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嫡流の孤心

その年の秋、

常陸国府は、「平将門が軍旅を催す」との報を受けるや、国内の諸郡へ急使を走らせた。

常陸介は国内の在地官人や諸族に檄文を飛ばし、一族郎党を率いて参陣し、国府防衛の任に加わるよう命じたのである。


しかし、その命に応じる者は少なかった。

将門はすでに幾多の戦で勝利を重ね、幾度もの紛争を調停し、その武威と信望は坂東一円に響き渡っていた。諸族はその強さを恐れ、あるいは密かに将門へ心を寄せ、みな参陣をためらった。

彼らは精強な郎党や騎馬武者を常陸介に差し出すことを惜しみ、代わって農民や下人ら伴類をかき集めて国府へ送り込んだ。

こうして集められた兵の多くは、槍や弓を手にしたこともない歩兵かちであり、戦場を駆ける歴戦の武者もののふではなかった。


もっとも、郡司や豪族たちの判断にも理由はあった。

彼らは長年、坂東の争乱を見聞きしてきた者たちである。

堅固な国衙を背に守る戦であれば、寄せ手を防ぐのに歩兵でも十分と考えたのであろう。



その日、

冬の気配が、真壁館まかべのたちに忍び寄っていた。

真壁の屋形で療養を続けていた貞盛の許に、雨に濡れた使者が駆け込んできた。

「貞盛殿!常陸国府より急使にございます!」

使者は膝をつき、一通の檄文を差し出した。


貞盛は虚ろな目のまま、無言でそれを開く。

そこには維幾、為憲ら国府勢の連署があった。

「追討対象である藤原玄明の引き渡しを将門が拒否した。よって、下野国の平将門を朝廷に仇成す賊の一味と看做し、討伐軍を編成する。直ちに参陣せよ。」

――そう書かれていた。


貞盛は長い間、その文を見つめていた。

そして呟いた。

「……この我に、一体、どうしろというのだ……」

誰に向けた言葉でもなく、ただ心の底から漏れ出た呟きのようであった。


討伐軍に加われば、あの将門と再び戦わねばならない。

いや、それ以前に、貞盛自身、朝廷から追討対象と名指しされる「逆賊」の身である。

国府の官軍に加わったところで、後ろから刺されぬ保障など無い。

かといって参戦しなければ、坂東平氏嫡流の名声さえも失いかねない。

――どちらを選んでも地獄だった。


常陸国府では、維幾と為憲が兵を集めている。

将門が静かに次の一手を見据えている。

常陸国全土が巨大な渦へと吸い込まれつつあった。


しかし、その中心にいるべき貞盛だけが、立ち尽くしていた。


“我こそが桓武平氏嫡流である”という誇りだけを胸に抱き、

進むこともできず、退くこともできず。

戦うこともできず、逃げることもできず。

――貞盛は空虚な目で、この檄文を見つめ続けていた。



翌朝、

真壁館には、貞盛に従う一族郎党、そして嵯峨源氏の武者たちが集まっていた。

庭には朝霧が立ちこめ、軒先から滴る露が静寂を際立たせている。


誰も口を開かなかった。

皆がただ、上座に座る貞盛の顔を見つめていた。


その視線には、期待があった。

そして、不安もあった。


そして何より、棟梁の決断に従う覚悟があった。

貞盛はそれを痛いほど感じていた。


――沈黙が長く続いた。


やがて貞盛はゆっくりと立ち上がった。

貞盛は居並ぶ郎党たちを見渡し、静かに言った。


「将門を討つ。」


その声は決して大きくなかった。

だが居並ぶ武者たちの胸を震わせるには十分だった。

貞盛は続けた。


「坂東に二人の棟梁は要らぬ。

――平将門か、平貞盛か、いずれか勝者のみが名を残す。」


その言葉が終わるや否や、座中から鬨の声が湧き起こった。

武者たちは次々に立ち上がり、拳を振り上げた。

長く鬱屈していた空気が一気に吹き飛ぶ。


その熱狂を前にして、貞盛の胸にも久しく忘れていた感覚が蘇っていた。

戦っては敗走し、流浪した。幾度も屈辱を味わい、恐怖に慄き、この身を縮めてきた。

だが、それでもなお、自分を棟梁と認め、命を預けようとする者たちが此処にいる。


貞盛は高らかに命じた。

「出陣の支度をせよ! 此度こそ将門と決着をつける!」


武者たちは一斉に立ち上がり、再び、歓声が轟いた。

静まり返っていた真壁館は、たちまち出陣の熱気に包まれた。


平将門――武神の如き偉丈夫、幾度、戦っても勝つことができない従兄。

貞盛は、身体の震えが止まらなかった。

だが、この期に及んでは、もう退くことはできない。


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