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将門炎舞記 下巻  作者: 浮島太郎
第12章 常陸国府陥落

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孤影、雨に沈む

天慶二年(939年)夏、

長らく病床にあった上総介・平良兼が没した。

平高望の後継として武射に盤踞し、上総国府を牛耳り、九十九里から香取海の広い水運利権を掌握した桓武平氏高望流の長者格。

緋縅ひおどしの大鎧を纏った巨躯は、まさに不動明王を彷彿とさせ、彼の怒声ひとつで坂東武者たちは背筋を凍らせ、一瞥するだけで郎党家人を震え上がらせた。


その死は、坂東に住む平氏一門にとって、ひとつの時代の転換を意味していた。


貞盛にとっては叔父である良兼は、生涯、畏怖の対象であり続けた。


「これより後、一体、誰が一門を率いるというのだ……」


呟きは虚しく広間に落ちた。



平将門の坂東下向以来、彼を執拗に追い詰め続けた男であった。

そして良兼は、将門との争いの渦中に、貞盛を引きずり込んだ。


気づけば、貞盛が頼るべき一門は、誰もいなくなっていた。


思い返せば、良兼も、そして父・国香も、幼い貞盛に期待を寄せ、励ました。

「汝は、坂東平氏の嫡男、嫡流として、いずれは一門の棟梁となるべき男。

――来るべきその日に備え、弓馬に勤しみ、軍事に励むが良い。」


しかし若くして朝廷で官職を得た貞盛は、都での安穏で雅やかな官人生活に慣れ、満足していた。いずれは大夫(五位以上)と呼ばれ堂上に上がる未来は、この安穏で雅な生活の先にこそあれば良いのだ、と考えていた。


しかし、父の死を境として坂東に帰郷した途端、将門との抗争の渦中に堕とされ、藻掻き、苦しんでいる。

一門のかたきとなった将門の武威に怖れ慄き、戦えば惨めに敗走し、挙句、朝敵から追討官符を発せられ、賊の汚名を雪ぐことすら叶わない。


それが故か……

良兼を恨みに思い、敗走中の筑波山中で錯乱し、衝動的に刃を向けたことがあった。

だが、今思えば、なぜあのような行動に出たのか、自分でも理解できない。

あれは、恐怖と絶望が極限に達した末の、狂気の一瞬だったのであろうか。


――その良兼が死んだ。


その一方で、将門は無位無官ながら、この地の名声と信望を一身に集め、坂東における威勢は増すばかりであった。


――貞盛は唇を噛んだ。


「奴を討たなければ、いずれ坂東は将門に呑まれる。」


だが、良兼でさえ、何度戦っても負けた。

どれほど兵を集めても、結局、勝てなかった。


漆黒の騎馬武者たちに追い回され、そのたび惨めな姿で敗走した。

逃げ隠れしながら極限の中で命を繋いだ、あの恐怖だけは忘れられない。


将門は恐ろしい。

命が尽きかけるたび、その感情だけが肥大していった。


――そして、夜ごと悪夢を見る。


将門の黒騎馬が、この門を破って突入してくる。

黒騎馬の背後には、漆黒の巨大な影が揺れている。

「ま、将門かッ!」

影は屋形全体を覆い、やがて火炎が噴き上がる。


「豊田を火責めにしたのは、わ、我ではない!我は、し、知らなかったのだ!」

将門の巨大な影が、この身に迫り来る。


――貞盛は汗だくになって飛び起きる。


父・国香が夢枕に立つ。

顔中に瘡蓋かさぶたを作りながらも、平氏一門の繁栄に執着し続けた父。

その姿を見るたび、貞盛の胸は締め付けられた。


近頃、腕や背に小さな湿疹が出ていた。

それを見るたび思う。

血筋なのではないか。

自分も父と同じ業病に侵されたのではないか。

ある日突然、身体が腐り始めるのではないか、と。


ある夜、良兼の亡霊が現れ、

「この役立たずめが!」

と、罵倒する。

貞盛は、童子のように声を上げて泣き、許しを請うた。


灯火の揺れる寝所で、何度も寝返りを打った。

もはや、日々、眠ることすら怖れるようになっていた。


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