湿原に燃ゆる烽火
月が雲に呑まれ、湿原の闇は底なしの黒へ沈んでいた。
その静寂を裂くように、玄明の咆哮が響く。
「行くぞォォ――ッ!」
獣皮をまとった国巣衆が、一斉に地を蹴った。
粗末な鉄片の武器を振りかざし、飢えと怒りを喉の奥から噴き上げる。
その奔流を前に、国豊は息を呑んだ。
――これは、民が積み重ねてきた怨嗟そのものだ。
湿原の先、河内郡の郡衙に隣接して、十を超える巨大な不動倉が黒々とそびえている。
本来は非常時の備蓄を守るための倉である。
だが今や、国司や郡司が私腹を肥やすための“隠し倉”と化し、民から搾り取った米が積み上げられていることを、国豊は知っていた。
それでも――これほどとは思わなかった。
玄明が手を振り下ろす。
「奪われた米を取り返せェ!!」
国巣衆が土塀へ殺到した。
丸太を担いだ者たちが突進し、正門へ叩きつける。
ドガァッ!!
土塀が揺れ、見張り台の役人が悲鳴を上げた。
「な、なんだ貴様らは――!」
返答は怒号だった。
丸太が二度、三度と打ちつけられ、門柱が土塀ごと崩れ落ちる。
その隙間から、国巣衆が雪崩れ込んだ。
玄明は誰よりも早く飛び込んだ。
弓を構えた官人が叫ぶ。
「止まれッ! ここは国府の――」
玄明は鼻で笑い、踏み込んだ。
弓を掴んで強引に引き寄せ、官人の体ごと地面へ叩きつける。
鈍い音とともに、男の腕が不自然な角度に折れた。
玄明は敵兵の槍を奪い、ためらいなく胸へ突き立てる。
血飛沫が闇に散った。
槍を引き抜くと、そのまま次の役人へ投げ放つ。
槍は唸りを上げて飛び、胸板を貫いた。
「民を奴隷にした報いだッ!!」
玄明の咆哮が、湿原に響き渡る。
国巣衆は不動倉へ殺到した。
扉を斧で叩き割る者、官舎に松明を投げ込む者、役人を縄で縛り上げる者。
「米だ、米だ――ッ!」
「見ろよ、こんなに隠してやがった!」
「集落じゃ、子どもが飢えてんだぞッ!」
倉の中には、山のように積まれた米俵があった。
国豊は言葉を失った。
――これだけの米があれば、どれほどの民が救われたのか。
玄明が米俵を抱え、国豊の前へ投げ出す。
「見ろ、国豊。これが“受領どもの正体”だ。」
胸の奥で、何かが音を立てて崩れた。
そのとき、遠くから角笛の音が湿原を震わせた。
国巣衆のざわめきが一瞬で広がる。
「国府の援軍だァッ!!」
松明の列が闇を裂き、槍を構えた兵が迫ってくる。
国豊の背筋に冷たいものが走った。
だが玄明は、逆に笑った。
「上等だ。俺たちを“悪党”と呼ぶなら――」
玄明は槍を構え、闇夜に吠えた。
「悪党らしく暴れてやるよォォォッ!!」
国巣衆が応じる。
「ヒャッハァァァァァ!!」
闇夜の中、国府の兵と国巣衆の激突が始まった。




