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将門炎舞記 下巻  作者: 浮島太郎
第8章 運命の水鏡

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七つ影、星供の裂け目

祠に着くと、滝姫は星盤を祠の前に置き、静かに真言を唱え始めた。

「南無星宿……天の光よ、地の影よ……この鏡に映りて、姿を顕し給え……」

星盤の縁が淡く光り始める。


「オン・マリシリエイ・ソワカ」

湖面の星々が揺らぎ、まるで水底から星が浮かび上がるように見えた。

国豊は息を呑んだ。

忠行は目を閉じ、星の動きを読むように静かに耳を澄ませている。


「オン・バザラタラ・ウクラ・ソワカ」

滝姫の声が、夜気に溶けていく。

北辰と七曜の真言が、静かな湖面に響く。

滝姫の指先が星盤をなぞるたび、淡い光が波紋のように広がった。


そのとき、星盤の縁に落ちた影が、ふと揺れた。

賀茂忠行は、星盤の縁に走る黒い影に気づき、眉をひそめた。

「……これは……」

風はない。

焚火もない。

それなのに、影だけが揺れている。

次の瞬間、影が裂け、七つの影が星盤の上で蠢き、寄り添い、また離れ、まるで生き物のように国豊の足元へ広がっていく。

国豊の背筋に冷たいものが走った。


影が、形を持ち始めた。

輪郭が伸び、歪み、やがて、国豊が見知った姿へと変化へんげする。

――背は高く、肩は広く、猛き武者の覇気、

だが、その背後には七つの影が寄り添い、左目の“重瞳”は、

今や、別世界にでも通じているかの如き闇を感じさせる。

滝姫が震える声で呟く。

「……怨影……」


声が聞こえる――耳ではなく、頭の奥に直接落ちてくるように。

それは将門の声に似ていたが、もっと深く、もっと底の方から響いてくる声だった。

――見ただろう……民の苦しみを……

――米を奪い、女を攫い、家屋を焼き払い……

――男は殺され、子供たちは火の海に沈んだ……

――正義はどこにある……?


影が揺れ、七つの影が国豊の周囲を巡る。

――国司、豪族の類は、小粒な悪党に過ぎぬ。

――己の欲を満たすことしか知らぬ虎狼も同じ。

――此の地には、悪党を束ね、虎狼をも統べる王が必要だ。

国豊の背筋に冷たいものが走った。


影の言葉は、怒りでも悲しみでもなく、もっと別の、底知れぬ“渇き”のように聞こえた。

――嘆き、哀しみが深ければ深いほど、堕ちる闇が濃ければ濃いほどに、

――人の世の千辛万苦が奏でる喜怒哀楽の唄……そのすべてが糧となる。

――苦悩が、叫びが、流れる血が……にえとなり、更なる厄災を呼び起こす。

――この地を統べる魔神は顕現す……我は待っていた……そのときを!


滝姫が星盤に手を伸ばすが、影はそれをあざけるように揺れた。

――我らは、これまでも同じようにして、王なる王に力を与えた。

――朝廷の力は、もはや、この坂東の地には及ばぬ……。

――坂東八国は、坂東の王が治めなければならぬ!

――それが、影たる我らの願い。

影の重瞳が、国豊の姿を凝視する。

―― “まさかど” こそ坂東の王たる器、王の地位に相応しいおとこ


その言葉を最後に、星盤の光が弾け、七つの影は霧のように散った。

湖面の静けさが戻る。

滝姫は震える指先を胸に当て、息を整えようとしていた。

国豊は、まだ影の残響を胸の奥に抱えたまま、言葉を失っていた。

その中で、ただ一人、賀茂忠行だけが、別の種類の沈黙をまとっていた。

恐怖ではなく、驚愕でもない。


忠行は、星盤の上に残る黒い痕跡を見つめながら、静かに口を開いた。

「……これは呪詛、怨霊の類ではない。将門殿は、異界の何者かに呼応している。」

その言葉は、国豊を安心させるものではなく、滝姫を慰めるものでもない。

朝廷に報告すべき“国家の危機”を警鐘する言葉だった。

滝姫が不安げに忠行を見つめる。

「どうなさるのでしょうか……?」

忠行は、湖面に映る星を見つめたまま答えた。

「この現象を、陰陽寮へ持ち帰ります。だが、そのまま伝えるわけにもいかぬ。」

国豊が顔を上げた。

「……どういうことですか?」

忠行は、国豊の目をまっすぐに見た。

「“将門の影が坂東の王を望んでいる”などと、そのまま朝廷に伝えれば……」

忠行は言葉を切り、静かに続けた。

「――即座に将門殿を“朝敵”と見做みなすでしょうね。」

国豊の胸が冷たくなった。

忠行はさらに言う。

「坂東の地は、ただでさえ公卿たちの目には“荒ぶる地”と映っています。

“怨霊が坂東の王を望む”などと知られれば……討伐の名目が立ちます。」

滝姫が息を呑んだ。


忠行は、星盤をそっと閉じながら言った。

「ゆえに、朝廷には“異変の兆し”として報告します。私も一応は官人ですから。

ただし、将門殿の御名も、七つ影という言葉も伏せておきましょう。」

国豊は驚いた。

「……隠す、と?」

忠行は頷いた。

「隠すのではありませんよ。必要な部分だけを選び取るのです。

朝廷に真実をすべて晒す必要はない。まぁ、言っても信じないでしょうけどね。」

その声には、冷静さと老獪さが同居していた。


忠行は最後に、国豊へ向き直った。

「国豊殿。七つ影は“人の影”ではない。だが――どう扱うかは、坂東の者が決めねばならぬ。ただし、まつりごとに委ねることは間違いです。」

忠行は静かに告げた。


――坂東の未来は、坂東の者の手に委ねるべき。

その言葉は、国豊の胸に深く染みたが、同時に何かが重く沈むのを感じた。


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